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拘置所の近くに本社を置けば安心だ 「連載 シャープを飲み込んだ男・郭台銘伝」 第三回

シャープと鴻海科技集団(以下、鴻海)は、2016年4月2日に共同会見を行なった。内容は、鴻海によるシャープへの出資である。シャープの買収は連日話題になっていたため、鴻海の名も多くのひとの記憶に残っただろう。

だが、1974年に創業され、わずか一代、たった40年で時価総額約4.3兆円になった鴻海という会社、そしてその創業者であり現会長の郭台銘(かくたいめい)について、いったい我々はどれほど知っているだろうか。

今回、10月に発売されたばかりの『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)から、郭台銘という男と鴻海という会社の真の姿を、一部見ていこう。

拘置所の近くに本社を置けば安心だ

再び時計の針を1981年まで戻そう。

日本から帰国した郭台銘は、顧客を選定する基準を変更したのと同時に、もうひとつの大きな自社改革に着手している。それは創業以来の家電部品の製造からの転換だった。

当時、台湾の経済は蒋経国(しょうけいこく)政権下で高度成長の軌道に乗る一方、従来の労働集約型の製造業が行き詰まりを見せていた。豊かになりはじめた社会ではテレビやラジオの普及も進む。成熟してしまった家電業界の市場にぶら下がるだけでは、会社の拡大が難しいのは明らかだった。

結果、郭は市場調査の末にパソコンのコネクターに着目する。1981年にIBMが「IBM PC」を発売して以来、パソコンは目端の利いたビジネスマンの注目を集めつつある新規の成長分野だった。

「……おそらくコネクターの製造プロセスにおいて、鴻海は少なくとも40%か50%くらいの技術をカバーしているだろう」

事業方針をめぐる社内会議で、郭台銘はそう口にした。すなわち、あとは技術者の努力で残り5割以上の不可能を可能にせよとプレッシャーをかけたのだが、幸いにして技術者側は要求に応え、安定したコネクター製造体制を築くことに成功した。

この瞬間から、鴻海はハイテク部品メーカーに変貌を遂げた。翌1982年、社名を「鴻海工業」から「鴻海精密工業」に変え、資本金1600万台湾元(当時のレートで約1億189万円)で再スタートさせたのも、従来の主力業務からの転換を内外に印象付けるためだ。もともと金型工場を設けていた土城の街に、730坪の土地を買って初の自社社屋と工場を建設したのもこのときである。

「本社を土城に置いたのは、(この街にある)土城拘置所が近いからだ。万が一、不渡りを出して拘留されても家族との面会に便利だろうし、拘置所から会社の業務を指示することだってできるからな」

当時の郭台銘はしばしばこんなブラックジョークを飛ばしていたと伝えられる。

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だが、実際は社長が逮捕されるどころか、鴻海の業績はこの頃から高止まりに安定しはじめ、事業規模は急激に拡大していった。その歩みを見てみよう。

・1983年:資本金4800万台湾元(約2億8458万円)。日本から購入した設備で新型コネクターの開発に成功。
・1984年:金属メッキ部門を創設。当時の売上高の約10分の1にあたる1000万台湾元を投入して、アメリカから自動化メッキ設備と検査設備を購入。
・1985年:営業収益5億6000万台湾元(約33億5213万円)を計上。台湾製造業ベスト1000のランキング入り。「フォックスコン」ブランドを創設。
・1986年:資本金1億3000万台湾元(約5億7925万円)。スイス製の高速連続パンチプレス機を導入。土城工業区に1万1600坪の土地を購入し、新たな工場建設開始。
・1987年:資本金1億8000万台湾元(約8億1949万円)。1億台湾元を投じてコンピュータ自動化制御機能付きのプラスチック押し出し成型機48台をアメリカから購入。同じく生産自動化設備も購入。

1982年からの5年間で、資本金は10倍以上に膨れ上がった。やがて1988年には従業員数が1000人を突破し、営業収益も10億台湾元(約44億8233万円)を超えた。台湾証券取引所での上場を果たしたのは1991年のことである。

鴻海が急成長を始めた1980年代は、台湾経済が最も活気に満ちていた時期だ。国策によって内外のハイテク企業を誘致した新竹サイエンスパークの建設をはじめ、先端技術産業の奨励政策が功を奏し、GDP成長率は毎年10%前後をマークした。政治の面でも、戦後の台湾社会を暗く覆っていた戒厳令が1987年に解除され、社会に伸び伸びとした空気が漂いはじめた。

とはいえ、鴻海の成長はそんな時代の追い風を差し引いても凄まじいものがあった。彼らの年成長率は20%を超え、自国の経済成長の2倍以上の速度で爆発的に伸び続けたのである。

郭台銘自身もまた、台湾の新時代の風雲児として、いつしか財界で注目を集める存在になっていた。

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プロフィール

 

安田 峰俊

ルポライター

1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深圳大学に交換留学。一般企業勤務を経た後、著述業に。アジア、特に中華圏の社会・政治・文化事情について、雑誌記事や書籍の執筆を行っている。著書に『和僑』『境界の民』(角川書店)、『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)の編訳など。

ライターについて

 

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ビジネスパーソン向けの注目書籍を見つける本チームは、ビジネス書にとどまらず、社会課題、自然科学、人文科学、教養、スポーツ・芸術などの分野から、注目の書籍をご紹介します。

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