紙の本
唯識の説明は大変わかりやすい
2016/01/15 09:32
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投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
唯識を実感のもってすとんと落ちるなどということはあり得ないのだろう。
まだ私には。
横山紘一氏の著作はいくつか目を通していますが、これが唯識については一番わかりやすいものとなっています。
ただである、書いたものをよんで唯識を理解したなんてことはまずないと思うべきである。人間が思い描ける人の意識と無意識の世界に足を踏み入れるのであり、繰り返し、それは何年という何十年という年月が必要であろう。そう思っている。
電子書籍
唯識思想
2022/08/09 08:01
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
唯識についてわかりやすく解説されている。いちいち脳科学を否定したり量子力学を援用したりといった部分がどうかと思うが唯識の思想の要諦を知るには良い
紙の本
エヴァの通奏低音
2017/04/28 11:29
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
一人一宇宙、苦の原因は執着。己の心の中の深層心理を探求することにより自由に楽な気持ちで現代社会を生きてゆこうと願った書。読中・読後にヱヴァンゲリヲンの数々のフレーズが蘇ってきた。
紙の本
第1章は簡潔明快だが、第2章は冗漫
2015/04/29 23:01
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投稿者:AAA - この投稿者のレビュー一覧を見る
唯識研究の大家が書いた唯識についての啓蒙書。
二章構成で第一章では唯識の観点から「心の仕組み」が明らかにされ、第二章では唯識に徹することで各人に起こる「心の変革」が論じられている。
第一章では仏教学につきものの難しい言葉を丁寧に言い換え、理解の補助として図解を多く用いてくれているので、読んでいけば、唯識(=ただ見ること)の大まかな仕組みが手に取るようにわかることだろう。
だが第二章はいまいちである。唯識という見方に基づいたいろいろな行いをすることで、どのように心(特に阿頼耶識)が変わるのか、また心を変える手助けができるのか、その具体例が第二章のほとんどを占めるのだが、第一章で唯識の精密な理論を手際よく解説するのに比べて、ここでの説明は粗雑に感じられた。いやおそらくその説明のひとつひとつは著者の実感がこもったものなのだろうし、個々の具体例に疑問を感じたわけではないのだが、かといって大いに納得したというわけでもない。なぜそのような行いをするようになるのか、またすればいいのかについての、つまり(成仏のための)実践についての理論が説明されていないように感じたのである(それとも第一章で示された唯識という見方を体得すればもしくは体得したければこのような行いを自然とするようにもしくは意志的にすべきというようになるのだろうか)。だから個々の具体例が羅列されているだけのようで、冗漫な印象がしたわけである。
ただ唯識の説明は巧みであり、この著者の本をいくつか読んでみたくなったのは確かだ。
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唯識への入門の入門の本だと思うが、それでもよくわからない。腹にズシンとこないので自分にとってはあまりよくなかった。
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唯識について、日常の実例と図を交えながら分かりやすく解説した一冊。入門書よろしく、自分の意識構造を知り菩薩のように生きましょうというアドバイスにとどめており、もう少し踏み込んだ著書を読んでみたい気もします。世界はすべて自分の意識に写った映像とはかなり過激な思想です。本書を読みながら、自分の意識がからだのどの辺りにあるのか、探ってみるのも面白いと思います。
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2011.11.13
「唯識無境」って、八識の境がなくなること?
つまり、五感に対する識別作用(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識(末那識、阿頼耶識) の境が解けてなくなってしまえば、一つになる。自己がなくなり、宇宙そのものになる?
これが「円成実性」。
「円成実性」=真如。
2011.09.25
法蔵の縁起因縁六義法って、
唯識をベースとしているから、唯識の因縁観がわからないと、
わからないよね。たしかに。
7世紀の長安には玄奘さんがいる。教えをこう。
三蔵法師さん、唯識の因縁観ってどうなってるんですか?
その前に、現時点での疑問点を整理。
◆疑問点
〇事事無礙法界ってなに?
〇無分別智から後得智のプロセスのなかで事事無礙法界をどう捉えるか?(重々無碍=同体門相即・相入→異体門相即・相入?)
〇異体門相即・相入の中に出てくる、因と縁の力の奪いあいってなに?
〇真如随縁の「縁」と因縁の「縁」との関係は?
〇唯識の因縁観にこの問題を解くヒントはないか?
◆学ぶための準備
○唯識の縁起説と縁起因縁六義法の対応関係
1.刹那滅=空・有力・不待縁
生滅変化するものであること
2.果倶有=空・有力・待縁
生起した結果と同時に離れずに存在すること
3.恒随転=空・無力・待縁
必ず一類相続して、前後に転易があってはならない
4.性決定=有・有力・不待縁
種子とその種子が現行したものとは、性において決定して変わらないものでなければならないこと
5.待衆縁=有・有力・待縁
種子の一因のみで現象を生起するというのでなく、必ず多くの縁をもって現象を生起するものであること
6.引自乗=有・無力・待縁
物質と精神とについて、それぞれ別々に自因自果でなければならない
〇縁起因縁六義法の中の異体門
異体門は後得知として無分別からあえて異なったものとしてみる場合の見方。
同体ならば、外部要因である縁はないはず(すべて自因になる)。
だから、縁起因縁六義法の中では待縁のものが異体になる。
2.空・有力・待縁=果倶有
3.空・無力・待縁=恒随転
5.有・有力・待縁=待衆縁
6.有・無力・待縁=引自乗
さあ、三蔵法師さんにきいてみよう!
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(私なりの解釈)
阿頼耶識は、蔵識とも言われ、人間のこころの一番奥にある、心の倉庫のようなもの。
そこに良い種をまけば、世界をより良い視点で観ることができる、と説かれている。
哲学的な議論(悪く言えば屁理屈)が展開される場面が大半を占めるので、哲学にアレルギーがある人には向かないかもしれない。
また、仏教哲学と近代科学のアナロジーがいくつかあるが、それも好みが分かれるところかもしれない。
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唯識についての初心者向けの本。本文もはじめて唯識に触れるであろう人を意識した平易な語り口で、図解を多用している。私が存在しなければ、世界は存在しない。すべての物は自分の心を離れて存在しないということが唯識についてのポイントであるらしい。
著者の後半に、なりきり、なりきって生きる。一瞬一瞬にその行為になりきって生きる。対象になりきっていきる。すると、観察される対象ではなく、自分そのものがなりきった対象になるということが書いてある。前半では「自分」の「心」が存在しないと対象は認識できないということと関係は深いとおもうが、対象そのものと自己不可分であるの性質が若干違うように感じるの。だが、生き方の指針として、一瞬一瞬をその行為になりきるというのは深いものがあると感じる。
たぶん、混乱するのは、前半は純粋に唯識の考え方についての解説なのに、後半になると、いつのまにか生き方論になってしまっているからではないだろうか。
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ナゾの感動の書である。我々は生きなければならず、そして、他者のために生きて当然だと悟った。
西洋の哲学書は、ハッキリさせる、定義することが基本である。ゆえに全てを語れなかったり、矛盾を生じることもありで、イマイチ信用におけないなと思っていた。
本書では、分からないものは分からない、自分よりも他者を大事にするのは当然だと解く。自分という思い込みがそもそも幻想なのだから。苦しいなどの負の感覚や感情も自分が生み出している。ならそれを捨てれば良い。何と大胆な考えだろうか。
瞑想により自分とつながり、自分と向き合うことで、過去の辛い内容のドキュメント映画、未来のホラー映画を観ることが当たり前になっているココロに気付けば、この本の内容もスルリと腑に落ちた。ブッダという人がこの原理を我々に示してくれたことは本当に有難い。
某ファーストフード店で、こうやってこの文章を書ける幸せも、様々な縁起のなせる技である。その壮大な縁起の全てに感謝したい。
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唯識論の入門書。
坐禅を実践するかたわらに読むと実感が湧いて良い。
唯,心があるだけであって,目に見える物事は,それ自体としては存在しておらず,心が認識する幻影に過ぎないのであって,「自分」というものすら存在しない。
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ひとつの存在論としては面白いんだけど、「最先端の科学でも証明されました!」の連発には閉口する。あと妙な啓蒙書臭もあり、うさんくささは否めない。
もうちょっと冷徹に仏教の論理性を語ってほしかったなあという感想。
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筆者の考え方に偏向傾向が見られるため仏教書を始めて手に取る方には勧められない
ある程度、基礎があれば、偏向に気づき、より思索を深める契機となり得る書
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「豊饒の海」後半を読む準備として読んだ。
印度哲学科へ行く前は水産学科で魚の血液の研究をしていた著者。生命を対象として研究するより、その研究を行う自分のいのち自体に興味をもって転部した経緯や切実さからか、とても理解しやすい。量子物理など科学的で多方面から説明してくれるので、核心に触れることはできなくてもその可能性に対する希望を抱かせてくれる。つまり教えてくれたことを忘れずにいて実践しつづけようと。
「言葉_本当に安易に使うべきではありません。」
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横山紘一の書籍が唯識論にはよいと風のうわさを頼りに手に取ってみました。
図形を駆使して非常にわかりやすく、特に阿頼耶識とは何ぞやを説いてくれています。刊行当時で齢70歳の著者で、文章からすでに覚りの境地へ踏み込んでおられる感が伝わってくるぞね。
一切は阿頼耶識から作られたものであり、もはや自分すら存在しない。と同時に常に阿頼耶識の種子を良いものにするため、新しい自分を発見するよう精進しなければならない。何かぐるぐる回って、まさに諸行無常。本書ではことさら強調はされていませんが、こういったものは禅定による実践を経なければ本当の意味で理解することに達せないとの話です。確かに頭でわかったつもりでも、日常に戻ると常に妬み、恨み、虚栄心などの煩悩に取り付けれてしまう。凡夫たるゆえんか。にしても、世界の現大の常識からかけ離れた新しい捉え方として、実に興味部会です。