紙の本
ともに食べることは、ともに生きること
2005/11/25 20:10
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:喜八 - この投稿者のレビュー一覧を見る
スローフードとはなんだろうか?
直感的にはファーストフードの反対語だという答えが浮かぶ。しかし、そう単純なものではないようだ。「簡単で手早い説明を否(いな)むもの、それがスローフードだ」というもってまわった解説もできそうだ。
著者の島村菜津さんも『スローフードな人生!』を出版後「ところで、スローフードって本当はどういうことなの?」という問いを突きつけられ続けているそうである。安直に解答を欲しがるのは現代人の通弊なのかもしれない。
「スローフード協会」とはなにか? という問いには具体的に答えることができる。イタリア北部の小さな町ブラを発信地とする「食」を考える運動で、いまも国際本部はブラにおかれている。2003年10月現在、45ヵ国に800の支部があり総会員数7万7870人。日本国内には32の支部と2200人の会員が存在する。まさに堂々たる NGO といえるだろう。
『スローフードな人生!』はイタリアのスローフード運動にかかわる人々との交流を中心に展開されるが、運動そのものを紹介しただけの本ではない。本書の中で描かれるのは人と人との出会いであり、人がともに生きる姿である。
本書に登場する人たち。会長カルロ・ペトリーニを始めとするスローフード協会の個性的な面々。バローロ・ワイン復興の中心となったワイン生産者。トレヴィの泉の真向かいに店を構えるパン屋の主人。ロシアの産婦人科医であるベジタリアンの女性。アグリツゥリズモ(農ある田舎の民宿)の人々。南チロル地方のかたつむり料理店の主人。アメリカ人のスローフードライター。元マルクス主義者の詩人にしてスローフード協会の長老・・・。
中でも印象的なのが、ロベルト・ヴェッリとレナート・スカルペッリという2人のイタリア男たちである。本書の彼らに関する部分はまさに圧巻というしかない。
本書のタイトルは『スローフードな人生!』。最初は「スローフード」のほうに目を引かれた。けれども後になって「人生!」のほうにより大きなウエイトがあることに気づいた。考えてみれば当たり前の話である。あるスローフード協会員のいうように「ともに食べることは、ともに生きることと同義」なのだから。
旅先で興味深い人たちと出会うことのできる島村菜津さんの「人間力」に感服。もっとも本書は一通りの取材から仕立て上げられたようなものではない。食の生産現場に何度も足を運び、ドン・カプラやレナート・スカルペッリといった一癖も二癖もある人物たちと信頼関係を築いた上に成立している。
丹念に時間をかけてつくりあげた名品ワインにも譬(たと)えられるような、上質の酔い心地を読者に味合わせてくれるスローな一冊。
紙の本
かたつむりのようにスローに理解すること
2003/07/27 01:19
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
哲学者は長年「方法的懐疑」に磨きをかけてきた。これに対するジャーナリストの常套手段は「方法的わからずや」(アイロニカルではない批判精神)である。目から鼻に抜ける理解力ではとりこぼしてしまうものを、腑に落ちるまで時間をかけて、たくさんの人の話を聞き、現地に赴き体験を重ねながら少しずつ、かたつむりのようにスローに理解し、素材ごと読者に伝える。
著者は、最初に訪れたイタリア北部の片田舎で、スローフード協会の副会長シルヴィオさんから「すべては関係性の問題なんだ。人と人、人と自然とのね。他者といかにコミュニケーションをとっていくのか。大地からの恵みをどうやって口まで運ぶのか。そういう根源的な関係性の問題の根底に食というものがあるんだ」ときかされる。そこからジャーナリストの旅が始まる。
ローマの反マクドナルド闘争を通じて、ファーストフードとスローフードの単純ではない関係に思い至り、イタリアワインや山羊のチーズの生産者、アグリトゥリズモ(農業と宿泊施設がひとつになった田舎の宿)の経営者に取材し、またスローフード協会が進める「味の教室」に参加し、遠くロシアの家庭やイタリアの「スロータウン」で共食(コンヴィヴィウム)の楽しさを知る。
そして最後に、「大げさな言い方をすれば、スローフードとは、口から入れる食べ物を通じて、自分と世界との関係をゆっくりと問い直すことにほかならない」とシルヴィオさんの言葉の意味を理解し、「人類の壮大な夢を託したスローライフ」の実践者たることを決意する。──小泉武夫さんが誉めている。「こんなに大切なことを書いた島村なっちゃん、偉いぞ」。
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かつて、「大きいことはいいことだ」って言うCMがありました。昭和40年代でしょうか?高度成長期にあり、つつましいことを美徳とした戦前戦後の生活から豊かな生活への価値観の転換の意味があったのかもしれません(CMは単にチェコレートのCMなんですけど(^^;)
スローフードと言うと、どうしても言葉につられて、ファーストフードの対極的な意味に捉えがちで、決して違ってはいないけど、もう少し目指すところは意味が深く哲学的なのかもしれないと感じます。
スローフード推進者にだって、忙しく飛び回るように仕事をしている人もいるし、中にはファーストフードで食事をする人もいるのではないでしょうか?それがいけないと言うような排他的な考えがあるとは思えないと言うのが読後の感想です。今、口にしようとしている食べ物の価値をもう一度考えてみよう、、そこからスタートするのかなと。豊かさを時間の中に見つけようと言うことかもしれない。
味噌は熟成に1年かかり、地方地方の特徴が残っている・・・と言うことならスローフードにマッチした食材と言う事で、味噌関係者の中にはスローフードを歓迎する声も聞かれるが、確かにそういう側面を持っていながら、本当の意味は、味噌と言う表面的な価値観のマッチングだけじゃないぞって言うのが見えてきたような気がします。オートメーション化されたなかでコンピュータが制御して大量に造られる味噌、、、それでもスローフードかどうか、、そんな事を考える時間こそがスローフードの意義かもしれない。2003.5.13
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スローフード、スローフーダーとは何たるや、難しい言葉を使わず、一気に頭に入ってきて、わかりやすい。イタリア人をさらにイタリア人にしたような人物の魅力たっぷりに、自然やおいしさの感動そのままに書かれていた。すっかり「スロー」に魅力を感じでしまった。
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はじめまして!
布ナプキンのお店 Prinful-プランフル 店長タナカです。
時間に追われて、
おなかが満たされればなんでもいいと、
買ってきたものをそのまま電子レンジでチン。
作る楽しみ、食べる楽しみ。
改めて感じる一冊です。
手で調理した食材を、香りでおいしさを創造して楽しみながら
変化を目で見ながら、味見をしてお気に入りのお皿に
盛って食卓を彩る。
食材をそろえてイチから作ることが、
自身や家族の食の安心安全につながり
食の豊かさを生むのではないでしょうか。
お店はこちら→ http://prinf.lead-in.co.jp
店長タナカのブログはこちら→http://prinful.jugem.jp
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食事をともにする場面では各地のいろいろな料理やワイン、チーズなどが紹介され、もちろんそれぞれがおいしそうで、その場所を訪ねたりイベントに参加したくなりますが、それにもまして印象に残るのは、人と人が食事をともにして同じ時間を過ごすこと、一緒に食卓について同じものを食べ、飲み、語り合うことの楽しさ、おもしろさ、意味深さ。「スローフードとは何ぞや」みたいな正面切ったリクツっぽい話は最初に少しだけ、その代わり要点を突いたものがあるだけで、あとはスローフード運動のさまざまな側面が、それに携わる人々の話や姿を通して展開されていきますが、これがとにかくおもしろい。
実は本書を読んだのは私自身が外食チェーンという、まさに味の均質化を推進する側で仕事をしていて、そのことにいろいろな疑問や違和感を感じている時期だったので、地域のローカルな食材や料理を愛で喜び、多様性を幅広く享受することを力強く肯定する本書の内容がいっそうこたえました。日本でも全国にそれぞれの地域を代表するおいしい料理や食べ物が健在で、しかもそれらを簡単にリーズナブルに楽しめるような方向に進んでほしいものです。おぉそうそう、酒もね(笑)
詳細は⇒ http://hoch.jugem.jp/?eid=286
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スローフード運動とは、個人をがんじがらめにしてゆく「ファーストライフという名の世界的狂気」から、人間性を回復すること。
それは、食を通じて五感を養い、気づきをもたらすこと。
つまり素材・味・食べ方・食がもたらす感覚的メッセージ・分かち合う人々に気を配るといった質の高い食生活を実現することからはじまるのだ。
スローフードという運動の根底にある人間の心・活力の回復を端的に示す話として「山羊神父と風変わりな男たちがつくる山羊のチーズ」は印象に残った。
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前々からメモっていた本を手に取ってみた。
奇しくも、食品偽装問題やら、和食の無形文化遺産など
時事的にも『食』が取り上げられていたので、
そういった事象を時々頭に思い浮かべながら読んでしまった。
イタリアの食文化を通してスローフードとは何かを紹介している著書。
ファーストフードの対義語のように使われるが、
均質化した食文化を見直そうという趣旨。
所謂、地産地消などの取り組みもこの考えに当てはまるのだと思う。
経済原理を組み込み過ぎて、均質化して、即席で、楽しむという事を
欠いたものは食事だけでなく、生活の至るところにある。
それに警鐘を鳴らしているのは理解できる。
しかし、イタリアの食旅みたいなもので紹介されても、
確かに興味は持つが、実際日本でどうしたらいいのか
或いは経済と切り離す上でどういう生活スタイルを築けるか
といった具体的な今後の展望の話が少なかったように思う。
もっとなんでこうなって、どうしたらいいのかを学術的な側面も併せて
食文化について知りたいと思った。
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偉大なワインは決して一人なんかでは飲まないだろう。
ワインがあれば世界中で会話が生まれる。
食べて飲んでそこに友がいる。人生には一番大切なことじゃないかね?
現代社会にあふれかえる加工食品は、過去の人類の願望の産物であることをよく踏まえたうえで、我々はそのどこが問題なのかをよくよく論議していく必要があるだろう。
「全ての市場で売られているものは、いちいち良心に問うことなく食べるがよい。地とそれに満ちているものとは、主のものだからである」コリント人への第一の手紙
カタツムリの強さ、のろまに見えて柔軟性と強靭さに富むパワフルな生き物