紙の本
人生いろいろ。死や生をどう受け止めるかもいろいろ。自分なりの死生観を持つ助けになりそうな本です。
2005/02/15 04:36
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
臨済宗の僧侶であり、『中陰の花』で芥川賞を受賞した作家でもある著者が、死について思うところを忌憚なく記したエッセイ。ゆったりした行間・大きめの字・紙も厚め。そして語り口もどちらかというと軽やかなので、「死」という主題の重さに反し、あっという間に読めてしまう。
死や死後の世界、〈たましい〉や〈霊魂〉などについて、古今東西のさまざまな著述、〈臨死体験〉や〈変性意識〉その他の事例の報告や医学的な研究もふまえ縦横無尽な思索を自由に展開している。
著者は死ぬとどうなるのかについて幼い頃からずっと考え続けており、小学生の時は死ぬのが怖くて泣いていたこともあるそうだ。しかし、中学生の夏に生と死のはざまをさまよう経験をしてから「死」に対する恐怖感は幾分やわらぎ、考え方も少し変わったという。
科学的には、死後の世界は「ない」とは断言すべきではなく、「ある」とも「ない」とも言えないというのが正しい。それは著者も述べているように釈迦の「無記」(質問されても答えようとしなかった)と同様である。その後で著者は、自分は「ある」とも「ない」とも決定することができない死後のなにものかを「信じている」と述べる。
死生観や生死観は人それぞれ異なるのだが、自分の死生観や生死観が「ふつう」で「普遍的」であるように勘違いして「仏教的にはこうなのだ」とか「日本人はこうなのだ」と無責任に断言する本も少なくない中、このように落ち着いたスタンスで自分の立ち位置を表明し、そこから自分の「死」観をこんなにもゆったりと語ってくれる本は貴重だと思う。
もっとも、だからといって著者のような「死」観が唯一絶対であるわけではないので、人それぞれ、生きて行く中で自分なりの「死」観を徐々に形作していけば良いのだろうと思う。
そういう意味で、「死ぬとどうなるの?」をゆっくり考えたい人にはお勧めである。あんまり切羽詰まった状態で知りたいと思っている人には、うーん、そんなに急いで知ろうと思わなくても良いのでは? という提言や息抜き、振り返りのきっかけになってくれる本だと思う。
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禅宗の坊さんがタイトルの問いについて語ったもの。
結局結論は出ないわけだが非常に興味深い内容で面白かった。
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[ 内容 ]
「あの世」はどういうところか。
「魂」は本当にあるのだろうか。
宗教的な観点をはじめ、科学的な見方も踏まえて、死とは何かをまっすぐに語りかけてくる一冊。
[ 目次 ]
第1章 死とはなにか?(死の定義;どの時点が死なのか ほか)
第2章 「あの世」って、どういうところ?(「あの世」という呼び方;さまざまな「あの世」 ほか)
第3章 魂って、あるのかな?(知性と科学の限界;全体性と私 ほか)
第4章 あらためて、死とは何か(プチまとめ;論理の限界 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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平易な文章で「あの世」や「空」がわかったような気分になる本。分からない、言葉に出来ない概念を扱っているから、もっと分からない語り方でもいいかな、とも思うけれど、わかりそうな気分になる文章ではこれが限界なのかもしれない。科学知識の大雑把さはわざとだろうからツッコミが入れにくい。たまに挿入される落書きがかわいい。日本のあの世観はなかなか面白かった。自殺はもったいないという洞察には温かみを感じる。
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最後の、確かめないでね、が効いています。自然に死を迎えることで、思いも寄らなかった自分の人間性に出会えるのを楽しみにしておく…その発想が面白いです。
自分らしく=実は自分らしくない、作られた姿。
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著者の玄侑宗久氏は、2001年に『中陰の花』で芥川賞を受賞し、その後も多数の作品を著す、福島県の福聚寺の住職である。
著者は本書で、「死んだらどうなるのか?」について、1.死とはなにか?、2.あの世とはどういうところか?、3.魂はあるのか?、という大きく3つのテーマに分けて、仏教、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、日本の古来の思想などの視点に加えて、最新の科学的な知見、臨死体験の話なども含めて、様々な考え方を縦横に紹介している。
そのため、我々読者も「死んだらどうなるのか?」について自然に思いを巡らせることになるが、結論としては、予想された通り、「もとよりこの本のテーマは、論理的には解けない問題だったのだと思ってお許しいただきたい」と、明確な答えが示されることはない。
その上で、著者が最終的に提示するのは、「むろん死後はまったく無だと考えることも、それはあなたの自由だ。しかし断っておくが、そう考える人生上の利点は、あまりないだろうと思う。勝手なことを言うようだが、人生は断絶しつつも連続していると思えるからこそ生き甲斐も感じ、成長もするのだろう。死のあともその続きがあるとしたらなおさらではないだろうか」、「わからないことを思い詰めて悩んでも仕方ない。すべてが夢かもしれないと肩の力を抜きつつ、しかしすべてが現実として精一杯生きなければならない」ということなのである。
「死んだらどうなるのか?」の結論は得られないが、「死んだらどうなるのか?」を十分に考えさせてくれる、(ちくまプリマー新書ではあるが)大人にとっても読む価値の大きい一冊である。
(2005年9月了)
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融通無碍。
100分de名著の「荘子」の回も面白かったし、これも面白かった。
なるほど、「死」を考えることは、あらゆる学問に回路が開くということなんだなー。内田樹先生の本の雰囲気に似てる。
きっと唐に派遣された学僧って、玄侑さんのような方だったんだろうな。
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「あの世」はどういうところか。「魂」は本当にあるのだろうか。宗教的な観点をはじめ、科学的な見方も踏まえて、死とは何かをまっすぐに語りかけてくる一冊。
目次
第1章 死とはなにか?
(死の定義;どの時点が死なのか ほか)
第2章 「あの世」って、どういうところ?
(「あの世」という呼び方;さまざまな「あの世」 ほか)
第3章 魂って、あるのかな?
(知性と科学の限界;全体性と私 ほか)
第4章 あらためて、死とは何か
(プチまとめ;論理の限界 ほか)
著者等紹介
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
1956年福島県生まれ。慶應義塾大学文学部中国文学科卒。様々な仕事を経験した後、83年より京都、天龍寺専門道場にて修行。現在は臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。デビュー作「水の舳先」が第124回芥川賞候補となり、2001年、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞