紙の本
こういう人と仕事がしてみたい
2010/05/25 20:16
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投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
今さらながらこの本を読んでみた。年初に発売されて結構評判になっているのは知っていたのだが、ま、読まなくてもいいかな、と何となくスルーしてきた。
ところが先日TBSメディア総研の前川英樹さんの講演をお聴きした際に、前川氏がこの本を引用されていたので、また思い出して、少し気になって、買ってみて読んだという次第だ。
前川氏が引用されたのは2箇所:
「あー、おもしろかった!」で終わるコンテンツにしてはいけないということ。そこで終わると、ウェブ広告の場合は効果が尻すぼみになる。なぜなら、ウェブは無限空間だから。(中略)地上波テレビは、映像が流れるスペースが有限(チャンネル数×24時間)で、まだ救いがあるのだが、ウェブの場合は、なんとしても、“紹介スジ”に乗らなくてはいけない(143ページ)
CGMにアプローチするときに一番マズイのは「CGMを使ってやろう」といったエラそうな考え方だ。あくまでも「CGMの仲間に入れてもらう」という謙虚さが絶対に必要だ。なぜならCGMのユーザーたちは「プロの参入」も「資本の投下」も、基本的には歓迎しないからだ。そもそも「イラネ」なのである(175ページ)
当然地上波テレビの人なので、テレビの観点からの引用である。で、僕もまたテレビの人間である。かつ、テレビの業界の中ではネットの世界にも一応詳しい方だ(と自分では思っている)。だから、読んでみて「目からウロコ」というほどの内容はとりたててなかった。ただ、いちいち「なるほど、確かに」と思うことの連続である。そして、何よりも感じたのは、著者である須田氏の謙虚さであり、好奇心と探究心の旺盛さであり、発想の柔軟性である。そういう資質こそが、彼をして今の広告界をリードせしめ、かつ、こういう本を書かしめたのである。
全部読み終えてみてもうひとつ残ったのは、前川氏の興味が引っかかったのはこういう所だったのか、という驚きである。当然、今回の彼の講演のテーマに合せて引かれたのではあろうが、しかし、これはこの本のエッセンスからは少し遠いところにある記述である。
この本のエッセンスは、クライアントではなくユーザの立場に立つこと、表現に凝るのではなく使い勝手を考えること、コンテンツではなくコンテキストを見ること、である。ところが、そうなってくると、それはテレビの広告手法からは少し離れて行くことになる。テレビではできない表現方法を加味することになる。そうしようとしたときに、一体どうして良いのか、前川氏には今イチ解らなかったのが、上記の2箇所なのではないだろうか?
確かにテレビ局の社内に社員として留まっている身からすれば、この本を直接自分の仕事に役立たせようとすると首を傾げる面があるかもしれない。しかし、それはテレビの中で完結しようとするからである。
僕はこの本が、テレビがテレビの中から一歩踏み出すきっかけになれば良いなあ、と思っている。そんなに難しいことではない。つまりは、須田氏のような謙虚で好奇心と探究心が旺盛で柔軟な発想力を持つネット側の人々と組めば良いのである。
あまりネットに詳しくない人に対しても、解りやすい具体例と解説で非常に理解しやすく書いてあり、最後の総括も明快で読みやすい本である。そして、何よりも著者の人柄が感じられるところがなおさら良書なだと思う。こういう人と仕事がしてみたい。
by yama-a 賢い言葉のWeb
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「明日の広告」のシリーズのような内容。平易な文体で気軽に読める。uniqlock,mixi年賀状,ファイブミニ・キャンペーンなどCGMを中心とした実用的なブログパーツ展開やサービスなどを核に据えて“実用的に使ってもらえてナンボ”のマーケティング論を展開する。
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広告って必要ないんじゃね?そんな自分の中での疑問や、社内からの視線を受けながら毎日宣伝業務に勤しむ自分。
本書に書かれている内容は、そんな自分の実感とシンクロしまくり。「使ってもらえる広告」というのを僕の感覚て言い換えれば、「広告それ自体も良質のコンテンツである必要がある。」ということ。
忙しくて見てもらえない時代に、広告はわざわざ接触する価値のあるものでなければいけない。それには広告そのものがユーザーに価値のあるものでなければいけない!喜んでもらえるものでなければいけない!
ユーザーは「デジタル当たり前」「わざわざ広告に教えてもらわなくたって知っている」「関係ない情報はスルー」というスタンスで広告に接触していることを忘れないようにしないと。
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『使ってもらえる広告』
=消費者にとって利用価値のあるサービスや商品のこと。
今後の広告は「使ってもらえる」ものでなくてはならない、
というシンプルな結論が、しっくりとくる。
常に相手視点で考えることを再認識されてくれる本。
表紙が単純なのが気がかりだけれども…
***
「使ってもらえる広告」とは、ようするに
人びとが商品を買ってくれやすくなるような、便利なサービスや仕組みのことだ。
それを広告会社で開発して提供するのである
→自分がblogを書く時も、消費者(=見てくれる人)にとって利用価値のある(学びがある、楽しい)内容にしないといけない、ということを強く学べた。
ウェブを使っているユーザーは、
テレビを見ているユーザーよりも行動が積極的
→モバイルの状況を鑑みるに、「モバイル>ウェブ>テレビ」という順になる。
行動の積極性を基準にした場合。
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表現としての広告vsサービスとしての広告
表現による広告への疑問
広告表現というものに限界が来ているのではないか?
広告クリエイターたちは、いかに素晴らしい、あるいは説得力のある表現を生み出せるかを必死で追求してきた。
いまや人々はどこかの"族"に属するというよりも、自分の中に"属"する複数の嗜好(属性)をフラットな状態で同居させながら日々を過ごしている
ユーザーはさまざまな「タグ」を抱えている
ユーザーが所有する個々のタグがいかなるものであろうとそれを乗り越えてコンタクトできるような方法。それが「使ってもらえる」というアプローチ。ヒントは、YouTubeやMixiのようなあらゆるタグを包括するサービスインフラを構築すること
「メディアは変わる、人間は変わらない」
大衆から分衆へ、そして個々のユーザーへと生活者像は変わりつつあるが、人間そのものの本質が変わったわけではない
人間に向き合うこと
いまの広告=(ウェブ+PR)×テレビ
gooでの検索数を伸ばしてほしいという依頼に対して、「gooで検索してくださーい」という表現の訴求をしていない
もはやユーザーは広告に表現、つまり業界で言うところの繰りエイティブを求めてないんじゃないか?
表現は結局、それを楽しみたい人にしか届かない
ユーザーに商品のことを「どう伝えるか」を考える前に、条件反射的に「どう表現するか」を考えてしまっているのではないか。本来手段であるはずのクリエイティブが「目的」になってしまっているような気がする
みんなメンドくさいからウェブ使うじゃん。なのに、ウェブの中にまたメンドくさいコンテンツがあってどうするんだ
広告はそれが出ていく似姿になる
新聞=ジャーナリスティックな広告、TV=映像エンタテインメントメディア WEB=サービスのようなコミュニケーション
電車の乗り換え案内に芸術的なデザインや印象的な映像、泣けるオチのあるコンテなんかが果たして必要だろうか?
cf. Google検索のシンプルさ
モノが売れない時代なんだから"モノを動かす仕組み(サービス)"そのものを広告的な発想で開発すればいい ex. Mixi年賀状、トリンプおねだり機能(コンバージョン率80%以上)
だれもが忙しく、自分に関係のない情報、見たくない情報につきあっているヒマなどない昨今のような情報下で、商品を「利用して欲しい」といくら広告表現で訴求しても「利用する必然」は発生しない。しかし、人は自分の役に立つサービスのためなら、忙しい中でも積極的に時間を割く。「商品を利用してもらいやすくするサービス」を開発すれば、その「必然」をクリエイトすることができる
ユーザーに愛される5つの極意
①つっこまれクリエイティブ
つっこみやすことで、ユーザー発信を刺激できる。つまり、伝播しやすくなる
「なに、それー」「そうキタ?」「うわ、スゲー」と言いたくなるような仕上げのつっこみどころを3つ用意する
②ルールクリエイティブ
ユーザ���が参加しやすいシンプルなルールを「ひとつ」だけつくるべし ex. ニコニコ動画「ひとこと動画」
③コンテンツ消費からコンテクスト消費へ
コンテンツ群を発生させる"場"そのものをコンテクストと呼ぶ。場によってウケ方は違う
④仮説検証から仮説探索へ
永遠のβ版、ユーザーの反応に合わせそのつど軌道修正していく
⑤全員シロートの時代
自分から行動して勉強する姿勢と、だれに聴けばわかるかを探り当てる勘と。それでもわからないところは大胆にお任せする割り切りと、その際の人選を間違えない嗅覚
使ってもらえる広告の先にあるもの
+「ストーリー」
あらゆるコミュニティの核には、必ずストーリーがある。ストーリーの働きとは、人を集めてコミュニティを形成すること
。そしてストーリーはすべて、その時代の要請に応えて現れる(富野由悠季)
ネットによって国籍から解放された文化籍、興味族という新しい民の出現
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多くの人が、もう欲しいものはたいてい持っている。
あるいは持っていなくてもWebを通じて情報は知っている。
自分も周りの人間も、今やTVよりもWebに接する時間の方が長い。
そうした状況で効く広告というのは何か。
筆者は「ミクシィ年賀状」や「UNIQLOCK」などに代表される、
「使ってもらえる広告」に可能性を見出した。
もう「表現」の優劣で購買意欲に向かわせる事は難しく、
「サービス」こそが広告を成立させるという。
納得はできる。
が、次々に生み出されるサービスをどんどん消費していく
我々現代人の限りない欲望にも一抹の不安を覚える。
ところで、
江戸時代に、歌舞伎役者が幕間に歯磨き粉の宣伝をしている様を
描いた浮世絵が残っている。
人々が歌舞伎を観たがった時代は歌舞伎で宣伝をし、
新聞を読んだ時代は新聞で、
TVに熱中した時代はTVで宣伝をする。
そして今、Webを使いこなす時代はWebで宣伝をする。
広告はいつも「浮き世」とともにある。
という一文が印象に残る。
「センセーショナルにTVCMは終わった!これからはWebだ!」
という論調が一時多かったが、つまるところこういうことだろう。
今やTVCMも、さまざまな広告の一部でしかなく、
TVCMだけで「大衆」すべてを包括する事は難しい。
しかし、そうなるとメディアコストの問題が出てくる。
今やWeb上のバナー広告もかなりの高額になっているので
TVCM もWebも屋外広告も....というわけにはいかない。
各企業が大幅に広告費を削減している現在、
おそらくメディアコストは大幅に引き下げられるはずだ。
広告代理店やメディア企業のありかたが問われてくるだろう。
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誰もが忙しくなって、自分に興味がない情報や見たくない表現に
つきあっているヒマがない状況下で
インターネットでのコミュニケーションがキーになってきてます。
いくらよいCMを制作して消費者が興味をもっても、ネットでみて、
みんなの声を聞いたら「そうでもないじゃん」みたいな状況で
ほんとうに今までの「表現によるメッセージ訴求」でよいのか?
という疑問から筆者なりの答えを導きだした本。
TVCMなどのマス媒体と違い、インターネットは消費者の反応が
ダイレクトに届く。接触の仕方が非常に能動的である。
そんな中でインターネットの広告は
「表現としての広告」ではなく「サービスとしての広告」
でなければならない
つまり「使ってもらえる広告」でなければというわけだ
それは、我々が普段ウェブを使うシーンを思い出してもそうだが
お店の情報を得たり、乗り換え案内を使用したりと
自分の目的を瞬時に解決するためのツールとしての割合がウェブには多いのでそこにクリエィティブなどあまり関係ないということ。
(全てがそうではないよ~)
ならばウェブでのコミュニケーションは「乗り換え案内」的な
人に使ってもらえるような広告を作ればいいじゃん!
みたいな発想で筆者が開発したサービス「ミクシィ年賀状」などを紹介。
ただ、ウェブの世界ではマスの接触人数と比べると断然少ない。
なのでどんないいサービスを開発しても知ってもらわなければ
広告としてはなりたたないため、うまく広告する方程式として
(ウェブ+PR)×テレビ
と表現しています。
これはとても共感を得た部分。
つまり、ウェブのコミュニケーションをPRの力でパワーアップして
テレビの力で爆発させるという方程式。
ここを踏まえた上で「使ってもらえる広告」というコミュニケーションの開発はほんとに強いとかんじます。
最後に書かれていた広告制作の5大ハードル
「新しいか?」「見たことないか?」「わかるか?」
「企画や商品のシズルがあるか?」「荷が動くか?」
ほんと身を削る作業ですが、肝に命じたいです。
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博報堂のクリエイティブディレクター須田和博氏が書いた「使ってもらえる広告」をかなりの期待感をもって読んだ。
その中で印象に残った言葉が、タイトルの「ユーザーを見ろ、クリエイティブを見るな」。
知らず知らず広告制作が目的となって、本来の課題解決の手段ということを忘れてしまう、クリエイターが陥りがちな考えを戒めるもの。
今に始まったことではなく、昔から何度も聞いてきた広告作りにおける基本中の基本ともいえる言葉だ。
副題「見てもらえない時代」の効くコミュニケーションとあるように、
広告が効かなくなったといわれる現在にあって、はたして効く広告とは?を
須田氏なりに検証し、今後の広告の姿ということでの提言をまとめている。
効かなくなった広告とは、たいていの場合テレビや新聞のマス広告を指すわけであるが、最後まで読んで思うことは、今後効く広告というのは「使ってもらえる広告」で、それは従来のようなテレビCMや新聞広告ではなく、WEBならではの機能性を持たせた広告に見えない、ツールのようなものだというのが須田氏の考え。
つまり、(従来のような)広告なんてもういらない、という声に対しての反論ではなく、残念ながらその通り、という結論なのである。
広告クリエイティブという枠にこだわっているから駄目で、広告という枠を飛び出せば、無限の可能性が広がっているということは間違いないと思う。が、難しいのは、会社の事情でその枠を飛び出せない場合、どのようにしてその枠を飛び出せばよいのか、わかっていてもそのロードマップが描けないことだ。
そういう意味で、自身のmixi年賀状、ユニクロのユニクロックなど、成功事例をベースとした今後の取り組み方の基本はわかるものの、事例が事例だけに、読み終わっていささか消化不良が残った。
読者が、広告の枠の中でもがいている人を対象としているのか、抜け出して新しい世界に行っている人を対象としているのか、その立ち位置の違いで、感想も180度違ってくるのであろうとも推測するが・・・
本書は、電通・佐藤尚之氏の「明日の広告」と同じアスキー新書。
佐藤氏の大ベストセラーを受けてを受けて、博報堂で同じような立場にある須田氏に白羽の矢が立ったと想像するが、内容的にも残念ながら二番煎じという域を脱していない印象。
ただ決定的に違うのは、佐藤氏の明日の広告には、旧来型のアドマンにも温かな視点が向けられていることだ。
そういう意味で、明日の広告での「明日への元気をもらった」という感情とくらべ、あらためて従来の広告の限界(特に中小広告会社における)を知るばかりで、寂しさがつのる複雑な読後感であった。
「ユーザーを見ろ、クリエイティブを見るな」つくづく難しい言葉だと思う。
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表題どおりの内容です。
平易な言葉で分かりやすく書いてあるのでさらっと読める反面、そんなに大発見が眠ってるわけではないような・・・ 著者独自の切り口があるというわけでもないです。うまく括って分かりやすく記述した感じ。
この内容を読んで、驚きや感銘が少ないのは、もしかしたらこの本自体の目線がもっと年上に向いていて、僕らの世代にとってここでの内容は、そんなに違和感がないからかも知れない。おじさん向け。
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* 使える広告
- mixi年賀状やファイブミニーの広告例
- webを活用したプロモーションについて
- いまでは当たり前のようにいわれていることをわかりやすく説明
- メディアそれぞれに適したの表現方法がある
- 小さいモバイル広告のなかでもそれは経験していたのでかなり納得
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(イベント+ウェブ)×広告。ソーシャルメディアの活用事例。既存のマスが「もう駄目かも…」と思ったら読んでみる。広告屋はコミュニケーション設計事務所となる時だ。
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とっても良書。Web時代の広告についての謙虚で前向きな展望がある。クライアント側も代理店側も全員読んだらいいと思う。
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すごくよく出来ている。
ネットと4大メディアの話は、ネットが主で話が進むのが多いなか、これはメディア側から書かれているため、むしろ分かりやすく、秀逸。
また、技術論でなく、人間の行動心理や感情を軸に展開されていて、読み応えのある一冊。
オススメです。
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mixi年賀状やファイブミニのプロモーションなど事例と共に、須田さん自身の狙いや気持ちが書かれていて、今後自分が企画を考えて行く際に参考になりそうだと思いました。
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広告制作者の立場から書かれた「これからの広告」。代理店の中でこれだけの危機意識を持ってる人は珍しいかもね。