紙の本
全く知らない人でしたし、なにか凄いことをしたという事績があるというわけでもない。ただし、時代の証人としては最高の人かも。しかし、凄い量の日記です・・・
2008/03/04 20:38
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんでこんな本をお前が読むか?と思われるでしょう。少なくとも私がメインで読むような内容ではありません。維新以来の我が国の歴史、特に皇室が大嫌いな私にとって「宮中」なんて聞いただけでも、頭に血が上る。いつまでも皇室、政治家、官僚、軍人嫌いじゃあいけない、長女だって影響されるぞ、とは思うんですが、これが哀しい女のサガ・・・
じゃあ、なんで?倉富勇三郎なんて名前も知らないし、勿論、佐野のよい読者でもありません。実はキーワードがあります。「枢密院」「記録魔」「世界最長」「白蓮騒動」「誰も読み通せなかった超一級史料」がそれで、こういう文字を見ると心が動く。「白蓮騒動」なんてなんだか「白蓮教徒」みたいで意味わかんないなりに格好いいし・・・
しかもです、webの案内がいいです。正直、傑作。写しておけば
大正期、激動の宮中におそるべき“記録魔”がいた!宮中某重大事件、皇族・華族のスキャンダル、摂政問題……。誰も読み通せなかった超一級史料にノンフィクションの鬼才が挑む。
一読茫然。日記に生涯を捧げた男 その名は倉富勇三郎!
幕末に生まれ、明治、大正、昭和を生き、三代の天皇に仕えた倉富は、時代の変遷をどう見つめ、年月の足音をどう聞いて、記録にとどめたのか?いざ、前人未到の倉富ワールドへ!
です。特に「一読茫然」以降がいい。煽って煽って煽って。「幕末に生まれ、明治、大正、昭和を生き」というのもいいですが、「いざ、前人未到の倉富ワールドへ!」ですよ。これって
西尾維新が挑む時代活劇!こんな物語を待っていた!!
を連想しません?勿論、『刀語』の宣伝文句の締めの言葉ですが。完全にエンタメ、講談社BOXのノリ。ちなみに、世界最長の日記とあるものは、大正八年~昭和十九年の26年間にわたるもので、大学ノート297冊にのぼり、その字は判読しがたいがために、読み通す人がいなかったそうです。
一日の日記量が、原稿用紙50枚を超えることもあったというそれは、昭和十九年大晦日に書かれた「午後五時[十七時]三十分頃、硬便中量」という記事で最後となります。富倉はこれから4年後に亡くなったそうです。享年96歳、昭和23年のことだそうです。ちなみに倉富勇三郎は、ペリーが浦賀に来航した嘉永6年(1853)に久留米藩の漢学者の家に生まれています。
東大法学部の前身の司法省法学校速成科を卒業後。東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部長官、貴族院勅選議員、帝室会計審査局長官、宗秩寮総裁事務取扱、李王世子顧問、枢密院議長などの要職を歴任。家庭は円満で昭和17年には結婚60周年を迎えています。慶應3年(1867)生れの内子夫人は必ずしも健康だったわけではなく、若いときから病弱で、大正に入ると原因不明の痙攣をよく起こすようになったといいいます。享年79歳、昭和20年8月19日に亡くなっています。
内容で特に面白いのは、第四章の「皇室は経済観念ゼロ」「皇室が洋行したがるわけ」です。国内にいれば、大した生活費がもらえるわけではない、でも海外留学となれば年額4億5千万円が使い放題だとか。そのお金が目当てで、皇室が洋行したがるわけだそうです。しかも海外で好き放題の遊びを下らしい。そんな話、今まで教わったことないぞ!
皇族・華族がらみのスキャンダルもたっぷり。倉富の主家である有馬伯爵家の頼寧は、経済観念なく女遊びに現を抜かし、右翼に脅される。徳川慶久の妻への暴力、毛利家に嫁いだ女性の醜聞、パリで女遊びをしてきた東久邇宮稔彦、御猟場での銃による事故、弁当配達夫の射殺、徳川家達の身持ちの悪さ、ごねる柳原義光。それと皇居に少年が侵入し皇后の身近にまで迫ったという事件。
それにしても、一日の量が原稿用紙50枚という日記を何時どこで倉富は執筆したのでしょう。基本は自宅だそうですが、執務中に日記の元となるメモ・下書きを作っていたそうです。メモがあるから、時間が経っても記憶を呼び起こすことが可能で、後に書かれたものもあるといいます。大正に入ると、自分の物忘れについての記述が出てくるのは、愛嬌。
倉富の日記を一日かけてワープロで文章化したら、結局その日記の一日分に過ぎなかったという文からは、佐野のうんざりした顔が浮かんできて微笑んでしまいます。真の皇室像はここに描かれたといっていいかもしれません。
カバーというか帯と言うか、その言葉は
大正期、激動の宮中に
おそるべき“記録魔”がいた
世界最長の日記に
佐野眞一が挑む!
宮中某重大事件、皇族・華族のスキャンダル、
摂政問題、白蓮騒動、身辺雑記・・・・・・
とにかく書いた、何でも書いた。
誰も読み通せなかった超一級史料を
ノンフィクションの鬼才が味わい尽くす!
紙の本
官僚出身の男爵の日記から。
2010/11/20 23:55
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
甥が作家の広津和郎という官僚から枢密院議長となり男爵に列せられた倉富勇三郎の日記の一部を要約して解説した本。長くて癖字で読みづらいが史料性はある、というので、最近出る日本近代史の本でよく引用されている。 この本で取り上げられているあたりから国書刊行会から刊行される。
安くはないけれど。
竹田宮家の交通事故みたいに、該当者が思いつかないので、一体誰が起こしたのだろうと首を傾げる箇所もある。
口絵にある倉富勇三郎の写真を見ると勲一等旭日桐花大綬章及び瑞宝章と一緒に似たデザインの勲章を佩用しているが、韓国の勲章だろう。彼は大韓帝国の法部次官を務めているので、その頃に賜ったのだろうが、大韓帝国には結構色々な勲章があるが、何という名前の勲章だろうか。旧韓末に当たる明治末期の日記は存在していないようだ。あるいは最初から日記が書かれていないのか。
昭和の「満洲帝国」は次官級に日本人を迎えたが、旧韓末も同じわけで、ただし「満洲帝国」にとっての関東軍総司令官に当たるのが、文官の韓国統監だ。その時代の日記もあればいいのに。
明治40年の英王渡日から大正末まで英王に仕えた高義敬伯爵は日本語が上手だったらしい事が、この本から読み取れるが、大正時代の朝鮮貴族で日本語が話せる人がどのぐらいいるのかな、と思った。日本留学生出身者か高義敬みたいに日本での生活が長い人ぐらいか。以前フジテレビで放送したドラマで渡辺いっけい演じる高義敬が日本語が話せても設定に問題がないわけだ。伯爵が朝鮮人参の効能を伝えるとはこの本で引用された高義敬伯爵像もなかなか興味深いものだ。
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倉富勇三郎と聞いても、一般にはそれほど名の知れた人物ではない。しかし、さすがにその職歴・公務内容から人脈は広く、正に日本近代史の中心を体験した人物なのだ、と思う。
本書は、日記の解説というか、日記から当時の様子を眺める、というスタンスで記されたもの。倉富の生きた時代を追体験することができる。いわば、倉富の目という定点で観測した近代史である。今後も翻刻が継続され、公刊されることを望む。
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倉富勇三郎なんていう人は、よほど日本現代史に詳しい人でないと知らないのではないのではないでしょうか?。僕もまったく知らない人でした。
しかし、役職を見れば枢密院議長。天皇の最高諮問機関である枢密院の議長を勤めたわけですから、大官中の大官といっても過言ではないでしょう。
彼が種々の官職に就いていた際につけていた膨大な量の日記、いわゆる「倉富勇三郎日記」が、国立国会図書館に所蔵されており、その研究が現在行われているところです。
しかしながら、膨大かつ著者のいうところの「ミミズがのたくったような字」、あまり知られていない官僚の固有名詞や、専門的かつ漢文調な言い回し、そしてあまりにも微にいり細にいる内容、つまりその内容的な空疎さが多くの研究者を悩ませているようです。
著者はそんな日記の解読をはじめますが、上記のような理由で一向に解読が進まないことに倉富への怨嗟の声を上げているのが笑えます。
それでも著者がこの日記の魅力に引きずられるのは、圧倒的空疎かつ退屈な記述の中に、歴史の正史には現れないおもしろいエピソードや裏話がところどころにあることです。
「宮中某重大事件」における山県、側近官僚、宮内庁、皇族との暗闘。皇居へ入ってしまった少年の話、皇族のスキャンダル等々、この日記でないと分からないことが多く出てきます。
この日記は人に見せるために作られた日記ではありません。つまり「原敬日記」や「西園寺日記」とは本質的に趣を異にするものです。だからこそ、記録魔「倉富」の真価がこの日記に反映されてます。そこに政府や皇室に対する遠慮のある記述など一切ないのです。
うわさ好きで、それをいちいち日記につける倉富の姿に著者は愛すべき面を見出しているところが、とても面白い点です。
僕が思うところ、倉富というのは典型的な明治の法務官僚であったのでしょう。結果よりその手続きを重視したり、その日食べたものを詳細に記したり、逆に2.26事件に対してなんらの感想めいたことも記してないなど。
頑固一徹、曲がったことは嫌いで、人間味など情緒的なものを仕事から一切排除する彼の態度はあきれを通り越して感服さえ感じます。
そんな彼だからこそ、政党政治などというものは奇怪なものであり、到底受け入れざるものだったでしょう。
彼はロンドン軍縮条約の批准を枢密院で否決することで浜口内閣の倒閣を目指しますが、世論や果ては天皇の支持も得られず失敗に終わり、議長職を辞しています。
最後は後継の議長を子飼いの平沼騏一郎にすることも、梯子をはずされる形で失敗に終わってます。
いわゆる保守的な人間ですが、根回しや政治的な駆け引きにはまったく向いてない人でもあったのです。
彼が現在に至るまで、あまり人に知られる存在でない理由は、こんなところにもあるのではないでしょうか?。
そんな彼ですが、このような退屈で膨大な日記を残してくれたことで、明治から昭和の政治の裏舞台を見せてくれたことに、我々は感謝をしなければならないのかもしれません。
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マニアックです。完全に先生の趣味だわ;
大正時代の皇室スキャンダルに興味のある方は是非wwww
とりあえずテスト前に流し読みしたので加えときます。
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[ 内容 ]
幕末に生まれ、明治、大正、昭和を生き、三代の天皇に仕えた倉富は、時代の変遷をどう見つめ、年月の足音をどう聞いて、記録にとどめたのか?
宮中某重大事件、皇族・華族のスキャンダル、摂政問題、白蓮騒動、身辺雑記…誰も読み通せなかった近代史の超一級史料をノンフィクションの鬼才が味わい尽くす。
[ 目次 ]
序章 誰も読み通せなかった日記
第1章 宮中某重大事件―怪文書をめぐる「噂の真相」
第2章 懊悩また懊悩―倉富勇三郎の修業時代
第3章 朝鮮王族の事件簿―黒衣が見た日韓併合裏面史
第4章 柳原白蓮騒動―皇族・華族のスキャンダル
第5章 日記中毒者の生活と意見―素顔の倉富勇三郎
第6章 有馬伯爵家の困った人びと―若殿様と三太夫
第7章 ロンドン海軍条約―枢密院議長の栄光と無念
終章 倉富、故郷に帰る
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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倉富勇三郎日記を解読しながら、彼の性格や当時の皇室スキャンダルを紹介。一風変わった角度から近代史が眺められます。
やや馴染みの薄い人選ですが、難解でも”癖になる”日記のようで、原資料への挑戦心がくすぐられる人もいるのでは。
併行して読んでた山本さんの有馬本にも似たような記述がありましたが、「倉富の文章は日記を装った究極の私小説なのではないか」など、総括してこういう感想を抱かせるのは華族の日記の特性?(初版発行もほぼ同時期のこの2冊は、内容を補い合って読めました。)
細かい仕草まで描写する執念は、松本日誌をちょっと思い出したなあ。ただ、倉富のほうは日常の些細な起伏を中心に書きつけていたようです。
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枢密院議長・倉富勇三郎といっても、現在では、ほとんど知る人はいないのではないか。本書は、その歴史上のB級人物といっても過言ではない人物の膨大な「日記」をもとにした歴史解析の書であるが、いや、実に面白く興味深い。分厚い430頁の新書であるが、最後まで興味は尽きない思いで読み終えた。
本書によると、倉富勇三郎は1853年(嘉永6年)に生まれ、1948年(昭和23年)に96歳の生涯を終えた人物であるが、東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部長官、宗秩寮総裁事務取扱、枢密院議長を歴任し、宮廷順位4位にまで昇進した宮廷官僚である。主に活躍したのは大正期から昭和初期になる。
この現在ではあまり知られていない宮廷官僚が残したものが、297冊の膨大な日記であり、その執筆期間は大正8年から昭和19年までの26年に及び、平均するとひと月にノート1冊分、1日あたりでは多い時には400字詰め原稿用紙で50枚を超える、まさに「世界最大最長級の日記」だという。まさに驚きとしか言い様がない。
しかも、その内容がミミズがのたくったような判読不能の文字で書かれており、しかもそのほとんどは、死ぬほど退屈な冗長な繰り返しが多いしろものなのだが、また一方では、綺羅星の如き皇族と華族の日本近代史を代表する人物達が登場したり、皇室と家族に対する噂話やゴシップの数々、皇室にまつわる慣例や決まりごとの集大成のような、他に見られない貴重な歴史資料だとは驚いた。
そして、大正10年の「宮中某重大事件」にまつわる宮中裏面の動きや、「朝鮮王家」の諸状況・それに関連する日韓併合裏面史、「柳原白蓮騒動」の詳細、華族のスキャンダルの数々、どれも興味深く、面白い。
とりわけ当時の華族の堕落の現状には、華族達はこの当時の時点で既に腐敗しきっており、華族制度はその社会的意義からは、すでに終焉していたのではないのかとの思いを持った。
また、「ロンドン海軍条約」についての詳細も当時の日本の混迷する内部事情がよくわかる秀逸なものとなっていると思えた。
そして、この膨大な「倉富ワールド」ともいえる難解な「日記」を面白いノンフィクションに仕上げた著者もまた凄い。
本書は、華族のスキャンダル等を面白く読みながらも、当時の歴史と社会の空気をいつの間にか理解できる良書であると思う。歴史に興味がいささかでもある人にはぜひお薦めしたい一冊であると本書を高く評価したい。
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明治大正昭和の知られざる歴史を扱っていて興味深くはあるが、なにぶん佐野眞一の自意識の強すぎる叙述が繰り返されて辟易した。
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2009年刊。◆戦前、東京控訴院検事長、帝室会計審査局長官、更に枢密院議長を歴任した倉當勇三郎。彼は類稀な記録魔で、現存するだけでも大正8年(枢密顧問官就任が翌9年)から昭和19年までの日記が保存されている。◆この日記自体が他の歴史研究において重要な役割を果たしているが、本書は、政治研究とは少し離れ、日記から伺える史的事象の裏面に光を当てる。例えば、日韓併合のシンボル的存在の朝鮮王族の来し方、あるいは宮中某重大事件に比する皇族・家族のスキャンダル史がそれ。◇また、倉當の私生活面から伺える華族の生活実態も。
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なんで日記なのにこんなに分厚いんだ…と思いつつ手に取ってみたら,主に収録されている部分はまさかの2年分だったというそこにどえらい衝撃を受けてしまった。26年間で298冊ってなかなかな分量だと思う…。
今でも何かあると皇室スキャンダル的なネタはよく週刊誌に出てるなぁと思うけれども,当時も随分といろいろあったんだなぁ,と思った。あと,やっぱり時代が時代だったので身分制度と切り離せない問題も多くあったんだろうなぁ,とも思ったりなど。この本に収録されているのは枢密院議長になる前,宮内省に勤めていた期間の分がほとんどだったので皇室ネタに偏っている部分はあったけれども,愛妻家だった一面なども窺い知れるような内容で,読むのは骨が折れそうな分量だけれども,他の時期の部分もチラ見してみたい。
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ペリーが浦賀に来航した1853年に、久留米藩の漢学者の家に生まれ、司法・宮内省・枢密院議長という職歴を持つ倉富勇三郎の日記を読み解いた本。いや、読み解くにはあまりに膨大で、かいつまんだ本といったほうがただしいかもしれません。
日記の巻数は、手帳・大学ノート・便箋・半紙などに297冊、執筆期間は大正8年から昭和19年の26年に及びます。1日の執筆量は、多いときには四百字詰め原稿用紙に50枚を超える日もあります。そのほとんどが、ミミズがはったような難解なペン字、文語体で、しかも、会話をそのまま書き写しているような内容なので、読み進むのも困難。以前、倉富氏縁の作家が解読を試みましたが、挫折したという経緯のあるものを、この著者がチャレンジ。さすがに全文は読み解いていませんが、大きな事件が起こった箇所を中心に解読、この本を執筆しました。
この本で注目するのは、皇族方のスキャンダル。ベールに隠されて、なかなか表に出てこないこういった話題を、宮内省で働く倉富が、同じ職員と井戸端会議のような形で話題に上がった内容が、そのまま日記にしたためられています。
また、ロンドン海軍条約締結時のごたごたや、昭和天皇の即位の大礼の様子、五・一五事件など、歴史的に重要な資料ともなっています。
この倉富氏の「とにかく書く、長くても書く、内容がどうあろうとも書く」という姿勢には頭が下がります。