紙の本
侵食される文明
2020/12/20 09:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポーランド人でロシア国籍、父が独立運動に関わって逮捕され家族共々流刑地で過ごした少年時代、フランスに渡って船乗りとなり、アフリカ、アジア、オーストラリアと幾度も行き来して、イギリスに定住して作家になった。いわば辺境の地から乗り込んで来て、普通のイギリス人のように小説を書いたコンラッドの様々な系列の作品をチョイスした作品集。
「文明の前哨地点」アフリカの奥地の象牙取引基地に赴任させられたベルギー人。次の交代期間までの楽な仕事と思っていたが、現地人の集団の中でたった二人の白人に、少しずつ不安が溜まっていく。彼らも自国にいるときにはそれなりに勇敢な紳士であったはずなのに、この土地では適応のしようがない。それは人間ならば当然の限界であり、植民地経営というものには多かれ少なかれこういう実態があったのだろうが、その上で築かれた繁栄を謳歌されていたことと、現地人だけでなく支配する側の人間も滅びさせていく軋みとのギャップに、哀しみや疎外感を認められるだろう。「闇の奥」の前章的な作品でもある。
「秘密の同居人」東南アジアを航行する貨物船の船長に突然赴任した男が、深夜に海上を漂う男を拾い上げる。異国の海で、全く知人もいない船の上での孤独が、この船長の行動を生み出している。その経緯がスリリングであると同時に、船に特有な緊張感が、多くの海洋冒険小説が書かれている現代とは違って、当時としては斬新だったのではないだろうか。
「密告者」アナキスト組織に警察のスパイがいるらしいとわかり、それを炙り出すことを計画する。ここでも人間観察力がストーリーを成立させているのだが、アナキストでもテロリストでも組織の中でも振る舞い、組織を守るための行動などは、一般の人々や官僚などとも変わらない。危険に満ちたな題材と進行なのに、退屈と安逸が入り混じった不思議な空間になっている。これもグリニッジ天文台爆破未遂という実際の事件に題材を得たという長編「密偵」の前段的作品。
「プリンス・ローマン」古い家柄のポーランド貴族が、時代の波に翻弄される受難の物語。貴族も勇敢な人々も、イギリスだけのものではない。何か特別な性格というわけでもなく真っ当な貴族だった彼は、家を守ること、祖国を守ること、そしてロシアとの関係などのはざまで苦しむのだが、誇り高い男が激動の時代にどのように生きたのか、その苛烈さに息を飲む。
「ある船の話」これはヨーロッパの海の話であり、すでに第一次世界大戦が起きた時代のこと。船乗りは、今までの船乗りのままでいられなくなった。気質も生き方も、それまでと変わることはない。ただ世界の方が変わってしまった。海の男同士の関係も、同じようではいられない。そのことを淡々と受け入れているように見えても、実は煮えたぎるような気持ちが隠されている。
ヴィクトリア朝からエドワード朝にかけて、大英帝国は絶頂期だったが、その内部を仔細に観察すると、様々な軋みが生じていたことが分かる。それはイギリスだけにとどまらないヨーロッパ文明の軋みであるし、外部と接する海から徐々に露わになっていったのかもしれない。
当時ベネット、ウェルズ、ゴールズワージート並んでビッグ4と呼ばれた人気作家は、ポール・ヴァレリー的な文明批評をも隠し持っていたらしい。
投稿元:
レビューを見る
ひさしぶりに「読書した」と感じた。 文明の前哨地点 秘密の同居人 密告者 プリンス・ローマン ある船長の話ちくま文庫のためのオリジナル編集・新訳。えーっと、岩波文庫の『闇の奥』はどこにいったかな、今ならまた読み返せそう、探してこなければ。
投稿元:
レビューを見る
ようやく読了。「闇の奥」のような植民地を舞台にした作品だけかと思いきや、祖国ポーランドを舞台にした作品などもあり、以外と多様な作品集。実はコンラッド自体が政治的に迫害され、ヨーロッパの外部にいたという点は面白い。植民地というヨーロッパの外部を描いた作家は実は別の外部に属していたという点が。
投稿元:
レビューを見る
鰯の缶詰の船
いろいろ考えた結果、ちくま文庫のコンラッド短編集に決定しました。ということで、まずは最初の短編「文明の前哨地点」。コンラッドの主要舞台の一つ、コンゴの川沿いの交易所で、よってタイトルは半分くらいは揶揄が入っている。あと半分は…
いずれにせよ、「大貿易会社」の支配人が巨大な鰯の缶詰に平屋根の納屋を載せたような蒸気船でやってきたとき…
(p11)
「大貿易会社」にしてはずいぶんな比喩ですが(この頃鰯の缶詰ってどのくらい普及してたんだろう。「ペテルブルグ」にもあるし…)。
そんな船でやってきた二人の「白人」もやっぱりそんな人間。コンラッドは人間社会における様々な価値や考えなどとここでの自然と対比というか対決させる。自然に放り込まれた人間にそういう社会通念は無力だと…
ということで、この短編のタイトルには植民地政策への批判と、それから人間存在の根源の追求と、二重の意味が含まれているのだろう。
それから…
(2013 04/13)
どっちにも行けない、または霧の中の黒い影
よくわからないタイトルになってしまいましたが、コンラッド短編集より「文明の前哨地点」を読み終えました。「大貿易会社」から派遣された二人の「白人」は砂糖を巡るいざこざから一方が一方を撃ち殺してしまう。地理的にも状況的にも(人足は既に逃亡していた)、そして精神的にも「文明の前哨地点」にいた残された男は…
そんな日の翌日、会社の船がやってくる、濃い霧の中、男にはそれは影のようにしか見えなかった。一方、使用人?の黒人は船に向かって鐘を鳴らし続ける…
この瞬間の男の様子は描かれずに、次に船から下りてきた社長逹が見たのはその男の首吊り死体だった…
ということなんですが、元の世界にもアフリカにも入れない、またキリスト教世界の裁きにもあちら側要するに狂気にも入れない男には自分を滅することしかできなかったのだろうか。と今は考えてみることにする。
(2013 04/14)
自分にとっても自分がよそ者
昨夜、コンラッド短編集より「秘密の同居人」を読みました。前の短編もそうだけど、コンラッドの作品って、表の筋は仮の筋で本当の筋は精神分析というか認知科学というかそういうレベルではないか、とも思う。この作品も、別の船でいさかいから殺人を犯した青年を自分の船(語り手は船長)に匿って逃してやるというものなんだけど、そんなに語り手と似てないはずなのに分身と思い、別なところにいても心の半分はその隠れている青年のところにある。これは割りと作品の始めの方にある、この船と船員逹とはいきなり初めてでよく知らない(これはコンラッド自身の実体験)、そして自分にとっても自分がよそ者であるという意識がそうさせるのだ、という記述を想起させる。
最後の語り手から青年に手渡し海に落ちた帽子は何らかの象徴なのだろうけど…
逆にこの青年がロード・ジムの原型なのだろうなあ。
うむ。
続いて夜は「密告者」。これは前に読んだ岩波文庫版にもあったからここでは軽く。この作品、誰を中心人物に据えて読む��で印象変わるけど、今回は部屋提供者の女性にしてみた。この人物も「秘密の同居人」の船長みたいに、自己の半分くらいを他人に預けたままであったのだろう。この場合は「密告者」のセヴリンに。逆に真の革命家、無政府主義者になるには、残酷で楽天的なホールやX氏みたいになってなければダメなのだろう。この女性やセヴリンや語り手のような繊細さを持っている人間ではできないのだろう。そして自分もそうであることは間違いない。X氏にしてみればそういう人物は「ふりをしている」だけに見えるのだろうけど。
(2013 04/15)
狂ってこそ人間?
コンラッド短編集第4短編「プリンス・ローマン」から。コンラッドにしては珍しく?ポーランドを舞台にした短編。ローマン公は単身でポーランド蜂起の軍に加わる。貴族の身でありながら…
これは単なる狂信のように見えます。しかし、狂信は人間的なものです。
(p194)
直前に「神経症者のいる文学」(吉田城)よんでいたせいか、こういうのばっかり気になってしまう…狂信的行動を取れる人(ローマン公や前の短編のX氏など)にとっては他の人の行動は「ふりをしている」だけに見える。でもコンラッド自身はふりをしている側の人間ではないか、と今考えている。
ちょっと考えてみるネタ…その1、神経症がらみで、コンラッドもてんかん気味だったらしいけど、登場する人物は狂ってはいるけと、神経症という感じではない。
その2、コンラッドの作品って誰か第三者が語る枠物語という形が多い(この作品含め)。どんな意図や効果があるだろうか。
(2013 04/16)
霧で始まって、霧で終わる…のか
コンラッド短編集もいよいよ最後の第5編、「ある船の話」。今のところ、戦争中の沿岸巡行船が近くに船を見つけ、調べに行くと中立国の商船らしいのだが、なんか感じた部隊長は…というところ。この霧の中の話、解説にある「量子力学」云々という比喩は今までの中でこの話が一番感じる。そういえば、この短編集の最初の話のキモも霧の中の船でしたね。
(2013 04/17)
一番過酷な罪意識とその後の生活
コンラッド短編集読み終え(昨夜)。最後の「ある船の話」はいろいろあるコンラッド作品の中の罪の意識の中でも一番強烈なもの。思わず本を落としそこなった。人間はそこまでできるのか。そしてそこまでした人間がどうして普通に生活していられるのか(この主人公を批難しているのではなく、もっと大きな…)。
(2013 04/18)
投稿元:
レビューを見る
読了後じわじわくる物語多し。
「文明の前哨地点」「秘密の同居人」「ある船の話」が特に気に入った。「プリンス・ローマン」も捨て難し。「密告者」も悪くはない……結局全部いいんじゃん(笑)
読了後じわじわというのには、相応の理由がある。
かなりのページ数を割いて、コンラッド自身の数奇な半生が解説されていて、これが小説そのものよりも奇なりなのだ。
そのあたりを踏まえて読後感に浸ると、じわじわと面白さが増す。
未開の奥地とか大海原の船上等、逃げ場のない状況に追い込まれた際の人間のあり様が精緻に描かれている短編集。
投稿元:
レビューを見る
「文明の前哨地点」
アフリカの象牙の交易所は周りに文明的なものは何もない孤島のような場所。そこにいるヨーロッパから派遣された二人の男、カイエールとカルリエは現地の人?であるマコーラ(と"人夫"たち)と働いていた。平穏で何もない日々のなかでカイエールとカルリエのあいだの友情が育つ。しかし、周囲の民族の不穏な動きやマコーラの失策などで二人は隔絶され、やがてその不安はコーヒーに入れる砂糖をめぐって口論に至り、カルリエを殺してしまう?ことになる。会社船が二人を迎えにきた時には、カイエールもそこで以前働いていた前任者の墓で首吊り?自殺をしていた後だった。こういうことは実際にたくさんあったであろう。
「秘密の同居人」
別の船でひとを殺してしまった人物が人しれず船に乗り込んでくるのを、船長の"私"がかくまう。まったく似ていない[p]が船のよそ者である点では似たり寄ったりの二人("私"は船長として赴任したばかりだから)は、"私"は"私"の分身のように感じている。それは「同じ瞬間に二つの場所にいる」という気持ち[p99]。誰にもばれないように殺人者を船内に入れておく状態の不思議な感覚はシリアスだが、ユーモアもあるようだ。彼をかくまう奇妙な言動で、ほかの船員に奇人変人におもわれてしまう。
「密告者」
無政府主義者?、革命家たちが行っていた地下活動に関わっていたジャーナリスト、著述家のX氏がその体験を語る。ある時期に出た仲間の中の裏切り者を探し出すために、贋の警官に紛してガサ入れをする作戦の結果、ある人物を摘発。X氏の語り口の巧妙さ、リアリティー。コンラッドも同じような活動していたのだろうか、とおもってしまう。
「プリンス・ローマン」
苦難の歴史をもつポーランドのある大貴族、ローマン公の話。これも、あるポーランド国籍の男から語られるというかたちをとる。ローマン公は妻に先立たれて失意のうちに、廃人?のような日々を送っていた。ある日、ポーランドの国民が諸国の支配に抵抗して蜂起したことを知ると「一兵卒として」志願し、戦場に赴き数々の困難にも負けずに素晴らしい働きをする。やがてロシアの虜囚になってシベリアなどへ送られて過酷な生活ののち、ポーランドに戻って生活していた。語り手の男の伯父がかつて軍隊でローマン公に会っており、語り手は家でその伯父とローマン公に出会ったのだった。王子様という理想像と現実は違ってはいたが、内容からしてそれは見た目(禿頭とか)のことで、ローマン公の素晴らしいそれまでの生涯は真に貴族的であろう。
「ある船の話」
部屋の中で寝椅子に横たわりながら男が女に、ある船での出来事の話をする。戦争時に敵国の潜水艦に物資を供給していた中立国の船を見つけ、故意に座礁させ転覆させた船長のことなのだが、それはどうやら話している男自身のことらしい。中立国の船に乗っていた男にさまざまな感慨を抱きながら、沈めてしまったことについて複雑なおもいを抱きつづけているのである。また、その船の男が嘘をついているというその雰囲気の描写は実にコンラッド的なリアリティがある。