紙の本
今頃評価するのもなんですが
2016/03/31 23:31
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投稿者:shogiがsuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本が出たぐらいからでしょうか、浜先生が予測した円高方向から、円安方向に為替のトレンドが大きく変わって行ったのは。いままた、少し円高方向に振れだしたようにも見えますが、株にしろ為替にしろ、予測するのは地震を予測するのと同じ程度の精度と思っておくべきではないのでしょうか?
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「1ドル50円」「地域貨幣」という著者の独特の視点がわからなくもないが、どうにも自分にはピンと来なかった。
あちこちでメディアに出ているが、見た目で結構損している気がする。。。
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債権大国である日本の円は、いわば’かくれ基軸通貨’という。これからどうするかの答えはなかなかないらしい。経済にポイントを置いて過去をふりかえりながら、未来をさぐる。税金は上げないでほしい。でも日本の財政の不安をぬぐうのにはそれしかないのだろうか?
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恥ずかしながら、このテの本を読むのは実は初めて。
基軸通貨の歴史的流れを解説してくれており、初心者にはわかりやすい。
筆者は今後、基軸通貨という概念さえ今後はなくなり、また、同じ国でも複数の通貨、いわゆる「地域通貨」がこれからの経済の活性に有効ではないかという視点を持っている。
これが果たしてその通りなのかどうか、私には判断できる知識がまだない。
故に今後もこの種類の本をいくつか読み、知識を深めていきたい。
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前作と続けて読了。
なるほど。ドルとユーロの価値が当分戻ることはないのかなと、ちょっと諦めついたかな(笑)。印象に残ったところをメモ。
◎経済の実態がものすごい勢いで変化しているのに(経験したことのない状況)、その体制的な枠組みが旧態依然、ということかなと。(例示2つ)
●国の経済運営において、第一レスキュー隊が財政、第二レスキュー隊が中央銀行。中央銀行は伝家の宝刀的存在で、滅多に大出動してはいけない。ところが、今は中央銀行が、唯一のレスキュー隊と化しつつある(自らわが身の健全性を脅かしつつ)。
要因は第一にグローバル時代になっていること、第二にそれにもかかわらず国民経済単位で従来型の均衡と成長を目指そうとしているから。→国境を越えて発生する諸問題のスケールが大き過ぎ(国家単位では対処不能)。
●租税体系についても。
租税体系を見れば、その国の発展段階や経済的成熟度が分かるはず。ところが、今の日本の租税体系から、日本経済の今日的姿を正しくイメージすることは難しい状況。→租税体系が、経済の到達度に整合していない。
◎アメリカの最後の背伸び
1990年代後半からの金融業の発展企図
→2008リーマンショック
◎単一通貨が成立する要件2つ
・経済実態の完全収斂
・中央所得再分配装置の存在
→ユーロの存続は難しい。
(スペイン、ギリシャ、ポルトガル)
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■通貨
1.リセットは極めて難しい。慣れ親しんだ昔の姿でやっていきたい。少しばかりの調整を施せば、このままやっていけるのじゃないか。この希望的観測の下に、元の木阿弥を志向する。このような具合で、我々は前には進めない。前進さえできれば、たとえ一時は闇に突入しても、その先には新たな夜明けが待っているはずだ。
2.フランスのトゥールーズ市では、市とNGOが共同で地域通貨「ソル・ヴィオレット」開発し地域を活性させている。
3.1929年の大恐慌時、ドイツのシュヴァーネンキルヘンでは地域通貨「ヴェーラ」を使い、経済を活性化させた。時間が経過するほど貨幣価値が下がる仕組み。
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ベストセラーとなった、「通貨を知れば世界が読める」の続編です。
「通貨」を中心に、現在の世界経済をまとめ、こらからの方向性を示してくれています。
重要だと思ったポイントは以下。
・円高はまだまだ続く。現在の適正水準から考えると、「1ドル50円」にまではなる。
・日本が海外に持っている債権の残高と、逆に海外からの債務の残高を差し引きした「対外純資産残高」の額は、250兆円。これはここ10年以上にわたって世界一。
・日本の、政府や国全体が保有する資産から負債を差し引いた国富は2010年末で約3000兆円。このようなリッチさを誇る国の通貨に対して、評価が高まるのは当然。
・地域通貨が欧州全土でブーム状態。その数は1000〜2000種類にも上がる。
・日本の2010年の経常収支
貿易収支:約8兆円
サービス収支:▲1兆5000億円
所得収支:11兆6000億円
・今の日本は貿易赤字で大騒ぎしているが、実はその額は債券からもたらされる収入であっさりカバーされてしまうほどのもの。日本経済は貿易によって成り立っている訳ではない。
著者は、
「日本がやっていくためには、モノの輸出で外からカネを稼がなきゃいけない。そのためには、為替レートは日本円が安くなくてはいけない」
このようなセルフイメージから早めに脱却しなくてはならないと言っています。
そして、誰もがそう思えるようになった時、「円高・円安」に人々が一喜一憂しなくてすむ日本が実現すると。
結局ヨーロッパと同じく、アメリカの弱体化もまた、世界が多極化していくプロセスの一つ。
そう考えると、アメリカが没落したからといって、日本がその後の覇権を握る、というものではなく、今後は世界はどんどん多極化に向かい、こうした覇権という考え方そのものが、古臭いものとなるはずなんです。
そもそも「通貨」は経済を動かすための要素の一つであり、ただのツールです。
そのように考えると、「通貨」の動きに世界経済が振り回されている現在がいかに不自然なものかがわかります。
今当たり前だと思っているものを、一度疑ってみる。
すると、新しい道が見えてくる。
そんなことを改めて気づかされました。
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政府部門も民間部門も赤字のアメリカ。それを補うためにドルを刷りまくった。今は基軸通貨であり、過去の栄光の残照もあって、過大評価されているが、所詮借金大国。これに対して日本は債権大国。多少の起伏はあっても長期トレンドでみれば1ドル=50円に向かって収斂している。1ドル50円時代の到来は、とりもなおさず、ドル基軸通貨時代の終焉を意味する。世界も日本もかつてのようにドルは使わない。すなわち、ドル相場の行方を巡って冷や汗をかく必要もないのである。隠れ基軸通貨である円は、身の丈にあった為替水準にドルが落ちつくようイニシアチブをとるべき。グローバル時代はどの国も大同小異。突出した強さを独占し他の追随を許さない存在はもはやない。分散と多様化の時代に入りつつある。さらに、分散と多様化は国家間のみならず同一国内においても進むことが想定される。一般的に域内が単一通貨圏として持続するには、経済実態の完全収斂と中央所得再分配装置の存在が必要不可欠。これまで日本は、地方に金をばらまくことによって地域間格差をなくし単一通貨を実現してきた。しかし、グローバル時代はこれが通用しない。マネーは有利な条件を求め世界を駆け巡る。江戸時代、各県において藩札が刷られていた。同様な分散化があり得る。新時代のキーワードは多様化と分散。リセットを恐れない前進が求められている。「通貨を知れば世界が読める」の疑問に答えて編。素朴な疑問に明快に回答を出している。看板に偽りなしの名著。
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1ドル50円時代を説く浜矩子さんの本。
世間は相変わらず円高傾向なのでこの本のいう通り50円時代に備えた準備をすべき(通貨に翻弄されない社会作り)が必要なんだろうなぁ。
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確かに日米の債権・債務を反映すれば1ドル=50円は正しいのかもしれない。でもいくら多様性の時代だからと言って地域貨幣はちょっと非効率ではないだろうかという気もする。いまは自民が勝って、安倍さんがインフレターゲットだ量的緩和だといっているがそれで本当に貨幣価値が保てるかは確かに疑問だ。ここであえて金利を上げる その案は採用してみたい気もするが、外した時の責任の取りようがないのはどうするつもりなんだろうか。
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対外純資産残高は日本が世界一というのははじめて知った。
確かに長期的観点からは1ドル50円もありえるのだろうが現実では70円後半で四苦八苦の日本の輸出企業、その後現在円安に振れて80円台後半。 輸出企業の好況感よりもガソリン代の値上がりに目が向いているような気もするが、こうした目先の状況に振り回される身に未来に来るであろう一ドル50円、地域通貨といわれてもいまひとつピンと来ない。
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(「BOOK」データベースより)
揺れ動く円ドル相場、ユーロ危機、日本の財政問題…混迷を続ける世界経済の中で、「通貨」はこれからどうなっていくのか。「1ドルは50円になる」「ユーロは崩壊する」「日本の財政問題解決にはシュールな発想で」「地域通貨の時代が来る」など、ベストセラー『「通貨」を知れば世界が読める』の著者が、日本の進むべき道を大胆に説く。
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通貨は集約ではなく地域化に向かうと著者。
聞くと著者はアベノミクスのことをアホノミクスといったそうな。
目先の投資がどうとかではなく、もっと広い視点から語った一冊。
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2015年2月現在、1ドル117円で推移している。2011年4月4日、76.25円でドル/円が史上最安値を更新した。2012年5月に発行された本書は1ドル50円時代到来と予言している。市場はそれを容認しなかったわけだ。理由はドルに替わる世界通貨がまだ現れていないことがあげられる。1ドル50円になるとは世界の金融システムが大きく変わることなのである。そうすることで、世界はより混迷の度を深めるにちがいない。
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前著『「通貨」を知れば世界が読める』を再読し、その勢いでこちらも読破。著者自身こちらを解答編と位置付けており、前作の通貨の歴史を踏まえた上でのこれからの可能性について書かれているように思える。前著でもそうだったが、ドルが過大評価されているので、1ドル50円が適正であると主張している根拠がよくわからなかった。様々なファクターが押したり、引いたりしながら均衡点に向かっていくモノではないのだろうか。
P.26
ドル高が修正されていくということは、要するに日本でも世界中でも、それだけドルが使われなくなっていくことを意味している。ドルに対する需要が減るから、ドル相場が低下するのである。ドル需要が減るということは、それだけドルを使う人々、必要とする人々、欲する人々が減ることにほかならない。誰もほしがらず、必要とせず、使っていないの通貨なら、その通貨の価値がどうなろうと、誰も痛くも痒くもない。円高が進むというのは、要するにそのような世界に近づいていくプロセスなのである。
ドル相場がいくらになるのかを巡って、冷や汗をかき、一喜一憂する状態から解放されたいと思うのであれば、円安再来を待望するのはおかしい。
P.29
中央銀行の本来の役割は、通貨価値の番人であることだ。その中央銀行が、急速に不良債権化していく国々国債を事実上無制限に買い上げていく。金利機能が完全停止状態に陥ることを承知の上で、ゼロ金利政策や量的緩和を常套手段として定着させていく。産業振興的な有志活動にまで手を出していく。
P.52(要約)
ユーロ圏が抱えている本質的矛盾とは何か。それは、そもそもユーロ圏が単一通貨圏として持続性を保つための条件を欠いていることである。
ある領域が単一通貨圏として安定的に存続できるためには、二つの条件が必要だ。条件その一が「経済実態の完全収斂」。その二が「中央所得再分配配送装置の存在」である。
経済実態が完全に収斂しているとは、そのエリアの津々浦々、どこに行っても、経済実態が完璧に同じだということである。どこに行っても、物価水準は同じ。失業率も同じ。賃金水準も同じ。金利も同じ。その域内において、経済格差が一切存在しないということだ。
中央所得再分配装置とは、その領域内の経済実態格差を埋めるための装置だ。リッチなA国と貧しいB国とで単一通貨を共有したければ、A国からカネを巻き上げて、B国に補助金を出せばいい。こうして購買力格差を埋めることができれば、そこに単一通貨圏ができあがる。
P.68(要約)
地域通貨導入の動きは、決して今にはじまったことではなく、国々の経済が危機に陥る場面では、人々は繰り返し地域通貨に活路を見出す試みを重ねてきた。
一九二九年の大恐慌と一九三〇年代不況時に各地で台頭した動きだ。当時、国々の法定通貨の世界は空前の信用収縮に見舞われた。主要国の間で為替切り下げ競争が繰り広げられる中で、各国通貨の価値は定まらず、その日々の購買力をどこまで信用していいのかさえ、検討がつかない状態が広がった。
企業倒産があちこちで蔓延する中で、カネは天下を回らない。貨幣経済の行き���まりが現実味を帯びる世の中だった。そうした混迷のさなかに、ドイツのバイエルン州にある小さな炭鉱町、シュヴァーネンキルヘンの地域通貨の試みが注目された。
同地も鉱山の閉山に見舞われ、地域経済がまったく立ちいかない状態に追い込まれた。この窮地にあたって鉱山のオーナーでもあったマックス・へベッカー氏が思いついたのが、「ヴェーラWara」という名の地域通貨を利用することだった。
大恐慌後、へベッカーは当時のドイツ法定通貨「ライヒスマルク」建てで四万マルクほど融資を取り付けた。このカネでハンス・ティムの「ヴェーラ交換協会」から四万マルク相当のヴェーラを入手し、炭鉱の再稼働に踏み切った。
呼び戻した労働者たちには、賃金の四分の三相当額をヴェーラで受け取ってもらえるようにお願いした。それに先立ち、へベッカー氏は商店主たちにヴェーラ伊達の支払いを受け入れてくれるように説得済みだった。
当初は商店主たちも、得体の知れない「おままごと通貨」のようなヴェーラにかなり抵抗を示したらしい。だが、彼らもまた背に腹を変えられない状態にあった。ともかく自分たちが受けれれば、曲がりなりにも、地元の経済が回るようになる。労働者たちがモノを買ってくれるようになれば、何はともあれ、取引が再開される。それなら、おままごと通貨でもないよりはマシだ。
この発想が浸透すると、商売繁盛のためにイヤイヤながらヴェーラを受け取った小売商たちが、今度は必死で仕入れ先にヴェーラでの支払いを受けれてもらおうとする。卸売業者たちも、在庫がさばけるとなればやむなしということで、ヴェーラで代金を受け取る。すると次は卸売り業者たちが、懸命になって製造元にヴェーラ建て取引を押し付ける。こうしてヴェーラはおままごと通貨から本式通貨に昇格していくのであった。
こうして地域通貨ヴェーラは、瀕死の炭鉱町に新たな伊吹を吹き込んだものである。その成果は、ドイツ全土で注目を浴び、ヴェーラの導入も広まったが、ドイツ政府はこれを法定通貨ライヒスマルクへの脅威をみなし、一九三一年十一月をもってして非合法化してしまった。
P.71 (要約)ゲゼル理論
シルビオ・ゲゼル(一八六二〜一九三〇)はドイツ生まれの実業家・経済学者である。彼は商売の浮き沈みの中で、通貨の得意な性格に気が付いた。食べ物は、賞味期限を過ぎれば腐る。金属は錆びる。洋服はボロボロになる。家も痛む。だがカネは銀行に預けておけば利子がつく。時間とともに価値があがるのである。
ゲゼルはこれが問題だと考えた。カネがこんな奇妙な代物だから人々はカネを溜め込む。ちゃんと使ってくれれば商売繁盛となるのに、カネ儲けのためにカネ回しをするヤカラがいるから、バブルになる。使うべき時にカネを出し惜しみする連中がいるから、デフレになる。
そういした実体験を踏まえて、彼が最終的に思いついたのが、一般的には「スタンプ通貨」として知られる「自由通貨」である。その英語名はStamp sripである。ゲゼルは、「スタンプ通貨」は、法定通貨と交換性があるべしとしたが、その交換比率には有効期限があり、それがすさまじく短い。一スタンプで100円分の買い物をするためには一週間以内に買い物をしないと、二週目には九八円に減価してしまう���1スタンプで一〇〇円分の買い物をするためには二円の現金を出して一枚のスタンプを買う。そして、これをスタンプ通貨の裏側に儲けられた「二週間目」のマス目に貼り付ける。スタンプ通貨の裏側には一年分の貼り付け欄が儲けられている。つまり、週を重ねてスタンプ通貨を溜め込むと、購買力は低下し、法定通貨を出して補填してなくてはならない。
その補填部分をマイナス金利とも解釈できる。通貨の場合は今日の一〇〇円は、明日の一〇〇円である。物価上昇による購買力は変わるかも知れないが、額面の金額は普遍である。だがスタンプ通貨はすぐに使わないと額面の価値が保証されない。こうすることによって、ゲゼルが感じたカネの奇妙な特性は解消される。
P.77
人々がカネを使わないことが問題なのであれば、消費期限付きの通貨には意味がある。だが、逆に人々があまりに早くカネを使いすぎることが問題なのであれば、その時、世のためとなる地域通貨は、むしろ高金利通貨であるべきだ。ただし、あまり高金利にすると、カネ儲けのためのカネ回しが始まってしまう。このへんが難しくなってくるわけだ。
P.80 おままごと通貨に潜む通貨の本質
支払い証明書としての性格。時の経過とともに劣化しない特性。人々による受容度のいかんがその通用範囲を決めるという特徴。通貨が通貨であるために、どのような要件が備わっている必要があるのか。それらの要件がどこまで普遍的なものであって、どこまでが環境いかんで変わる性格のものなのか。通貨という存在を巡る様々な謎の核心部分が、地域通貨を掘り下げて考えれば考えるほど、見えてくる。おままごとの中に真理あり、というわけだ。
P.188(要約)デフレ脱却のためになにをするか。
ゼロ金利だから人々の資産は富を生み出さない。金利収入を当てにすることができないから、人々はカネを使わず、金利収入を稼ごうと海外に資産を持ち出す。しかも賃金が下がる一方となれば、人々はますますカネを使わない。人々の賃金が上がらない経済が成長などするわけがない。みんな、引きこもって耐久生活に入る。だから賃金が上がらないのに、貯蓄額は増えるという異常な自体が続く。給料が上がらなければ上がらないほど、ユニクロ型消費をし、爪に火を灯して貯蓄を増やす状況が根を下ろしていってしまう。そしてますます賃金には下押し圧力がかかる。
だからこそ、いっそ金利をあげて、賃金を上げるという政策をとるべきだ。これは異様な政策だ。だが実際に日本は「とんでもない状況」に陥っている。金利を下げることがかえってデフレを深化させる。賃金コストをいくら下げても、企業の収益は改善せず、かえって低価格競争をあおるばかりだ。
金利も賃金も下げてダメなら、上げてみるしか致し方ないだろう。