紙の本
紐育の仏蘭西人
2007/07/31 02:06
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
ゴダール監督の、理屈抜きに傑作と呼べる「勝手にしやがれ」で、ジーン・セバーグが最初にジャン・ポール・ベルモンドと出会うシーンは、彼女が「ヘラルド・トリビューン、ヘラルド・トリビューン」と物憂げにアメリカの海外向け新聞を街路で売り歩いていたところだったように記憶している。自由の女神も独立100周年にフランスからアメリカに贈られたものだった。フランスとアメリカは近い時期に「革命」と「独立」を経験し、憧れあったり、馬鹿にしあったり、ややこしい関係が続いている。
そんなアメリカの左派にも右派にも、古典として、フランス本国においてより、愛読されているのが、本書で扱われているフランス貴族、アレクシス・ド・トックヴィルが1831年のアメリカでの視察旅行(刑務所制度)を一つの材料として執筆した大著、「アメリカの民主主義(デモクラシー)」である。最近は右派からの再評価が高いらしい。
本書はその「アメリカの民主主義」を中心に(彼のもう一つの大著「アンシャンレジームとフランス革命」はほとんど扱われていない)、彼の生い立ち、彼にとっての同時代のフランスと、彼がアメリカに見いだし、求め、避けられなくなったものを描いていく。
彼はナポレオン帝政期の1805年に生まれ、ナポレオン追放後の復古王制期に育ち、大学では文明史家:政治家、ギゾー(福沢諭吉も熟読している)の強い影響を受ける。1830年に7月革命では司法官として微妙な立場に立つ。1839年国会議員に。1948年二月革命ではいったん恩師ギゾーにさえ対立して、革命内閣の外務大臣も短期間であるが勤める。しかし次第に秩序維持を重視する立場に傾き、秩序派に属するが、大衆の圧倒的支持を得たナポレオン三世による第二帝政にかき消されてしまう。
本書の著者も指摘しているように、かつて、モンテスキューが「ペルシア人の手紙」で架空のペルシア人の視点から現実のフランス絶対王政を描いたように、本書もフランス人読者に向けて、フランス社会についての考察をベースに、「アメリカのデモクラシー」を語ることによって、自らの思想を伝えようという試み。それが主目的だった。上記、同時代のフランス政治的混乱を振り返ってみて、その感を強くした。しかし、アメリカ人にはうまくそのニュアンスが伝わらず、「アメリカン・デモクラシー」礼賛の書と受け取られてしまい、その名残は今も残っているらしい。
本書での著者のメインテーマは、トックヴィルが「アメリカ」に見いだした「平等」である。いわゆる「タウンシップ」:下から上を構成する、草の根の民主主義。「全ての人々が耕作し」、(イギリス系植民者が)文化的同質性と強い信仰心を共有し、ゼロ(彼らにとっての)から出発し、隣国との競争がない。当時のヨーロッパとは対照的な環境での「自由と平等の一致」との実現を彼は「アメリカ」に見いだした。
しかし、彼は、次のような「デモクラシーの謎」につきまとわれていた。
「そこに暮らす個人が自立して思考しようとすればするほどむしろ他者の意見に従属することになり、自分の頭で考えようとすればするほどむしろ自分の思考の無根拠性に突きあたってしまう。(中略)平等になった諸個人から成る社会が、平等に自由になるよりは、平等に隷属する方に傾きがちである」(本書p.178)という謎。彼はそこに外部としての、自発的結社や宗教を導入して解決を図るが、彼自身が自覚し、悩んだように、宗教はそういう利用を試みた時点で宗教の本質を失う。「自発的」結社も同様である。
煮詰まってきた。昔ヤンサンに載ってた「ショートカッツ」でも読んで気分転換…。あ、あのおじさんロボットでこのジレンマも全部解決?
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「ブルボン王政に忠誠を誓う超保守的な王党派貴族にアメリカの民主主義を説く」つもりになって読んでみると、またいろいろ見えてくるものがある。トクヴィルがこれほど丁寧かつ具体的に論を進めているのは、そうでもしなければ理解が及ばないほど「フランスの貴族」と「アメリカのデモクラシー」の隔たりは大きいということなのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/hachiro86/20070903#p1
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自分にとってうまく消化しきれなかったトクヴィルの思想を、明快に解説してくれていた。
以下、本書からメモ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
モンテスキューはかつて、共和政を可能にするのは市民の徳と節倹であるとした。この場合の徳とは、自らの利益を公共の利益のために犠牲にする精神。しかしながら、アメリカにおいて見られるのは、自己利益を追求する利己的な精神である。自己の繁栄が社会の繁栄につながると理解。46
共和政=古代ローマ、統領(一人による支配)・元老院(少数者による支配)・民会(多数による支配)の混合政体。
→トクヴィルの関心は共和政から民主政へ。47
平等化以前には、人びとは諸身分を隔てる壁を自明と考え、意識すらしない。平等化によってはじめて意識。58
フランス革命は、封建的諸制度の桎梏が相対的に弱かったから起きた。差別が意識化されたから。69
自分で判断したい。しかし無理。無意識に何ものかを権威に。自分の「同等者の総体」をそれに。特別な権威は拒否。しかし「同等者の権威」は受容。「多数者の意見」に従ってしまう。85
結社の意義、宗教の意義、陪臣制の意義 128~
デモクラシーが異質性の否定に傾斜しがちなのに対し、異質性を培養する装置としての結社の役割を重視(ただし、…)179
インターネットの多数派の専制との共通性 182
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(「BOOK」データベースより)
「デモクラシーこそは歴史の未来である」。誕生間もないアメリカ社会にトクヴィルが見いだしたのは、合衆国という特殊性を超えた、歴史の「必然」としての平等化だった。「平等化」をキーワードに、その思想の今日的意義を甦らせる。
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トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』を執筆した背景から掘り起こしつつ、トクヴィルの思想が持つ今日的意義を明らかにしようとしている。
本書の課題としては、1)トクヴィルの思想は、近代社会の特質を「デモクラシー」という概念を通じて包括的に説明するグランド・セオリーとして読まれるべきものであることを主張する、2)トクヴィルは、「デモクラシー」社会の特質と、アメリカ社会の特質とを区別しようとしていたことを確認する、3)トクヴィルが未来の社会構想のために、いかなるヴィジョンを提示しているのかを明らかにするということが挙げられている。
本書では、トクヴィルが、「平等化」を「デモクラシー」の基本的事実として捉えていたことが強調されている。そして、その「平等化」の特質は、他者と自分を同質のものとみなし、社会のヒエラルキーや秩序を自明のものでなくさせる「想像力の変質」にあると指摘する。平等社会だからこそ、人々は些細な不平等にも不満を持つようになる。また、平等化が進んだデモクラシー社会では、貴族など特定の個人が権威を持つことはなくなり、「同等者の総体」(=多数者の意見)が権威を持つようになるという。
トクヴィルは、「デモクラシー」社会の内的な脆弱性を問題と捉え、それを補完するために、「デモクラシー」社会の中に、結社や宗教など、「デモクラシー」とは異質な原理を組み込んでいくこと、また、「デモクラシー」自身の持つ潜在力を全面的に開花させることが必要と考えていた。著者は、前者よりも後者を重視しており、そこに本書の特色があるが、「「デモクラシー」自身の持つ潜在力を全面的に開花させること」の具体的内容については、いまいちよくわからなかった。むしろ、「デモクラシー」とは異質な要素を「デモクラシー」社会に組み込んでいくことが必要という考え方がストンと胸に落ちた。
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フランス貴族がアメリカを通してみたデモクラシーに
関する考察本。
大変興味深かったし偉そうだけど同じ悩みを
抱えていたね。トクヴィルさん。
現代社会人の悩みも同じで民主政の次が必要な
時代かもしれない。
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第1章 青年トクヴィル、アメリカに旅立つ(生まれた時代と家庭環境;知的遍歴;『デモクラシー』執筆まで)
第2章 平等と不平等の理論家(平等化とは何か;平等社会のダイナミズム;平等社会の両義性)
第3章 トクヴィルの見たアメリカ(アメリカを論じるということ;政治的社会としてのアメリカ;宗教社会としてのアメリカ)
第4章 「デモクラシー」の自己変革能力(結社;宗教;自治と陪審)
結び トクヴィルの今日的意義
第29回サントリー学芸賞・思想・歴史部門
著者:宇野重規(1967-、東京都、政治学)
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フランスはアメリカに対して好意を持っていたのはアメリカが共和国だったから。
トクヴィルは宗教に懐疑の不安に悩む人間にとっての知性の健全な枠を見出そうとした。デモクラシー社会に生きる個人は日々変化するもの、目に見える物質的対象にのみ関心が向きやすい。
現代アメリカでのトクヴィルへの関心のあり方は、アメリカ社会は自らのよき伝統を失いつつあるのではないかという不安の意識と密接に結びついている。
トクヴィルはアメリカにおける、宗教の精神と自由の精神の補完的関係を可能にしている条件を探っていく。
トクヴィルはいかなる宗教であれ、人々が1つの宗教を信じていれば、それでいいと言っているわけではない。
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デモクラシーは近代革命以前、理想的な政治体系として認識されていたわけでは「なく」、基本的には、多数決の暴力を引き起こす「野蛮」なものとされてきた。トクヴィルはそのような状況に一石を投じたといえる。
民主主義=個人主義は、自身の個を尊重するのと同時に――当然のことだが――「他人の個(=他人の権利)」を認めなければ成立し得ない。必然的に「個」は横並びになる。結果、「特定の個」は認められないが「顔のみえない個の集団」の力は認められるようになる。実際、トクヴィルが訪れた時代のアメリカ人は(正しくはイギリス系アメリカ人は)、万人が平等に力を持つことを良しとした。他の諸個人と利害が発生する場合には「相互調整」をすることにした。それは――多分に「同調圧力」の危険性を孕んでいる――
トクヴィルは、アメリカのデモクラシーは、その脆弱性を補完し得るものが備わっていると考える。
まず1つは「結社」の存在。異質性を培養する機関。多数派による圧政や国家による権力乱用から、個が身を守るための機関の充実。
もう1つは「宗教」の存在。現在のみにしか関心が向きがちなデモクラシー社会に対して「時間」を提示するシステム。「過去から続く習俗、未来への感覚」を提示するシステム。
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トクヴィルが想定している個人は決して強くない。自己利益を犠牲にしてまで公共の利益に献身する「徳」を期待していない。それでも多様な他者と出会い、互いを尊重しながら合意を形成していく過程で、各個人の個別の問題と社会との結びつきを再確認し、現在を超えた長期的な視点を獲得していく。この「デモクラシー」のダイナミズムは今日の社会でも生き続けていると思うし、さらに活性化させなければならない。
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トクヴィルのデモクラシー論が綺麗に整理されている感じ。自由が平等化された人々は、それぞれ決して強い存在ではなく、多数という権威を必要とする。その悪弊に陥らないために、結社と宗教の役割に価値を見出す。
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中川八洋によるとトックヴィルは、デモクラシーを批判し、平等の禍毒を説き、アリストクラシー(伝統/慣習/権威/偏見)への回帰を説いた正統の哲学者である(ベスト5に入っている)。しかし、筆者のトクヴィル解釈は真逆である。トクヴィルは平等化を歴史の必然とし、そこへ至る困難さを「多数の圧政」と指摘したに過ぎない(中川氏はそこを過大評価したのか?)。デモクラシーを機能させるため、一人一人が他者を尊重しながら、合意形成をしていくことの大切さ(164ページ)。まるで朝日新聞が主張しそうな、政治的に正しい意見だ。
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なんかここ数年よく目にするようになった気がして、どんな人なのか、そして『アメリカのデモクラシー』という本がどんな人なのか気になっていました。
以前に読んだ富永茂樹氏の『トクヴィル 現代へのまなざし』(岩波新書)よりは、(僕にとっては)こちらの方が随分読みやすく、納得しやすかったです。
恐らくそれは「平等(と不平等)」というテーマに絞り、かつまたトクヴィルの生い立ちに絡めて伝記的に本書が書かれているところに立脚するように思います。
フランス革命から王政復古を経て第二共和政へと移り変わるフランスの時代背景も分かりやすくまとめられていて特に世界史の知識がなくても読みやすいのものいいです。
いわゆる憧れの対象としての「自由の国アメリカ」がいかなる条件の下で成立しえたのかが解きほぐされていく様は、なぜ現在に至ってなおトクヴィルが注目されるのは十分に首肯できる内容だと思います。
ところで偶然なのですが、本書と並行してマイケル・ギルモアの『心臓を貫かれて』を読んでいました。
本書がアメリカの理想的な光の側面を強調するものであるとすれば、『心臓を貫かれて』はその光の陰にある闇の部分を明らかにする本であるように思います。
ゲイリーギルモアという人物は考えるほどに、個人の平等と自由が浸透したアメリカだからこそ生まれえたように思えてならないからです。
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大学時代以来の再読。トクヴィルを学びたい方、民主主義(デモクラシー)について考えたい方には必読の書。各地で非営利組織や地縁組織で地道な組織運営、社会課題解決にあたる取組みは自治の筋肉を鍛えるトレーニングなんだと改めて色んな角度から考えられた。