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久しぶりに哲学書に手を出してみた。(笑)
最近長女の性格、発言、容姿などが私に似ていると旦那含めあちこちで言われるようになったが、
なんだかそうたびたび言われることに対して心の中でふつふつと苛立つものがあった。
「長女は長女であって一人の人間で、私は私という人間である」
と自分自身は思っているものの、
なぜそんなにも周りは私と長女を同類化させようとするのか。
他にももやもやしていたところはあって、
そんなもやもやしていたところに見つけたのがこの本。
「子供の哲学」とあるが、
生殖し、妊娠し、生まれてきたいのちに対しての「哲学」である。
(なのでここでは「子ども」表記でなく「子供」表記で書かせていただく)
↑
着眼点が面白いな(そして私の疑問にタイムリーだな)と思ったのが最初に本を手に取った時の感想。
西田幾太郎がベースなのかな。
どちらかというと後半部分(四章~五章)あたりが自分の疑問にぴったりとマッチしていたかと思う。
「私の子供である」という表現への哲学的考察について、興味があったものの、
「子供を産むが故に死ぬ、紡ぎだされる他者への愛=いのち」
なのだろうなとは納得できるけれども、
それが遺伝という伝達物質なのか。
自分的には斜め読みじゃ納得できない部分も多かったり。
逆に他に対する疑問が湧いてきてもいる。
(哲学書ってそんなもんだろうけど)
最近ちょっと「?」と思っていた
生殖行為と性的行為、そして愛する行為が
時に一致しない、完全分断されているにもかかわらず、
妊娠し、子供を宿し、いのちが生まれる=産む。
またそれは運であり、必ずしもいのちが生まれてくるとは限らない。
時に体外受精とか卵子凍結とかあるけれど、
子供を宿す行為への多用化に対する男女の身体論。
↑ここまでくると生命倫理にまで発展してしまうけども、
突き詰めるとますます疑問が生まれてきそうですが、
いろんな意味で自分としてモヤモヤしていた疑問が間違っていないんだなと肯定できた一冊となりました。
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久しぶりの哲学書は読むのさすがに訓練されていないがため疲れました・・。
あまりに読み込めなくてノートにメモしながら読んでいました。