紙の本
日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」・・・日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
2009/07/27 09:56
15人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」、すなわち 「世間」 と 「空気」 について、自らのアタマで考え抜いて、しかもわかりやすくていねいな説明を試みた本。しかも処方箋つきだ。
著者は脚本家、演出家として、長い期間にわたって、さまざまな年齢層の日本人と接してきた。
若い人たちが「空気」を読めないために感じている苦しみにも多く接してきた。そしてまた、息が詰まる、うっとおしい 「空気」 の中でどう生きていくかという、自分自身の悩みもあった。
「空気」について考える中で出会ったのが、同じく日本人を無意識に支配している「世間」についてであった。
本書において初めて、いままでまったく接点がないと思われていた阿部謹也と山本七平が合体したのである。
すなわち、ドイツ中世史を専門とする歴史学者であった阿部謹也の「世間」論と、評論家でかつ聖書学関連の出版社を経営していた山本七平の「空気」論である。
これによって、しっかりとした現状分析が可能となり、また解決策と処方箋も視野に入ってきた。
日本語を使い日本人社会に暮らす日本人は、誰もが避けて通ることのできない 「世間」 と 「空気」。これは海外にいても同じことだ。
「世間」はその中にいるとうっとおしく思う反面、その暗黙のルールに従ってさえいれば自分を守ってくれる、という2つの側面をもっている。
とくに経済的な安心感が精神面の安心感を約束していた時代には、「世間」は強固な存在であった。
「しかしながら世間は壊れている、しかも中途半端な壊れ方だ」、これは著者の基本姿勢である。
社会学者の宮台真司もフィールドワークをつうじて、すでに同様の指摘を行ってきたが、大都市だけでなく、地方都市でも「世間」はすでに壊れている。
とくに2000年以降、「年功序列」と「終身雇用」という日本的経営の重要な要素が崩壊を始め、その結果、「世間」としての会社がもはや従業員とその家族を経済的に守ってくれる存在ではなくなっている。
また2008年のリーマンショック以降の大不況は、さらに「世間」の崩壊スピードを加速させている。
壊れた「世間」にかわって現在の日本人、とくに若い人たちを支配して猛威をふるっているのが「空気」だという指摘は、実に納得いくものである。
安定した状態ではその組織なり人間関係の中で「世間」が機能するが、不安定な状態では「空気」が支配しやすい。 「世間」が長期的、固定的なものであるのに対し、「空気」は瞬間的、その場限りの性格が強い。
著者は、「空気」とは「世間」が流動化したものだ、という仮説を示しているが、これは卓見であろう。
では日本人は 「見えざる2つのチカラ」・・・日本人は 「世間」 と 「空気」 にどう対応して生きるべきか?
ここから先の処方箋は、実際に本を手にとって直接目をとおしてほしい。
安易な結論を求めがちな世の中だからこそ、著者の議論に最初のページからつきあってほしいのだ。
平易な表現で語りかけている本だからこそ、自分自身の問題として自分で考えるための「手引き」になるはずだ。
そして自分自身の処方箋を書いてほしい、と思う。
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いつまでも「差別的で排他的」な「世間」から弾き飛ばされるこたあないのである。
2009/09/05 11:17
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
実は鴻上さんとはかつて仕事上で浅からぬご縁があり、そういうきっかけもあって芝居も何度か拝見しているが、考えてみたら今まで物書き(脚本家は別)としての鴻上さんを意識したことはなかった。
それで、そういう流れから本屋で手に取ってみた訳だが、数行読んだだけでこれはなかなかのもんだ、と膝を打って即レジに並ぶことになった。
所謂「KY」が嫌われる時代である。しかし、「空気読めないのか!?」と咎められても、その空気がなんだか解っていればそれはそこそこ読めるはずで、それが解らないから読めないのである。その辺の仕組みをこの本は巧く解明している。曰く、「世間」が流動化したものが「空気」である、と。
土台となっている分析は鴻上さんのオリジナルではない。阿部謹也、山本七平、冷泉彰彦など多くの研究者/文筆家からの引用がある。しかし、これは「受け売り」というレベルに留まってはいない。鴻上さんによって充分消化された上で発展的に引かれている。むしろ鴻上さんの目の付けどころの面白さと深い考察によって非常に説得力のあるものになっていると思う。
禁煙条例に関する公聴会で壇上の分煙派に対して「人殺し!」と叫んだ女性に対する記述(pp132-134)、「世間原理主義者」が1週間の休暇を取った後、会社に出てきて必ず口にするマイナスな発言に対する記述(pp191-193)など、読んでいて思わず「そうそう!」と声が出そうになってしまう。
そして、社会・世間・空気の分析から意外にもインターネット社会の考察に大きく踏み出して、そこで著述を閉じている。テーマが非常に現代的になった。
どうなんだろう。僕は中学時代からずっとこの本にあるような考え方で生きてきて、つまり意識して「世間」を壊し「世間」から抜け出すべく生きてきたつもりなので、この本を読んでも単に「そうそう!」と頷いて意を強くするだけのことなのだが、そうでない人がこの本を読んだ時に「あ、そうだったのか」と気がついて、「世間」や「空気」の呪縛から勇気を持って抜けだすきっかけになったりするのだろうか? そうだったらいいなあと思うのである。
鴻上さんが「おわりに」に書いているように、いつまでもそんなものに塗れて、「差別的で排他的」な「世間」から弾き飛ばされるこたあないのである。
by yama-a 賢い言葉のWeb
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同調圧力
2020/12/30 09:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さたはけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者と佐藤直樹氏の共著である「同調圧力」を読んで、この新書を読むべきと思いました。
世間の根本原理の「贈与・互酬の関係」「長幼の序」「共通の時間意識」、その結果の特徴である「差別的で排他的」「神秘性」が社会と違うことがよくわかりました。
電子書籍
世間と社会
2019/08/15 15:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:AR - この投稿者のレビュー一覧を見る
今までわからなかった違和感の正体がよくわかりました。ありがとうございます。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
空気というのは、その場の空気を読めということか。納得しました。KYな人が、叩かれ始めてもう、久しいですが、特に、日本人は、空気をよむことや世間体を気にしますよね
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面白い!
これを呼んで空気が読めるようにはならないと思うけど、
「空気を読め」の「空気」とは何かに関して、
鴻上さんが欧米と比較した斬新な切り口で述べてくれる。
欧米人は「神と自分」でのやりとりで生き、
日本人は本来「世間と自分」の中で生きていた。
「世間」がローカルに流動しているあらわれが「空気」だとしている。
現代は「世間」が崩壊してきているが、
欧米が持ち込んだ「近代社会」は建前で、
隠し持つ「世間」をベースに日本人の行動が決まってきたとする。
「世間」は個人に対して「与えられるもの」であり、
中に入れば手厚く絆を結ぶと同時に、他者には強く排他的である。
排他的であることが、「世間」「自分が世間に居ること」を成り立たせている。
即ち日本人は「世間」の中に居たい。
「空気を読め」「KY」が流行ってきたのはそのためだとする。
空気は流動的であるし、空気を作る中心がいないと混乱するだけで、
「空気を読め」という言葉も足場を失う。
そんな空気を無理して読もうとして混乱するよりはゲームから降りたほうがましである。
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日本の社会構造を知るための基本的で、最も重要な文献である山本七平の『空気の研究』と、阿部謹也の「世間」を研究したいくつかの文献を参考にし、鴻上流に「空気」と「世間」に着目して、日本の社会構造を説明している一冊。最近の新書の中でもなかなか出来のいい作品だと思う。特に、最近よく言われる言葉のKYの「空気」を「世間が流動化したもの」といい、世間を5つの要素から構成しているものだと定義した点は非常におもしろい。個人的に星4.5。残りの0.5は最後の意見が納得しなかったから足さなかった。狭苦しい世間を生き抜くに方法を書く、と言っている割には最後の部分の意見が弱い。それができないからみんな悩んでいるのに……。
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「世間」と「社会」との付き合い方を教えてくれる本。
そして、「空気」とは何か?
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「空気は世間が流動化したもの」という説から始まる。
≪要約≫
「世間」は、「贈与・互酬の関係」「長幼の序」「共通の時間意識」「差別的で排他的」「神秘性」の5つの要素を必要とし、「空気」とは、このうちのいくつかが欠けたもの。
でも、世間が壊れてきていると言っても、アメリカ人のように「社会」の中の個人として振舞うことが出来てない。それは「個人‐社会」の関係で他人と付き合うことに慣れていないから。
そのため、電車の中でお年寄りになかなか席を譲れないし、コンビニ店員の「いらっしゃいませ」が空々しく響く。
思いっきりタメ口か、「すみません」を連発するよそよそしい距離しかない若者がいるのは、理想的な「世間」を相手に求めるか、相手が全く関係のない「社会」に住んでいると決め付けてしまうから。
また、アメリカで「個人−社会」の関係が成り立っているのは、その背後にキリスト教の影響があるからで、神以外のものは相対できるから、他者との関係を相対化できる。
そして最後に、不安や孤独に対処するために支えてくれる人を「二人」持つのが大切なのと同じように、複数の「共同体」とゆるやかに付き合うことを勧めている。
日本人が「世間」に支えられているに対し、アメリカ人は「神」に支えられているという記述が面白かった。
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09年9月26日開始
09年11月1日読了
今年読んだ新書の中では一番興味深く読めた本。所々論拠に疑問を感じるところはあるけれど。
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「空気は世間が流動化したものである」という命題を展開。
ここでいう「流動化」とは、世間の5つのルールを満たしきれていない状態を言う。5つのルールとは、下記の通り。
1.贈与・互酬の関係
2.長幼の序
3.共通の時間意識
4.差別的で排他的
5.神秘性
その上で、世間/社会という対立軸で分析を行っている。
世間と信仰が機能的に等価であることを認識した上で、複数の共同体に属することで、社会との関係を築くという道を提案している。
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「空気が読めない」の「空気」についての考察。
面白かった。空気を読むことがつらく感じるのが正常なのかな。
今の「空気を読め」ないといけないような風潮はいかがなものかと。
また世間と社会の違いについても書かれていた。この関係についてもう少し関係書籍を読んでみたい。
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かなり面白く、為になった。しかし著者の主張を鵜飲みにしてはいけないとも思った。
多くの人に読んでもらいたい一冊。
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「空気」の存在に怯えている人は多い。なぜ「空気」は怖いのか? その正体を探っていくと見えてきたのが、崩れかけた「世間」の姿だった……。人気の脚本・演出家が、阿部謹也、山本七平といった先人の仕事を現代に投影させながら、自分の体験や発見を踏まえた会心作!「空気」と「世間」を知り、息苦しい現代日本を生きていくための方法を示します。
第1章 「空気を読め!」はなぜ無敵か?
お笑い番組の「空気」
「順番に来るいじめ」
日常というテレビ番組 ほか
第2章 世間とは何か
席取りをするおばさんの「世間」と「社会」
「しようがない」の意味
インテリが無視する「世間」 ほか
第3章 「世間」と「空気」
「世間」が流動化したものが「空気」
日本人がパーティーが苦手な理由
差別意識のない差別の道徳 ほか
第4章 「空気」に対抗する方法
絶対化に対抗する相対的な視点
「多数決」さえ絶対化する日本人
議論を拒否する「空気」の支配 ほか
第5章 「世間」が壊れ「空気」が流行る時代
中途半端に壊れている「世間」
精神的なグローバル化
不安と共に急速に壊れ始めた ほか
第6章 あなたを支えるもの
資本主義の「中世」化
「世間」を感じるために他者を攻撃する
ほんの少し強い「個人」になる ほか
第7章 「社会」と出会う方法
「世間」に向けて発信した秋葉原連続通り魔事件の被告
「社会」に向かって書くということ
「社会」と出会うための日本語/複数の共同体にゆるやかに所属する ほか
.阿部謹也の語った「世間」
僕なりに阿部さんの言葉を要約すると――。
日本の「個人」は、「世間」の中に生きる個人であって、西洋的な「個人」など日本には存在しないのです。そして、もちろん、独立した「個人」が構成する「社会」なんてものも、日本にはないんだと言うのです。
日本人は、「社会」と「世間」を使い分けながら、いわば、ダブルスタンダード(二重基準)の世界で生きてきたのです。
「世間」とは何か (講談社現代新書)
日本では、後から来る人のために、ドアを押さえている人はまれです。みんな、自分が通った後、後ろの人のことをまったく気にしないまま、通過します。大きく動いて戻ってきたドアにぶつかりそうになることも珍しくありません。
マナーのまったくない、道徳的に最低の国民なのでしょうか?
ここまで読んだ人なら、もうそれは違うと分かるでしょう。後ろから来る人は、「社会」に属している人だから、無関心なだけなのです。「世間」に属している人が後から来たら、立ち止まってとても気にするでしょう。
自分の意見を、百八十度変えて、議論するというシステムは、日本にないものでした。日本人は、集団の決定が、まさに「臨在感的把握」によって絶対化することに慣れていたので、同じ人間がどちらの立場も積極的に主張するということに、なにか戸惑いを覚え���のです。
会社と地域共同体は、日本の「世間」を代表する二大要素です。
日本人を支えてきたのは、地域共同体の安定と会社の安定だったということです。この二つのセイフティー・ネットの存在が、一神教に頼らなくても、安定的で混乱の少ない国と国民を作ったのです。
共同体の匂い」を感じるだけでも、人は元気になります。バラバラだと思える私たちが、じつは同じ集団に属していて、同じ感覚を大切にしている、と感じるだけでも生きる勇気がわくのです。
お笑い番組が隆盛なのは、「笑って嫌なことを忘れたい」という理由が一番でしょうが、同時に、「他人と同じものを笑うことができる」という「共同体の匂い」に惹かれているからだと思います。
「社会」に向かって書くとは、自分がなぜそう思ったかを、一定の情報を相手に与えながら、つまりは必要な情報を交えて、自分の気持ちを書く、といということです。
まったく違ったバックボーンを持った人に理解してもらうためにには、ちゃんとした状況説明が絶対に必要なのです。
当然、ある一定の長さが必要になります。長過ぎても「社会」は読んでくれませんが、3行ぐらいでは、必要な情報はとても伝わりません。
他人との距離が、極端な2種類しかない若者が増えてきていると僕は思っています。
思いっきリタメ口の馴れ馴れしい距離と、「すみません」を連発するよそよそしい距離しかない若者です。それは、理想的な「世間」を相手に求めるか、相手がまったく関係のない「社会」に住んでいると決めつけるか、のニつの世界にしか生きてないことだと思うのです。
不安ゆえに、ひとつの共同体にしがみつけぱ、それは「世間」となります。しがみつこうとする自分を叱るのではなく、不安ゆえに、たったひとつの共同体=「世間」を必死で信じようと不毛な努力をするのでもなく、不安だからこそ、複数の共同体に所属して、自分の不安を軽くするのです。それは、相対化された「世間」と呼んでもいいし、「社会」とつながっている「世間」とも言えるのです。
鴻上さん曰く、「空気」とは、「世間」が流動化した状態である
詳しくは本書を読んで頂くとして、個人的には、その言葉の定義以上に、その考え方によって解き明かされる、私たち日本人の行動習慣の「ワケ」が興味深かったです
私も3ヶ月だけですが、イギリスにいて、ドアを手で押さえる、というのは半ば習慣というか、とにかく延々と誰かしらがドアを押さえているのを目にすると、やらないわけにはいかないのですよ。
これは、知らない人であっても、同じ「社会」に生きる者として当然だからなのですが、日本人の場合、「世間」に属していない人に対しては、おしなべて「無関心」になるワケです。
またこれは、私が本書を読んで思いついたのですが、Twitterが日本で予想以上に普及した理由の1つが「世間に向かって書いているから」ではないか、とか。
それほど長文でないところや、フォローした人しか基本的には読まないところ、さらには、ある程度説明不足であっても、それを許容するあたりが、「社会」というより「世間」に向けた感じがします
お、あとがきによると、本書はいじめに苦しんでいる中学生にまで届いて欲しいと思って鴻上さんは書かれたのだそう。
それもあって、内容的には深いのに、とても読みやすい印象を受けました。
一方、ビジネスパーソンにとっても、「会社での身の振り方」を理解できるという点で、読んで損はないはず。
もちろん、こういった日本特有のシステムについて、外国人から質問された場合にも、答えられるのではないでしょうか(英語でどう言うのかは分かりませんが)。
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「空気」と「世間」の関係性は興味深く読めたが、欧米の一神教との比較が多くやや退屈に思ってしまった。著者のトラウマなのかもしれないが「空気」を読むということに否定的になっていて、日本社会の閉鎖性からの脱却への言及が少なかったのが残念。
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[ 内容 ]
会社、学校、家族、ネット、電車内―どこでも「うんざり」してしまう人へ。
「空気」を読まずに息苦しい日本を生き抜く方法。
人気の脚本・演出家がこの10年間、ずっと考えてきたことの集大成。
[ 目次 ]
第1章 「空気を読め!」はなぜ無敵か?
第2章 世間とは何か
第3章 「世間」と「空気」
第4章 「空気」に対抗する方法
第5章 「世間」が壊れ「空気」が流行る時代
第6章 あなたを支えるもの
第7章 「社会」と出会う方法
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