紙の本
日本人も米作も琉球をつたってきたのだろうか
2008/05/22 00:23
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投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
若いころ見た漂着したヤシの実をあたためつづけ、晩年になって発表した壮大な推論である。
各地に残る竜宮伝説が「東方の海」に理想郷を見いだしているところから説きおこし、かつて宝物だった宝貝をもとめて、中国から宮古島へ、それから徐々に列島を北上したという仮説を提示する。
偶然に漂着しただけでは、家族をともなってそのまま定住するとは考えられない。いったん男がわたり、もう一度故郷にもどり、妻子をつれてさらにわたる、という経緯があったはずだ。だとしたら、渡航するための動機づけが不可欠だ。それが宝貝だった……。「年に一度、竜宮から神が…」という逸話は、年に一度、風向きや海流が渡海にちょうどよくなることをしめしていたのでは、という。
米の伝来についても、稲の種だけが漂着しても、栽培方法や食べ方さえもわからない、という理由で、米と一緒に人がわたってきた、と推測する。
ただ、柳田がこの文章を書いた当時の想定よりも、はるかに古くから日本で米作していたことがわかってきている。米の発祥地は中国雲南という説が有力だが、縄文時代にどうやってどんなルートで米とその技術を伝える人がわたってきたと考えればいいのだろうか。いまこそ彼に聞いてみたい気がする。
今になってみれば読みにくい文章ではあるが、徹底した実証主義には敬服するしかない。
紙の本
海上の道
2022/05/18 09:59
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
柳田国男による南島と本土の文化について考察した論文集。当たれる文献には極力当たった上で、そこに取り上げられていないであろう先人の文化などを考察している。
奇天烈な説を唱えて面白がるのではなく、合理的に考えられる「本当のこと」を求めている。初期の民俗学の雰囲気というか、健全な批判精神のようなものがうかがえてよかった。
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柳田国男氏の著書、私たち日本人の祖先はどのような経路で我が国に移住してきたのか、
伝承、神話、言葉の変化などの多角的な観点からその経路を分析して行きます。
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これも途中です><
柳田先生の読みたいのに時間が無い。
あと『山の人生』と『遠野物語』欲しい。
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沖縄、先島あたりの言語に精通していないと難解な内容もおおかった。
ただ、文化が北から伝播したのではないという説や根の国の話など興味深い内容も多かった。
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柳田晩年の著作。日本人という稲を携えた民俗はどこから来たのか、稲積やネズミの名称、帆船の発達などから沢山の問いを投げかけた一冊。
繰り返される一国民俗学の語が気になる一冊でもあった。また、戦争が沖縄に及ぼした影響をくりかえし残念だと語っている点が印象に残る。
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学生の頃には、全集で読みました。
手元に全集もあるのですが、
いつ購入したのか、岩波文庫版(1992年2月15日第17刷)が
あったので、行き帰りの列車の中で読んでいます。
大江健三郎の「解説」が、素敵。
(2012年9月5日)
正しいかどうかというと、きっと「トンデモ」なんでしょう。それはそれで、よいのです。
(2012年9月9日)
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柳田国男の86歳のときの最後のメッセージといわれる。
前にも、一度読んだことあるが、
そのときは、『つまんない』という感じだった。
あまり、重要なことが言われていないと思ったのだ。
今回読んで、同じ感想だった。
民俗学の考えていることは
なぜこんなに、つまんないのだろうか。
大きなテーマは
『日本人はいかにしてわたってきたのか』ということである。
西海岸を伝う方法と東海岸を伝う方法
風の言葉の収集から・・みえてくること。
椰子の実が、伊良湖岬の海岸に流れ着いたこと
宝貝を求めて沖縄 宮古をめざす
漂流物は 椰子の実だけでなく 人間も漂流する
日本はコメ作国家であるが モミだけでは稲作は伝わらない。
という この構成の仕方は、
風、椰子、人間、コメが 海上の道を通ってやってきた。
ということなのだろう。
ふーむ。
コメが伝えわったことが 日本の文化の中心になった。
何だろう、この物足りなさは、
松岡正剛は、千夜千冊で
海上の道
のなかで、
松岡正剛は言う
『柳田の民俗学は思想の言葉をもたなかった。
見聞をしたことを記載することが柳田の方法で、
それを聞き書きというなら、
まったくそれ以上でもそれ以下でもなかった。』
というのが、正しいのかな。
柳田国男小論
日本の歴史の流れから 柳田国男の変遷が詳しく書かれている。
日本の植民地政策(外なるもの;台湾、朝鮮、内なるもの沖縄、アイヌ)
との関連で、詳しく述べられている。実に参考となる論証である。
海上の道の始まり
貨幣としての宝貝
殷の時代に 宝貝が貨幣だった。
その宝貝は ベトナムもしくは 沖縄からとどいた・・。
殷の時代のヒトが 沖縄にたどり着き 定住した。
それが、コメの文化の始まり?
そして 沖縄特有の酒 泡盛 はどのように来たのか?
柳田国男は 学生時代に 伊良湖の海岸で
椰子の実 を見たことが
日本人はどこから来たか?
という疑問の発端だった。
椰子の実を見た事が、島崎藤村の詩に結実する。
日本は島国なので、
どこからこようと『海』を渡るしかない。
樺太経由であろうと 朝鮮半島経由であろうと
海を通ってやってきた。
柳田国男の 『海上の道』は、黒潮の道だった。
黒潮に乗って やってきた文化。
黒潮が日本でぶつかるときには 沖縄である。
その沖縄が 黒潮から運ばれてきたものを、
一時的に 受けとめ そしてヤマトへ 運んでいく。
沖縄に 黒潮文化が根付いていないといけない。
モミは 黒潮に乗って、沖縄にたどりついたとしても
沖縄の稲作の遺跡は 古いものは残っていない。
私は水田を 石垣や伊平屋島でみたが、
日本の原風景のようなイメージが あった。
なぜ、沖縄に 稲作文化が根付かなかったのだろうか?
それが 九州南部では 稲作の古い遺跡が見つかっ��いる。
海上の道は モミをはこばなかったのだろうか。
柳田国男は、
海上の道の 先は ミクロネシアやポリネシア インドネシア
と想定していたのだろうか?
それとも、ベトナムから中国福建省だったのだろうか?
どうも、稲が伝わるという意味では 福建省を考えていたのだろう。
イネが雲南起源説であり 照葉樹林文化という考え方で言えば
福建省から海上の道で、やってきたことも考えられるが、
(泡盛が・・・タイから もしくは 福建省経由できたように、
(沖縄のお墓の形式が福建省から来たような。
そいう伝わり方の中に モミがなかったのだろうか?
イネの起源説が 揚子江の中流域となったことによって
少し、様相が違うような気がする。
モミと稲作文化は、
揚子江中流域からはじまり、揚子江の河口に ながれて、
九州南部にたどり着いたのだろうか。
確かに ニンゲンは ハプロタイプからいえば
海上の道を漂流してきたようだ。
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『近年まったく本ものの旅ができなくなったために、行って聴けば何でもないようなことを、知らずにいい加減な想像ですませようとしている問題が幾つかある。』これを七十七になって言えるかですよ。若手でもサボってる学者はここでドキッとさせられるのでは。私は学者でも何でもないが、ドキッとしました。
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文章が少し解りづらいのと、日本の旧国名が解らないので地図帳をひきながら読んでいるためなかなか進まないのがもどかしい。早く内容を理解できるようになりたい
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1978年(底本1968年。初出1950~55年)刊。
海洋民、海浜や海岸近辺で生活していた民、あるいは広い意味での海の民を定点にした、昔話、伝承・伝説や慣習・伝統行事などを、広範な記録その他を基に描き出すエッセイ集。描くという言葉が相応しく、詩的な表現で縦横無尽に彩っていく。
が、まさにそれが弱点とも言える。著者の余りの博識に支えられた多種多様な文献解説(それこそ聞いたことのないような文献がわんさと出て来る。)を例にとると、記述の元となった文献・記録が、果たしていつ、どういう経緯で作成されたのか。
また、伝承や昔話の入手経緯が全く書かれないため、その時代相を捕まえるのが難しい。加えて、明らかにしようとするテーマと時期も書内ではさほど意識されない。
つまり、例えば、中世後期や近世の文献で、縄文期の状況を解明する作業には、注意を要するはずだが、こういう点への配慮がないのだ。
一方、昔話の多様さとその数に幻惑されがちだが、本書はそれら誕生の場所と時代とを有機的・網の目状に関連付けつつ、一つの事実を明らかにしていくという書き方ではない。
故に数多説明される昔話の適示によって何を明らかにしたいのか。これがイマイチ判然とせず、これはマイナス要素と言わざるを得ない。
とはいえ、ここまで多様に昔話・伝承・伝説を集積して書き切った書は多くはなく、貴重な書であることは明らかだ。
誰か本書に即した形で注釈付きの解説書を書いたら、それは先人の偉業のバトンを後代に繋ぐという点で、価値ある知的営為と考えるのだが…。
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日本人がどこから日本列島に渡ってきたのか、文字を使って残っているものでなく、主に沖縄での言葉や習慣と他との対比から新しい海上の道があったのでは、という仮説に基づく試論、だと思う。
民俗学というのか、初めて足を踏み入れてみた。咀嚼するのにかなり時間がかかり、内容の何を理解したかというと何も理解出来ていない気すらするけれど、柳田國男の思索の中を漂えた。ただ漂うだけでも楽しい経験だったけれど、もっと意味するところを理解したいという気になる。
170801
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遠野物語が面白かったのでその海版だろうくらいに思って読んでいるが思いの外苦しい。主に薩摩以南の島嶼に話で言葉が分からん上に完全に島嶼文化でなじみなく頭に入ってこない。