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これも、積読が長かった本です。
いや、読みづらい。
自分の教養無さを呪います。
ミクロで見ると個々の文章はむちゃくちゃ面白い。
劇中劇というか、登場人物が、それぞれの思惑で嘘をついたり、芝居をしたりの動き方は、現代喜劇でも充分通用するくらい。
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1編と同様な内容が続いているが、登場人物がだんだん増えてきてしかも、それが男装をするということでシェークスピアに似ている気がしないでもない。
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冒頭からかんじる違和感ではあるが、
ドン・キホーテが分別を店始める。
この一巷は2・3の物語から大きく構成されているので、
まとまった話としては面白い。
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だんだん面白くなって来ました。
最後に付け加えられている小噺は、
男女の恋が如何に普遍的なものなのかを示している気がします。
親友と愛する妻とを一度に失うということの罪深さよ。
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どんどん盛り上がって来たよ。ドン・キホーテとサンチョの掛け合いのキレが出て来たし、メタ度も上がって行く一方
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二巻では劇中劇やら小説内小説やら出てきており、サンチョの悪態は止むことなくドン・キホーテも負けじと狂人を装うため下半身剥き出しで宙返りを始めたりとやりたい放題。新たな登場人物も自らの悲劇を語った思いきや、揃って狂人ジジイを笑いにかかる。喜劇は悲劇より強し。「ミコミコン王国のミコミコーナ姫」というネーミングセンスがツボに入りすぎて腹痛い。この本自体も架空のアラビア人作者シデ・ハメーテ・ペネンヘーリが執筆したものとされており、セルバンテス自身は第二の作者として物語の責任をぶん投げたりとアイロニーは止まらない。
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本編は、サンチョ・パンサの編であるといって過言 ではないと思う。
憂い顔の騎士ドン・キホーテが入山してしまったため、サンチョはメッセンジャーで あり、レスキューであり、入山してしまった主と外界を取りもつ唯一の接点なのである。
頼りのない忠誠心を抱え、それでも誠実でありたいと願い、自身が選んでしまった主のために奔走す る。 そう、サンチョはまさに私のこそ中にいるのである。
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セルバンテス 「 ドンキホーテ 」22章〜34章
見方を変えて 再読中。ドンキホーテ=イエスキリスト という見方で 読んでみた。しっくりくる。セルバンテスが コンベルソなら、あえて 異端者を主人公にするはずない。
この巻は 前巻より 性悪説なメタ小説や性悪説なセリフが多い。性悪説な世界で 繰り返し袋叩きにされるドンキホーテは、キリストのイメージと重なる。
しかし、ドンキホーテ=キリスト だと、サンチョの神性の意味が薄まる。ドンキホーテとサンチョの一体説でもいいかもしれない。前篇最終巻は ドンキホーテ+サンチョ=キリスト」な感じで読もうと思う。
それにしても、サンチョはいい事を言う。「退却は逃げじゃない〜危険が希望より大きい時に それを待ち構えるのは利口ではない〜明日に備えて今日のところは自重する」「人はそれぞれ自分のパンを食べれればいい〜人間はそれを吊す釘さえない所に塩豚を求めたがる」
性悪説
*下賎な連中に恩恵をほどこすは大海に水を注ぐようなもの
*下種な連中は 約束を守っても何の得にならないと分かると〜平気で反故にする
*思いがけない時に〜人がつまづいて倒れるようなものを出す
*フェルナンドの愛憎劇、「愚かな物好きの話」の悲劇
狂気の模倣
重要なのは原因もなく狂態を演じること〜理由もなくこんなことするなら、理由があったらどんなことになるだろうと思わせる
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前篇1より教訓になる話しが増えたように思う。 なんだかドストエフスキーを思い出した。 この巻は全体として愛や不貞についてが主体。 やっと分かって来たが、サンチョは名言製造機である。 挿話の愚かな物好きの話は、読んでいて物語の中の物語であると言う事を忘れてしまう程の、重厚な内容で原書はどうか知らないがこの本では挿話の途中で話が次巻に続いていて、続きがとても気になってしまう。
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2021/3/17
小説内小説での友情が情欲によって破滅する悲劇には引き込まれる。シェイクスピアもそうだけど、このパターンは多いね。情欲を捨てるのは危険を冒さない真っ当な人生を歩めるとこになるんだろうけど、それじゃあ起伏がないし、何より文学にならない。これらのバランスはどう取るべきか・・・
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ドンキホーテの周囲の人たちが、彼の異常さを理解した上でそれに乗っかって話をするくだりや、相変わらずのサンチョとの漫才が面白くて、声を出して笑ってしまいました。
新たな登場人物たちの恋愛話と、劇中で読まれる小説「愚かな物好きの話」が本当に面白い。展開がうますぎます。
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前篇1からさらに面白いエピソード満載でした。
カルデニオやドロテーアなど新たな登場人物が、複雑で意外な相関関係で次の巻でどうまとまってくるのか楽しみです。
作中作も面白かった。
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理性と狂気。先が気になる。
120
どうか、せめてわしが素っ裸になってやる一ダースか二ダースの狂態だけは見ていってもらいたい、ものの半時間ほどでやってしまうゆえ。
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ドン・キホーテ二巻。
一巻はこちら
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4003272110
二巻途中までドン・キホーテの冒険は「繰り返し」だと思った。ドン・キホーテが何もかも騎士道物語に見えてしまい、突っ込んでいって、こっ酷く遣り返されて、懲りずにまた突っ込んで…
この調子で全六巻話が続くのか?と思っていたんだが、二巻の途中から話はドン・キホーテ以外の人たちのエピソードが次々語られていくようになる。
物語の中に物語が何重にも入れ込んでいてそれぞれが関わったり関わらなかったり。そしてとにかくみんな饒舌であり、感情豊かであり、話も面白い。ところどころに語られるセルバンテスの文学論のようなものも興味深い。
<あなたの話を聞いてうんざりするどころか、その脱線や細部がとても興味深い。それこそ本筋と同じほど傾聴に値するものだから、省略しないで話してもらいたい P171>
エピソードごとにメモしていきます。
❐囚人
ドン・キホーテは、ガレー船へ送られる漕刑囚たちと役人たちの一行に出くわし、いらん正義心が起きあがる。
ドン・キホーテは囚人一人ひとりの話を聞く。彼らの話がバラエティに富んでいるというか、言い方が面白いというか。
「肌着でいっぱいの洗濯籠に恋をした!」⇒フェチ?強盗の言い訳?
「みなさんが楽しくなるような恋のとりもちをしただけなのに」⇒女衒屋のようなものね。
「女性たちと関係を持ったら、血縁関係をややここしいことにしてしまった」⇒色事師?訴えられたってことは不誠実だったんだろう。
「俺は自伝が書けるくらいの悪党だぜ」⇒本物の悪人だ!
そんな囚人たちがこぞって言うのは「裁判相手は賄賂を使ったのに、自分は金が足りないばっかりに有罪になってしまいました」ということ。これは言い訳も大いにあるだろうが、やはりこの時代、賄賂が結果が物を言ったということも事実なのだろう。
そんな囚人たちの話を聞いたドン・キホーテは、<われわれの意思はもともと自由なものであって、これを左右しうるような薬草もなければ魔術もないからでござる。P17>などと言って漕刑囚を逃してしまう。
現代読者の感覚からすると「極悪人逃がすのはやりすぎ」と思ったんだが、物語上でも囚人たちはドン・キホーテに感謝するどころかボコボコにして荷物を奪って逃走する。
ドン・キホーテはさすがにしょげたが囚人たちを追おうとする。サンチョ・パンサは、国家の囚人を逃がしたドン・キホーテに向かって<退却することは逃げることじゃねえし、危険が希望よりずっと大きいときにそれを待ち受けるなんて、決して利口なことじゃありませんよ。P37>というまともな言葉を言う。
この場面は、狂人のドン・キホーテと囚人が語るということで、正義や倫理があやふやになる感じだ。囚人の中でも揺るぎない悪であるネメスと倫理観は正しいが妄想に囚われるドン・キホーテの倫理。さて、おかしいのはどちらだろう?
なお、この後の記述で、サンチョ・パンサの馬が盗まれた盗まれないに矛盾があり、読者からも突っ込みがあったらしく、セルバンテスは「作者が思い違いをしていたか��印刷屋がうっかりしていたにちげえねえ」などと開き直り言い訳を書いている 笑
❐狂騎士カルデニオ
囚人事件の後、主従凸凹コンビはシエラ・モレーナ山に入り、狂気の若者カルデニオに出会う。
カルデニオには、将来を誓い合った美女ルシンダがいた。だがカルデニオの友人で男爵の次男坊のドン・フェルナンドが、ルシンダの両親に結婚を申し込んでしまう。ルシンダはカルデニオに手紙を書きながらも、両親に逆らえずに結婚の日が来る。カルデニオは、ドン・フェルナンドとルシンダの結婚の誓いの言葉を聞くしか無い。
誓いの言葉の後ルシンダは卒倒する。そしてカルデニオもその場を逃げ出し、心乱れるままに今いるこの山に辿り着き、狂気と正気を漂うことになった。
<おお、わたしの安らぎの不倶戴天の敵たる、記憶よ!P170>
…なおカルデニオの身の上話の途中でドン・キホーテが口を挟んだために、話が一旦中断してしまう。ドン・キホーテにはカルデニオの騎士道物語に対するコメントが許せなかったのだ。物語の解釈違いで喧嘩が勃発!オタクの会話だー 笑
❐想い姫ドゥルシネーアへの慕情のための狂乱に陥るドン・キホーテ
ドン・キホーテはサンチョ・パンサに、思い姫ドゥルシネーアへの手紙を届けさせる。
なおドゥルシネーアというのは、ドン・キホーテが「騎士には想い姫が必須」として、田舎娘のアルドンサ・ロレンソを高貴なる「ドゥルシネーア・デル・トボーソ姫」ということにしている空想のお姫さま。
この”姫”に対するドン・キホーテの考えは案外冷静で「歴々の騎士たちも理想の女性を持ち、美化し、自分で呼び名を付けて、礼賛し、その気持の強さ故にその女性を高貴な女王と同等のくらいにまで押し上げていただから、たとえ本人が田舎娘で文字分が慕っていればそれでいい」という。
そしてサンチョ・パンサは、田舎娘アルドンサがドゥルシネーア姫だと知って喜ぶ。「あの娘っ子のことですかい!若衆にも負けないくらい力強いし、遠くまで聞こえる大声を持ってるし、誰とでも冗談を飛ばして風刺の効いた洒落を飛ばしたり、しゃきっとして気風がいいんでさ!」
おお、ただの田舎娘かと思っていたら田舎のシャキシャキ娘だったのか。
まあそんなこんなでサンチョ・パンサはドン・キホーテの手紙を届けに行くのだが…その時にドン・キホーテが「わしがドゥルシネーア姫を思うあまりに気が狂ってしまったと伝えてくれ。証明するためにいまから狂乱を演じてみせるから!」と言って、ズボンを脱ぎ捨て下半身丸出しで逆立ちしてみせたんだそうな。サンチョ・パンサは「うへええええ」とでかけましたとさ。
そして尻丸出しで逆立ちの挿絵(版画)も収録されている笑・笑
…狂乱のドン・キホーテは、岩にドゥルシネーア姫を慕うソネットを書きつけるのだが、のちにそれを読んだ人たちは、「『ドゥルシネーア』の前に必ず『エル・トボソ(居住地)の』が付いていることに笑いを隠さなかった」と書かれている。これって和歌で言えば例えば「たらちねの→母」のところを「たらちねの→猫」「たらちねの→山」とか書いちゃってるような感覚だろうか?
❐ドン・キホーテ(郷士アロンソ・キハーノ)の友人の司祭と床屋再登場
町に向かうサンチョ・パンサは、司祭と床屋に出会う。サンチョ・パンサから話を聞いた彼らは、アロンソ・キハーノを正気に戻すため、乙女とお付きの男に変装して山に向かう。この時どっちが女装するか?でドタバタする二人。
…26章から29章はドン・キホーテの出番が少ないのだが、その分他の人達がドタバタ役を担っているし、ドン・キホーテがいないおかげで話が進む 笑
❐美女ドロアーテ
ドン・キホーテを追ってシエラ・モレーナ山に入った司祭と床屋は、カルデニオと出会い、さらに自らを嘆く美女ドロテーアと出会う。ここで彼女の身の上話。
美女ドロテーアは、男爵の次男坊ドン・フェルナンドから結婚を約束されて彼を寝室に入れた。そう、カルデニオの話に出てきたドン・フェルナンドだ!
しかしヤることヤッたドン・フェルナンドは、ドロテーアの寝室からサッサと出ていきそれっきり。家にいられなくなったドロアーテは、家を出て彷徨うしかなかった。その数日後に、ドン・フェルナンドとルシンダの結婚が行われる。
だがそのルシンダも、結婚式の後出奔したという。
カルデニオはドロテーアに、自分こそがそのルシンダの婚約者であることを告げる。
そして司祭、床屋、カルデニオは、ドロテーアの身柄を守りドン・フェルナンドとの結婚の誓いを果たさせることを約束する。
❐架空の姫
司祭と床屋は、ドロアーテに架空の国の王女様になってもらい、高名な騎士ドン・キホーテに助けを求めるという芝居を頼む。
ドン・フェルナンドとの未来が見えて気が晴れたドロアーテは、ノリノリで王女様になりきり、ドン・キホーテ相手にみんなでお芝居をする。
❐騎士道小説
その晩、ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ、カルデニオ、ドロアーテ、司祭、床屋は、一巻でトラブルのあった宿屋に泊まることになる。
ここで本筋から外れた「物語」として、宿屋の宿泊客の「騎士道小説」が挿入される。
『二人の親友の騎士、ロターリオとアンセルモがいた。ロターリオは美女カミーラと結婚して、素晴らしい日々を送る。しかし恵まれた者の妙な心理が働き親友アンセルモに「自分は大親友の君と、世界一素晴らしい妻カミーラがいてとても恵まれている。そこでカミーラがどれほど素晴らしいか再確認したい。君、カミーラを口説いてくれたまえ」
こうして奇妙な三角関係がこんがらがって…』
…二巻はこの中途半端なところで終わりだーー!
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劇中作も、素晴らしい出来。演技が意味を持つ。三重に入れ子構造になっている。
とにかく、物語の多層構造を熟知した小説だ。