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紙の本

水への畏怖と音楽の接点

2002/11/06 13:51

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:しょいかごねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

表紙の絵はラファエロ前派の画家ウォーターハウスのもの。何人かの裸の女の人が水の中から岸辺の男性を誘惑している。あ、きれいな絵だな、と思ってよく見た途端、すっと背筋に冷たいものが走る。これは…この女性は魔物なのだ。
本書はまず、ラヴェルの「夜のガスパール」の第一曲「オンディーヌ」を妖艶に弾いたほうが良いのか、清楚で高踏的に弾いてはいけないのか、という疑念から始まる。この問題を発端に、水、水の妖精、「宿命の女」などの概念のルーツを、ギリシャから19世紀に至るまでの神話、民間伝承、文学、絵画、そしてもちろん音楽といった、広い分野に模索していき、登場するさまざまなイメージや女性像を一つ一つ解きほぐしていく。たくさんのカテゴリーがだんだんと集約されて、「オンディーヌ」と、「メリザンド」の対極にフォーカスしていく様子は、あたかもミステリーを読んでいるかのようである。
そしてジグゾーパズルの最後のピースは、ちょっと意外なところから現れる。そして結局、この一連の論考は、作者のピアニストとしての経験と鋭い感性の賜物なんだな、と気がつく。
水に対して我々が感じるいろいろなもの、民間伝承で用いられるイメージは、世界各国かなり似通っているらしい。水とは、異界との境界。そして水それ自身の持つ不可思議な魅力や畏怖の念。こういったものを音楽の観点から論じた本として非常に面白かったし、得るものもたくさんあった。なにより、ちょっとした曲でも、その背景にこれだけのヨーロッパ芸術の歴史と伝統を抱えていると言うことを、まざまざと見せ付けられた気がした。
民話や小説の解説はかなり丁寧でわかりやすいのだが、音楽の描写は非常に感覚的で(音楽なんだから仕方ないんだけれど)、音楽にあまり親しみがないと理解しづらいかな、という気もする。本書と同時に、作者の演奏による同名の「水の音楽」というCDが発売になっているという話で、本書に登場する曲が多く演奏されているので、これは是非聞いてみようと思う。

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紙の本

美しい誘惑の書

2002/04/07 16:25

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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 青柳いづみこの指先が紡ぎだす文章は美しい。北欧神話の海の女神ラーンのように「網をはり」、人魚伝説のルーツとなったセイレーンのように「ひきずりこむ」その言葉は、水の精をめぐる物語世界やドラマへ、そして水の音楽とピアニズムの分析へと読者を誘惑する。

 「女が子宮で考える、とよくいわれるのと同じ意味で、ピアニストもまた、指先で考える動物といえばいえよう」(プロローグ)。ピアニスト青柳いづみこの思索は、モーリス・ラヴェルのピアノのための組曲『夜のガスパール』第一曲の「オンディーヌ」とドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』のヒロイン・メリザンドとを結ぶ想像力の源流をたどっていく。

 《水は本来抽象的なものである。水はどんな形でもとることができるが、そのどれでもない。それは、ピアノの音についてもいえる。ピアノは、イマジネーション次第でオーケストラのいかなる楽器にも擬せられるが、実は何でもない。
 水は、ピアノに似ているのである。その証拠に、水をテーマにした歌曲の水の描写の部分は、いつも伴奏のピアノが受けもつではないか。
 メリザンドのようなオンディーヌとは、つまりそういうことなのらしかった。留学生は、何より水を弾きたかったのだ。「出かけていく女」オンディーヌは水の擬人化としての水の精であり、「何もしない女」メリザンドは、擬人化される前の水の象徴だった。メリザンドとオンディーヌは、彼女の中では、水によってつながっていたのである。》(エピローグ)

 随所に織り込まれたギュスターヴ・モローやフェルナン・クノップフやロセッティのモノクロのタブローがイマジナリーな音の世界を沈黙のうちに指し示し、読み終えた時、私は音楽への飢渇感にさいなまれている自分に気づいた。このような読後感は、今泉文子『ロマン主義の誕生』(平凡社)や丹羽隆子『はじめてのギリシア悲劇』(講談社現代新書)以来ことだ。

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紙の本

もしこの世に男を誘う女と誘わぬ女の二種類いるとすれば…

2001/11/02 18:16

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投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ピアニスト、音楽学者(博士論文は『ドビュッシーと世紀末の美学』)、作家(『翼のはえた指 評伝安川加壽子』吉田秀和賞、祖父青柳瑞穂の評伝『真贋のあわいに』日本エッセイスト・クラブ賞)として知られる青柳いづみこさんが、またまた彼女ならではの面白い試みをした。一は『水の音楽』の刊行。二は、本書に合わせた同名の新譜『水の音楽』(キング、KICC363)のリリース。三は、本とCDをリンクさせた3回のリサイタル「水の音楽」である。こうして書き連ねると簡単そうだが、実際に本・CD・リサイタルを、ほぼ同時期にこなし得るピアニスト=作家など、世界にもそうはいない。また驚くのは、三者とも、みな一級品でスリリングなことである。これには誰でも驚く筈だ。本の「あとがき」で彼女は、長い間自分は書くことと弾くことの兼ね合いに、精神的、肉体的に悩まされてきた。従ってこれまでは、レコーディングやリサイタルの前二か月は準備期間を置き、単行本の進行は止めてもらい、連載や単発エッセイは前倒しして書き上げ、練習に専念した。ところが今回は、本の執筆とCDの録音が同時進行、レコーディングの一か月前は原稿の執筆中、録音本番一週間前に校正ゲラが出たりで、かつてないプレッシャーを感じ、「何度逃げ出そうと思ったかしれなかった」。ところが録音の二日目になると、楽器が手にもホールの空気にもなじみ始め、全体の構成の中で、どのようなテンポと歌い方を選び取るかなど、音楽と直接向き合う充実感が得られたと書いている。『水の音楽』の内容は、もしこの世に男を誘う女と誘わぬ女の二種類いるとすれば、水の精オンディーヌは明らかに前者、ベルギーの作家メーテルリンクの生み出したメリザンドは後者である。「水の精」とは何か。オンディーヌはそのどちらに属するのか。『ペレアスとメリザンド』の物語と「水の精」との関係は。さらに著者は、これらの主題を巡ってギリシャ神話から19世紀末まで話題を広げ、水のイメージと「ファム・ファタル」(宿命の女)との関連。絵画、文学、音楽に現われた「ファム・ファタル」のヒロインたちに関する論考へと自在に展開させるのだ。また最終章「水の音楽」では、「ドビュッシーとラヴェルにみられる水の表現の違いは、そのまま、本質的に線の作曲家であり、音の粒ひとつひとつが輝きをもつことを要求されるラヴェルのピアノ語法と、細かい走句はペダルで音をまぜてひびきの帯と化し、連結する和音塊そのものが旋律として扱われるドビュッシーのピアノ語法の違いに対応する。それはまた「クラヴサンのようにピアノを弾いた」ラヴェルと、「ビロードのようなタッチ」の持主だったドビュッシーのピアニズムの違いでもあった」といった文章も挿入される。CDの内容は、リスト「エステ荘の噴水」、ラヴェル「水の戯れ」、ドビュッシー「水の反映」、ラヴェルとドビュッシーの「オンディーヌ」、ショパン「バラード2番と3番」、リスト「ローレライ」「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」、ラフマニノフ「バルカロール」、フォーレ「シチリアーナ」で、いずれも「水」の表情が浮かび上がるような秀演で、これまた感心した。

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2006/12/18 10:58

投稿元:ブクログ

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