紙の本
筆者渾身の一作
2021/05/24 20:18
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひでくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
被差別部落とか同和問題という言葉を、今まで生きてきた中で、私はしばしば耳にすることがありました。しかし、その言葉の中身が、本当の意味が、分かりませんでした。
筆者の衒いのない文章は、私の中の疑問を、丁寧に解決してくれました。
筆者の渾身の作品を、とても興味深く読ませていただきました。学ぶところが沢山あり一読の価値ありです。
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本書はかつて中上健次が「路地」と呼んだ被差別部落。自身もその出身者である著者が日本全国に存在する路地を旅する異色のノンフィクションです。ある意味で貴重な記録であると思います。彼らの息遣いが聞こえます。
「被差別部落」行政用語で言うところの「同和地区」。作家の中上健二氏はそこを「路地」と称していたことや、彼自身の「路地」の出身者であることを僕はこの本を読んで知ることができました。この本は自身も「路地」の出身者である筆者が日本全国の「路地」を訪ね歩き、そこで暮らしている人の生活や生業などについて記した異色の一冊です。
この本の元になった連載を掲載していた雑誌は僕も愛読している「実話ナックルズ」ですが、残念ながら僕は読み飛ばしてしまい、こうして単行本になったことで読むことができて少し安堵したことを覚えております。
印象に残っているのは東北で生皮をなめして太鼓や剥製をを作る職人や山口の「路地」では幕末の際に「屠勇隊」という「路地」の人間で構成された部隊があったり、威信のさきがけとなった吉田松陰が獄中で通した純愛の相手である高須久子が身分違いの相手と情を交わしたことがきっかけで獄に入ることになったという話などは、非常に衝撃を受けたことを覚えております。さらに「山口、岐阜」のくだりで描かれている猫の皮を使った三味線を作る話と動物愛護団体の軋轢や、牛肉偽装問題についての地元の見識。さらには彼らが先述した東北で太鼓に張る皮を作り、剥製も作る職人のことを知っていた、というくだりには「路地」の人間独自のネットワークが息づいているのだな、という感慨深いものを読みながら覚えてしまいました。
僕の中でなぜかはまだわかりませんが、どうもこういう本を読む傾向があるらしく、日のあたらない問題だからこそ、自分の中で追求してみたい、というものがどこかであるのかもしれません。筆者が自らの足で訪ね歩いた「貴重な記録」だからこそ、これは後世に残ってほしいなと、個人的にそう思える一冊でありました。
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中上健次が「被差別部落」を「路地」と表してたのは知らなかった。
その「路地」を訪ね歩いた作品。
途中、退屈にも感じたが、終章にて沖縄に訪問する件には、そこはかとなく込み上げるものがあった。
てっきり「路地」の方々は、所謂「穢れた仕事」に従事したのかと思いきや。
いろいろなお仕事されてたんですね。
東北にはてっきり、無いと思ってたんですが、あるところにはあるもんだなと。
ただ、意識は限りなく低いですがね。これは私の実感。
著者の他の作品も読んでみたい、そう思わせる作品。
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うねりや盛り上がりには欠けるが、丁寧に足で歩いてたどった記録であることは充分伝わってくる。決して他人事でなく、自身の半生に寄せて感情が揺れるのも、生々しく響いてくる。
西村氏の解説にはがっかり。
「被差別部落が”路地”とも称されることは、これまで全く知らなかった。本書によると、その呼称の元は中上健次の記述に端を発するそうである」と書き出しているが、少し小説を読む人ならば周知のことではないか。
「私は風貌が少し中上健次に似ているとのことで(略)しかし実際はただの一作も読んだ経験がないので(略)」
などど、読んでいないこと、知らなかったことを、こうも平然と曝されると脱力してしまう。
恥ずかしいと思ってほしい、と思ってしまう。
少なくともこの解説を書くにあたり慌てて読んでよ、そしていかにもとっくに読んでましたと虚勢をはってほしいと思うほどであった。
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被差別部落(穢多・非人)に関するルポルタージュ。
著者も部落出身だが、解放運動の闘士ということもなく、かと言って遠巻きに見る傍観者というでもない、適度な距離感の視点がよかった。
しかし、楽しく読める本では無い。
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自分の中の弱みは隠せるなら隠したいものである
著者は自らを抉るように自身の出身地を著しながら
書き続ける。例えそれが自らを傷つける事になったとしても。人間の根源的な差別問題を柔らかい文体で綴るノンフィクション。
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文章力で読ませる半面、ルポ+私小説のような感じなので、好き嫌いはわかれるのではないでしょうか?
食肉文化と非差別部落との関係については他書より、参考になりました。
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FBで友人が読んでいるのを見て、ポチったのは半年前くらい。読むにはちょっと重そうだったので、今まで読まなかった。路地とは被差別エリアのこと。路地出身者の著者が日本中の路地を廻った記録。現地のことを語りながらも自分のことを語っている気がする。自分の地元でこんな路地があるのかないのかも知らないが、こんなことがまだ語られていて驚くとともに、淡々と述べる著者の力量もなかなかのもの。解説が苦役列車の西村さんというのもおもしろい。
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著者はノンフィクション作家。
路地という言い方は作家中上健次に拠ったもの。
各地の路地を訪ね、路地と密接な職業に従事する方のインタビューや路地の中心となる神社などの宗教施設を訪れ、路地の移り変わり、そこに住む人々の意識の変化を描いていく。
作者自身も路地出身であり、路地を訪ね歩くという行為は、自らの過去を旅する行為でもあるのか、時折「感傷」的な部分が強くなるように感じた。
しかし、文庫本でここまで表現できるということには、少し驚きを感じた。差別に対する禁忌が薄まっているのか、それとも風化が始まっているのか、いずれにせよ、この著者の今後は注視していきたい。
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(推薦者コメント)
日本中の部落を旅したルポ本。部落の人々は歴史の傍観者ではなく、様々な関わり方をしてきたのだと感動すら覚える。固定観念を捨てて、様々な人に読んで欲しい本。
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路地=部落のこと。路地出身の著者が日本全国の路地を訪ね歩き、その路地の現在での生活ぶりや伝統的な産業、インタビューに応じてくれた方自身「差別を感じたことはあるか」などを丁寧にまとめた書。
部落という存在は学校で習ったから知ってはいるものの、生まれも育ちも北海道の私には「土地や職業」で差別されるということがなかなか実感として理解しにくい。
本書は「なぜ差別されなくてはならないのか」「差別反対」という方向ではなく、路地の人びとの生き方や思いを掬っているので心に思い浮かべやすい。
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僕は北海道で生まれ育った。北海道にはいわゆる同和問題は少ない。そんな僕に同和問題とは何かを、肌で教えてくれた。
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「路地」とは被差別部落のこと。中上健次は被差別部落を指してそう呼んだそうだ。自らも路地出身の筆者が全国に点在する路地を巡りその成り立ちや景色を描出する。
西日本では身近な路地も、関東では馴染みのないことが多い。しかし東京にも路地は存在したし、いま現在も路地はたしかにある。そうした路地の記憶を掘り起こしながら筆者は旅をつづける。
やがてその路地巡りは、筆者自身のルーツ、そして家族と重なり合う。路地出身の筆者が路地を巡ること、それは図らずも自らの半生と路地との関係を再認識する作業となる。ここに至って、本書は単なるルポルタージュではなく、巻末で西村賢太が言うように私小説としての要素さえも獲得する。
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先日読んだ、『橋下徹現象と部落差別』にて、著者が「被差別部落出身者が、自ら育った被差別部落で売文している」と批判されていたので手に取ってみた。
全国各地の「路地」に出向いて、それぞれのルーツを探る。
ときには、著者の過去も照らしに合わせる。
この本を読むだけでは、批判すべきようなものではなく、小林健治氏と被差別部落に関するスタンスが違うだけだと感じる。まあ、小林健治氏が批判したのは、雑誌に橋下徹に関して書いたことだけならばわかるが。
個人的に被差別部落=路地というのは、かなり違和感があるが、中上健次の本を読みたくなった。
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路地=被差別部落、そして同和。エタ、非人など、タブー視されてきた問題に力む事なく、しかし力強く迫った渾身のルポ、か?