紙の本
スラップスティック
2001/05/09 22:57
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投稿者:hiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
カート・ヴォネガットの小説に共通して読み取れる、ちょっと憂鬱になるような諧謔、皮肉、ペシミズムといった特徴が、この小説にもある。時に時間や空間が錯綜し、複雑極まりなく読みづらい小説であっても、「もう1度読もうかな」と思ってしまうのは、そんな中にもどこかホッとするような、人のあたたかさや優しさが描かれているからだろう。「見るべき物もない汚い世の中だけど、こんな良いところもあるんだよ」という作者の声が聞こえてきそうだ。そんな穏やかなあたたかさが、この小説にもあると思うのだが、どうだろう。
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どたばた喜劇っていう意味〜ある日突然,地球の重力が強まり,緑死病が現れてアメリカは御秩序状態となる。ミシガン国王やオクラホマ公爵が割拠し,マンハッタンのエンパイア・ステート・ビルの廃墟に最も身長の高い大統領が手記を綴る。顔はネアンデルタールで,双子の姉と一緒の時は天才を発揮するが,一人だと並の天才。幼くして引き離され,医者の道を進み,市民全てにミドルネームを振って家族の拡大と融和を図るという公約が受け入れられたのだったが,投票自体も少なく,権力もない〜慣れないと読みにくいなあ,特に本当の自伝から仮装の自伝に入っていく部分と,名前がくるくる変わる点。これが当時のアメリカの高校生に受け入れられたのか? スローターハウス5を読むかな。ということで,内容は分かっちゃったから,読まなくて良い。児童文学から純文学へのシフトが進んでいるのだろうか
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廃墟と化したNY。最後の奇形大統領が述懐するこの世の終わりと自伝。ヴォネガッド一流の省略と分割、累積で物語が綴られる。あっけないほど空虚で、乾いたユーモアがそこかしこにばら撒かれ、断片と変人のエピソードの重層に惹かれ、なんとなく最後まで読んでしまう。プロローグのリアルなぼやきから物語へ滑り込むあたり、何も考えて無さそうだが、細かい計算づくだろうか。最後もあまりに唐突。しかも物語の続きを匂わせる。自伝は長い時間の一片であり、さらに別の視点で先へ続くと示すがごとく。舞台仕立ては瑣末なこと。拡大家族システムこそがテーマか。孤独じゃない。ハイホー。
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副題は「または、もう孤独じゃない!」。ヴォネガット1976年の作品。
ここでのテーマは拡大家族。そう、ヴォネガットが生涯テーマにした「拡大家族計画」だ。
「スラップスティック」は、設定も展開も登場人物も、なにもかもがハチャメチャで奇想天外。
特に、主役のスウェイン医師と姉のイライザとの「お祭り騒ぎ」のくだりは爽快そのものだ。
この爽快感がヴォネガットらしさなんだなぁ。
テーマ的としては、「猫のゆりかご」でヴォネガットが提唱したボコノン教をうんと推し進め、
現実的にしたもののように感じた。
人びとをカラースで分類した代わりに、「スラップスティック」ではミドルネームを政府が発行し、
無数のいとこ兄弟姉妹を提案した。
アイス・ナインで人類が瀕死のふちに立たされる代わりに、重力の激しい変動を用意した。
SF的な要素が濃いながらも、「タイタンの妖女」のようなやりきれなさは感じなかったし、
「猫のゆりかご」のように突き放した絶望感も感じなかった。
ただ訪れるものを受け入れつつ、人々が変容していくことにも動じず、
淡々と生きてゆく数少ない登場人物のありようは、ヴォネガット文学を貫く普遍的なテーマに則っている。
この作品は、設定の奇想天外さにおいても、
根底に流れるテーマの普遍性においても、ヴォネガットらしさがバランスよく含まれている。秀作。
なお、訳者あとがきでは、拡大家族のヒント、星座占いがなぜこうまでも受け入れられているかについて
ヴォネガットが語ったコトバが引用されていたが、
この作品を理解するうえでとても大きな助けとなった。うーん、さすがだ。
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笑いと涙。
そこにあるのは単純な感情ではないはずだ。
壮大な舞台で見る、
一人劇のような爽快さと寂しさを
同時に感じ取れる秀作です。
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ヴォネガットの作品中でもこれが一番好きっていう人は、多いのか少ないのか。どうなんだろう。
わたしが思うのは、ヴォネガットの愛情深くセンチメンタルな一面がもっとも強く(あるいはもっともストレートに)出ている作品なんじゃないかなということです。
ストレートって言っても、まあ本当の意味でストレートじゃ当然ないのですが、自分の心には直球で届いた言葉がいくつもあった。
読んでいて、線を引きたい!って思う気持ちに何度かなった。これまでほとんどそういうことはなかったのだけど・・・
手元に本がないので、はっきりと引用できないけど、
勉強にしろスポーツにしろ、才能を周囲から認められている地方在住の少年少女は故郷から出るな、そうしている限り幸せでいられる
…というような趣旨の一文があって、なんかもう深くうなずいたものです。
才能ということについて、あれこれ考えていた時期だったので。
買わなきゃいけない、何度も読み返さなきゃいけない本です。
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最新作だが意味不明
性懲りもなくヴォネガット。タイトルは「ドタバタ喜劇」の意味。比較的新しい作品で登場人物はすべて新人。
ふたりあわせると天才頭脳を発揮する双子の男女がわかれわかれに。男は大統領になるが、その頃地球は重量変動と(なんと科学技術でマイクロ化した中国人の吸引による)病気で壊滅している令。こういう背景。
大統領のスローガンはミドルネームを強要し、同じミドルネームは大きな家族として暮らすこと。「ローズ・ウォーター…」につながる一風変わった平等と愛がここに見える。
エピローグも含め中身は意味不明蓮なんだが、プロローグは強烈。ヴォネガットの人生が数頁に綴られている。兄のこと、姉のこと・・・。
そこから生まれた創作がこの作品。トラウトも出
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主人公の波瀾万丈の人生を綴った手記。たとえ悲劇であってもそうとは感じさせない文章は、ヴォネガットらしくて読んでて心地よかった。
泣き笑いの人生、人の繋がりっていいなと思える作品だった。
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初ボネガット。
さすがアーヴィングのお師匠様。
奇妙奇天烈、悲喜こもごもな人生譚。
ニヤリとさせられる場面がしばしば。
名字、同じ人は拡大家族かーそうかー。
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世界が終わり破壊されたあとにでも、人は家族として支えあいあるいは憎み合ったり離れたり、つまりは身内として生き、自分の血を新しい生命に託そうとする。末尾を締めくくるメロディの物語が示すように、たとえ世界が滅びてもその先にやはり希望はあるのだ
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スローターハウス5以前の作品の方が好きなんですが、これは良かった!
優しい雰囲気に包まれた小説です
色んな場面が本当に秀逸
卒業記念パーティでの姉との再会シーンが素敵すぎる
前作のチャンピオン達の朝食は陰鬱とした雰囲気でしたが、こちらはほのぼのとしてます
ま、世界がほぼ終わる話なんですがね
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http://shinshu.fm/MHz/67.61/archives/0000304484.html
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この作品の「家族」ってのが心底ポジティブ。人類皆兄弟ってわけじゃないけど、ある程度多くの数の家族が必ずおり、必ず見捨てられない。そしてそれが相手を束縛する愛で成り立つのではなく、親切で成り立っているのが心地良い。
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SFというより昔話、民話の趣がある一冊。素晴らしかったです。色々なものが抽象化されて詰め込まれている気がする。特にお姉さんのくだり。
それにしても本の数十年前にはアメリカにもこんなに自由な思想があったのだ。アイロニックに見えて、今の視点から見ると逆にポジティブで牧歌的。
「(略)あなた方がもし諍いを起こしたときは、おたがいにこういってほしい。「どうか--愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」」
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「作家の読書道」でたくさんの作家さんがヴォネガットの作品を取り上げていました。以前「青ひげ」にトライした時には全く読めなかったので、この作品で再トライ。
プロローグがなければ、何がなんだか分からない作品だったと思います。実のところプロローグがあっても、ほんの少ししか読み取れていいません。愛情ではなくありふれた親切で繋がった新しい「人工的な家族」を作り、運命と真剣に取り組む。その姿を「スラップスティック」としているようなんですが…。全然、ユーモアに思えなかったんです。自覚がないままに辛い体験をしてきた子供の話を聞いているような、寂しさや悲しさを感じてしまって。笑うとしたら、そんな自分の厚かましさや傲慢さでしょうか。緑死病やら重力の変動やら、どうやったって対処できないようなできごとの連続を受け入れて生きている人間たちは健気です。けど、ありふれた親切でどこまで対処していけるのか。実際の家族の間でも持ち得ない思いやりで人工家族を形成し続けられるのか。いやでも、そう思うのはコントの前提に真剣に突っ込んでるようなものなのか…。