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宗教で読む戦国時代 みんなのレビュー

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一般書

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みんなのレビュー16件

みんなの評価4.2

評価内訳

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本

戦国時代の日本人の宗教観

2011/02/27 09:01

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ゆうどう - この投稿者のレビュー一覧を見る

 戦国時代の特筆すべき宗教はキリスト教だろう。なにしろ南蛮渡来の新しい神様である。本書でもキリスト教にかなりの紙数が割かれている。ここで著者が強調するのは、無理なくキリスト教を受容する日本人の宗教観であり、理知的にキリスト教を吟味する日本人の姿勢である。
 まず日本人の宗教観について、日本人がキリスト教を受容する上で問題となったのは、日本の古来の宗教が多神教であったのに対し、キリスト教が一神教であったからなのではない、と説く。本地垂迹の思想にも表れているように、日本の宗教観にもすべての神は阿弥陀仏の仮の姿であるといったような、唯一絶対神的な考え方が存在する。それが、戦国時代の日本に広まっていた「天道」の観念でもある。宣教師たちも、「天道」はキリスト教の唯一絶対神である「デウス」と同じ性格を持っている、と記していたらしい。案外すんなりと、当時の日本人はキリスト教を受け入れることができたようだ。
 ただし、その際に問題になったのがキリストの正当性であった。デウスが唯一絶対の神であるという根拠とそれが論理的に正しいかどうかである。宣教師たちにとって当時の論争的な禅僧たちは辟易とさせられる存在だったようだ。高度な論理性を備えた彼らを「折伏」するのは相当に骨であったらしい。僧侶たちの説教に日頃から親しく接していた都の人々も高度に宗教的であり、宣教師たちに簡単には説得されない。日本人の宗教意識の高さに彼らは驚かされた。
 また、戦国時代のもう一つの宗教上の事件は一向一揆であろう。浄土真宗と戦国大名との争いについても2章を割き、それが宗教一揆ではなく、当時の社会状況の中で生まれた政治抗争であった点に光を当てている。教団として、対立する戦国大名たちのどちらにつくのか、という問題である。本来は内面の信仰に根ざして成立する教団が、歴史のうねりのなかで政争に巻き込まれていくのである。加賀一向一揆にしろ、石山合戦にしろ、純粋に宗教的な感情から発生したわけではないのである。
 このように、戦国時代の人々の宗教観と、当時の宗教的な事件がなぜ、いかにして起こったかということを分析している。戦国時代とは、中世から近世への分かれ目であり、現代に通じる日本の国家の原型ができた時期でもある。その際に醸成された宗教観は、現代の日本人にも通じる。

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電子書籍

日本の宗教観

2021/03/19 05:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る

日本には天道思想が広まっており個々の神を意識していたのではなく神仏として本質的には一体のものであるという考え、諸宗派は同一の思想的枠組みに収まる共存可能なものであると認識していたと指摘している。よく言われる一向一揆も真宗の教義をめぐる対立ではなく大名同士の政治的抗争に巻き込まれた本願寺が生き残りをかけて門徒を動員したもので宗教をめぐる対立ではなかった。キリシタンが禁教されたのは寺社を破壊し僧侶を殺害するといった行為が非難されたもので教義をめぐるものではなかった。
戦国時代の日本人の宗教観は各人が自分の意志に従って信仰を選びある宗派から他の宗派に改宗するよう強制しない、他宗派を攻撃するのは非、諸宗派は本来同一のものという認識であったというのが興味深かった

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紙の本

戦国時代の日本人がなんだか頼もしく感じられた

2010/04/29 21:47

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る

 新聞の書評欄で高く評価されていたので手に取ってみた。たしかに、「宗教」を切り口にして、戦国時代を読み解く試みは新しい。そして、なかなか刺激的な論考になっている。

 イエズス会の布教活動や一向一揆への信長の対応、島原の乱など、学校の日本史でおおよそ習っている出来事が新たな視点で切り取られていくのは知的な興奮を呼び覚ます。自分の中の常識が著者によってひっくり返されていくのは、痛快でさえある。

 イエズス会のことは知っていても、布教に際して宣教師がどんなことを感じていたか、当時の日本人がどんな風であったかまでは、あまり知られていない。宣教師たちが本国にあてた報告書に手がかりがあると著者は言う。

 当時の日本人は仏教や天道思想への理解が深く、イエズス会の宣教師たちは、論破するのに苦労する場面があったという。特に、禅宗の僧侶たちは手強い相手となった。問答を通して理解を深めていくのが禅宗なのだから、さもありなんという感じだ。

 同時に、大航海時代に乗り出していた宣教師に対しても、堂々と論争に挑んだ当時の日本人のことが頼もしく思えた。キリスト教という新たな宗教のことを真摯に学ぼうとする意欲的な姿も多々見られたようなので、日本人の知的水準の高さにもなんだか安心させられた。島国で逼塞する日本人というイメージではない。

 また、宣教師の側でも、日本の精神風土にキリスト教世界と類似するものを見出していたというのも興味深い。キリスト教という一神教は、仏教という森羅万象に仏性を見出す宗教と今日、正反対のように思われているが、彼らはむしろ類似性を見ていたのだ。

 釈迦と十大弟子はイエス・キリストと十二人の使徒に。阿弥陀如来は三位一体に。天皇は教皇に。将軍に仕える侍女は、ヨーロッパの侍女に。将軍の母君は女子修道院長に。阿弥陀像は幼子イエスに。それぞれなぞらえて捉えられていた。宣教師によってあまりに対比して捉えられていたときには、不都合だということで、記述があとから削除されるなどされていたというのだから、面白い。

 こうした歴史の「事実」には、たぶんに知的好奇心をくすぐられずにはおれない。本書との出会いは、そうした喜びを与えてくれる。
 といっても、著者の丁寧な文献の解読作業は、アカデミズムの香りを漂わせている。学術的な心構えで本書を手にするのが基本かと思われる。

 第一章 宣教師の見た日本の宗教
  1 宣教師の見た日本
  2 仏教とキリスト教との出会い
  3 魂は永遠か -禅宗との論争-

 第二章 戦国びとの信仰
  1 「天道」思想の浸透
  2 聖俗の棲み分け -戦国時代の「王法」と「仏法」-

 第三章 一向一揆の実像
  1 教団のための戦い
  2 政治抗争の中の一向一揆
  3 一向一揆の特質

 第四章 戦国大名・統一政権と宗教
  1 戦国大名と教団の自治
  2 アジールの統制
  3 諸教団の共存

 第五章 島原の乱と禁教
  1 宗教一揆としての島原の乱
  2 島原の乱の宗教的背景
  3 禁教と日本の宗教

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