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極めてニヒリズムに富んだ内容.これだけ切れる頭脳の持ち主だと,現状に対してストレスフルな思いを抱えて,その思いと折り合いを付けながら日々生活なさっているのだろうと慮ると,一体これからの若い優秀な世代は何を拠り所に人生を切り開けばよいのだろうと,暗澹たる気持ちになる.
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むむむ。内田樹と鷲田清一という私のツボを刺激するはずの二人なのに、本書はほとんど響かない。しかも文春文庫というアタリ打率の高い版元なのに。
私の体調がすぐれないという生理的な理由もあるだろう。二人が話しているのは現状への異議申し立てで、それに賛同するためにはこちらにもある程度の(うっぷんでよいので)不満というエネルギーが必要なのだ。それがない。
もう一つは、またいつもの話ですね、はい、と思えてしまったこと。
さらに、あれっと思ったのがオノマトペに関する考察。オノマトペを耳にして、初めてなのしっくりくるのは、言語に先立ってコトの本質を理解しているからだとのこと。それはないでしょう。
以下は、わずか数ページの範囲に書かれている内田樹の発言。
1)「オノマトペの語彙の多い人は、センサーがよくて、いろんな方向にアンテナを張っているということではないでしょうか。」
2)「(引用注:日本語と違って)英語とかフランス語でオノマトペってあまり聞いたことないですものね。」
3)「オノマトペというのは、人間的センサーの一つの先駆的な様態なんじゃないでしょうかね。」「たぶん『オメオメ』感というのは、先駆的には存在するんですよ。でも、まだ言語記号としては分節化されていない。
ええ〜。1)では個人だといい、2)では言語だといい、3)では人類だという。
この三つが同時に成り立つことは可能だが、その場合はもうオノマトペである必要はない。以下に例文を。
「感情を表す表現」は人類に先駆的に備わっているが、言語により語彙の多さに違いがあり、さらに個人のセンサーの感度によっても豊かさに幅がある。
↑そりゃそのとおりだがこれでは何も言ってないのと同じだ。
しかも、人間の思考は言語に深く既定されており、本質が先に存在し言葉が後からラベルとしてくっつくようなことはない、というのは内田さんも重々ご承知の現代思想のいろは。
本書にはかなり幻滅しました。
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内田センセイと鷲田清一さんの対談など。
幼稚化した日本ではあるが、逆に言うと幼稚化した人間でも運営できるシステムを構築した、とも言える。平和な時代には英雄は生まれないように、平和で繁栄しているが故に人は幼稚化してしまうのかも知れない。残念な事に。さてそんな環境ではあるけれども人間はどのようにして成熟していくべきなのだろうか。このふたりのような、数少ない「信頼できる大人」に学び、自らもそうなっていくことを目指す人間が少しずつ増えていくこと。江戸〜明治期の私塾に集った中から、日本を動かす人物が続々と出たように、そんな人物が生まれてくるような気がする。
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あちこちで書いたエッセイや対談をまとめた本。だから、まとまりは無い感じ。
矛盾を知り、成長過程でのさまざまな年代の自分を多重人格のように内包し、不快な隣人達を受け入れるのが大人、ということなのかな?
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私は内田樹が大好き。文章の感じが好き。
タイトルは大人のいない国(もちろん日本のコトですね)ですが、今の日本がよくないとか、今の若者は…(これはちょっとあるか)というより、もっと本質的に「大人ってこういうことなんじゃないの?」って言いあってる感じです。
私が感じたのは一面的でなくたっていいんじゃない?多面的である方が大人っぽいよってことですかね。
生まれてからずーーーっっと変身しないでいなくちゃ、と、窮屈な状態でいなくてもいいらしいし、時系列で同じ事言わなくても本質が合ってればいいってことらしい。
あと、もっと、自分のコト信じてあげていいってことかなぁと。
内臓が喋るっていいなぁと。脳の細胞だけじゃなく、体の細胞も言いたいことがあるって感じでしょうか。
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言葉の定義付けを明確化しないうちに持論を展開していく違和感があった。
様々な比喩・例示をするが、それは持論を強化するための道具に過ぎず、こうと決めてあった型にぎゅうぎゅう押し込めていったもののように感じた。
「非科学的な」という批判を軽蔑しながら例示に科学を持ち出し論拠の一つとする手法はズルい。
抽象化の美学を信じて疑わない人たち。
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本書は単行本でも読んだのだけど、やっぱりむずかしい。
このお二人なら、すごくおもしろい対談ができると思うのですが…。
他の著作を読んでいるので、あ、あのことを言っているんだなという風に思うことはあるのですが、なかなか、ピンとくる内容ではない。
文庫版あとがきはおもしろかった。お二人のお互いに対する愛を感じた。
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内田:格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。自分たちの社会システムが不調であることに対しては、自分にはまったく責任がないと思っている。「責任者は誰だ?」という犯人捜しの語法で社会問題を論じる人間はみんなそうですね。彼ら自信が久しくこの社会のフルメンバーであり、その不調に加担しているという意識が欠落している。でも、自分の属する社会の現状にまったく責任がないというのは「私は子どもです」と宣言していることと同じでしょう。(P.17)
内田:彼らは自分たちは生産に関与しない、もっぱら消費する人間だと思っている。今の日本における「未成年者」は、現実の年齢や社会的立場とは無関係に「労働し生産することではなく、消費を本務とする人」というふうに定義できると思うんです。労働を通じて何を作り出すかではなく、どんな服を着て、どんな家に住み、どんな車に乗って、どんなレストランで食事するか…といった消費活動を通じてしか自己表現できないと思っている。(P.19)
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大人のいない国。日本にたいしての警鐘
大人になるということはどういうことか
大人がいなくても社会的に成り立つように成熟した社会
哲学者としての2人の造詣の深さ
難解さを感じながら、少々読むのに苦労しましたが
面白かった。
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この本を読んでの感想…じゃないかも。
この本は読んでよかったけど。
私は、大人かなぁってよく思う。
自分でもびっくりするような小さなことにイライラしてしまったり、八つ当たりではないけれど、人に冷たくするような態度をとってしまったり
心に余裕がないときに、
自分の行動、今のは正しかったのかなぁなんて、
よく考える。わたしは、プライドが高いのかなぁ。
それで、とても悲しい気持ちになる。
「あんたはさ、そこにいるだけで目立つわけ。だからやっかみの対象にもなるし、あんたがいくら目立たないようにしようとしたって、そうすればそうするほど目立つのよ。人に気を使うとかそんなことしても無駄って言うかさ、ちょっとでも尻尾見せたら叩かれて大変なことになるのよ。ほら、学校時代にクラスでもいたじゃない?ちょっと浮いた感じの子でさ、『わたしなんかが○○さんに話しかけちゃ悪いかなって思って』みたいに勝手に線引きされちゃうような子。あんたはそのタイプなのよ。自分を持ってるって言うのかもしれない。そういう人とさ、面と向き合うと、自分がいかに何もないかってことを思い知らされるのが怖くて近寄りがたくなっちゃうのよ。」
っていうようなことを言われたことがある。
「怖い」とかさ、「オーラあってキャラ立ってるよね。」とかさ、
なんとなく違う感じを、あたかも私が何かしたかのように被害者のような口ぶりで言われたりさ、
もう、そういうの、うんざりなんだよって思うんだけど
自分が何にもないことを思い知らされるような存在って、
身近にいたら、きっと傷つく。
わたしは、自分がまるでモンスターのようだと思うことがあるんだけれど(それは自意識過剰という意味で、自意識にとらわれたモンスターという意味だ。)
わたしはきっと、存在するだけで人を傷つけるような、モンスターなんだろう。
シザーハンズみたいに、泣いた赤鬼の、赤鬼みたいに、
人間と仲良くしたいのに、その存在ゆえに、人の心は離れていく。
どうしたら、人を傷つけずに生きることができるのだろう。
知らぬ間に人を傷つけていることに傷ついているなんて、人は嗤うだろうか。
「そんなにいい人で、いたいわけ?」
わたしは、最近そんなことを言われた。
「いい人で、いたいわけではないです。ただ、率先して人から嫌われる必要も、ないんじゃないですか?」なんてことを答えたのだけど、
心の中で、「あぁ、今私の言葉は、吐き出した途端に、上滑りしていった。」と思った。
「いい人で、いたいのだ。わたしは。」と思った。
わたしは、嫌われることが、怖いのだと思った。
それは、「人並み以上にそう思っているのかどうか」は、私には分からない。
おかしいなぁ。
「愛されファ���ション、愛されメイク。」
いったい誰に愛されたいんだよ
心の中で突っ込みを入れる私が、
一番、不特定の誰かに、愛されたいのだ。
とかなんとかつぶやくほど、私は今、心に澱が溜まっている。
自分の時間が保てないと、決まってそうなる。
自分の時間なんてものがなくても、その澱を、見ない振りするか、どこかに捨て去ることのできる人が、
社会に求められる人なのだろうと、最近よく思う。
だったら私は、社会にいらない存在なのだと、最近よく思う。
悲しくて。
何の話かは忘れちゃったのだけど、家の中にいて、誰かの帰りを待っている、でも外にはモンスターがいるらしくて、誰も家に帰ってこない。次第に、家で待っている人は、誰も帰ってこないので、実は自分がそのモンスターなのではないかと思い始めるというような話が、どっかであった気がする。
わたしは、人の顔をかぶった、人が近寄りたくもないと思ってしまう、モンスターなんだろう。でも、自分は、人間だと思い込んでいる。人間の振りをすることができていると思い込んでいる。
わたしは、いったいどこで、道を踏み誤ったのだろう。
人を傷つけることは、仕方のないことなんだろうか。
できるだけ、うまくやりたいと思うことは、罪なことなんだろうか。
それを悲しいことだと思うのは、私の自由だ。
傷つくことは、自由なのだ。
でも、他人が、自分のせいで傷つくことは、
「傷つくことなんてあんたの勝手でしょ。」なんて、思えない。
できるだけ、謙虚に。
できるだけ、人を傷つけないように。
できるだけ、そのことで、自分も傷つかないように。
そう思いながら、私は今日も、
人の皮をかぶって、
人間社会を生きる。
「終わりなき安穏を受け入れることは、死に等しい」
そう思い生きるだけで、重たい罪を私は抱えているという自覚を、忘れてはいけないのだ。
罪を自覚しているにもかかわらず、その軌道修正をする選択を選ばない。
おそらく私の最大の罪は、そこにある。
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内田樹さんの〝追っかけ〟になってから5年くらいは経つでしょうか。書棚にずらりと並んだ内田作品の背表紙を眺めて、「はて、初めて読んだのはどれだっけ?」と考え込みました。でも、他の書き手が書かないようなことを選択的に書きながら、読み手を説得してしまう手腕に舌を巻いたのを今でも覚えています。恐らく、これが内田さんの魅力でしょう。
でも、それだけではありません。作品全体に流れる自由さというか、風通しの良さも内田さんならでは。読み手との距離が近いと言ってもいいかもしれません。
学者さんの書いたものって、偉そうなのが多いじゃないですか。特に文系の学者さん。甚だしいのに至っては、読み手に学術的成果を伝えるというより、もっぱら自分の知的威信を高めるために書いているのが見え見えという方もいて辟易することもしばしばです。これは学者さんの性分なのかもしれません。
なぜ、内田さんはその陥穽を免れているのか。本書でも一部触れていますが、内田さんって、仲間と雀卓を囲むし、漫画もよく読みますし、お酒もよく飲むようですし、睡眠もかなり取っているようです。「偉い」学者さんはこういう、自身の価値を損ないかねないことは隠すか積極的に書かないものだと思います。
でも、内田さんは違うんですね。「お前らはバカだから俺が教導してやる」みたいな態度は決して取らないですし、むしろ「みんなでワイワイやろうよ」という開放的な態度で読者を迎えてくれます。
本書の共著者、鷲田清一さんが「文庫版あとがき」に書いてます。
「内田さんを結び目とする人の輪、もちろんそこからいっぱい内田さんぬきの輪も生まれてきました。その輪を結ぶ人がみなとにかく気持ちのいい人ばかり。逢うのが初めてなんて信じられない。この人のつながりにぼくは無限に近い信頼を置いています」
内田さんの人となりを雄弁に物語っているように感じました。
ああ、何というレビューでしょう。本書の内容にはひとつも触れずに1,000字くらい書いてしまいました。
本書は内田さんの年来のテーマのひとつ(たぶん)である「成熟」について、内田さんと鷲田さんの論考を交互に並べ、それを両者の対談で挟むという、なかなか凝った体裁。
文庫で189ページとかなり薄いですが、内田さんの魅力がギュッと詰まっていますし、鷲田さんの話も実に面白いです。
FBにも書きましたが、非常に印象に残った個所を本書からひとつだけ引用して終わりにします。子を持つ親として、胸に響きました。肝に銘じます。
「教育の目的は信じられているように、子どもを邪悪なものから守るために成熟させることにあるのではない。子どもが世界にとって邪悪なものとならないように成熟を強いることに存するのである」(内田樹「第6章 もっと矛盾と無秩序を」)
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たしかに世の中”子ども”だらけですね。
僕も含めてですけど。
それでも機能する社会システムというのは確かに素晴らしい、
しかし、単一の価値観で階層化された社会というのはつまらんですよね。
と、どうせなら上の階層から言った方が説得力ありますかね。
著者のお二人は上の階層の住人ですからね。
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私のとって気になる論客お二人が揃い踏みした著作です。
鷲田氏の言では、「幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っている」日本は、ある意味、成熟した社会とのこと。しかし、その社会は、安定を損なうような想定外の事象が発生した際、それを制御できる「大人」不在の社会でもあります。
「大人」というキーワードを発想のトリガーにして、魅力的な個性を持つ論客が「現代日本社会の幼児性」を縦横に評した、とても刺激的な著作だと思いますね。
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内田先生と鷲田先生の対談が、とても読みやすくて納得することばかり! 私自身 精神的に大人になりきれていないなぁと反省しつつ、日本独特の社会構造について考えさせられました。何度も読み直したい1冊。
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内田樹と鷲田清一の共著。日本は無宗教などではなくいわば資本主義宗教国家。その中でうまくやっていこうとした結果、大人はいなくなり、大人になりたがらない子どもと外見だけ歳を重ねた未熟な子どもしかいなくなった、みたいな。凝り固まってはいけないですね。