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バルトーク・ベーラ:祖国ハンガリー、作曲家・中東欧民俗音楽の収集/研究者・1940年NY亡命・1945年9月26日死去。
2007/09/24 09:40
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
福田政権誕生を報じる9月24日付日経の第1面コラムを読んで、初めて福田新首相が好きなクラシック作曲家の一人にバルトークを挙げていることを知って、ちょっとほっとした反面、複雑な心境になり、あわてて、本書を再読、さらに混乱してしまった。表題は彼の簡潔な略歴である。福田氏の首相就任決定日と3日と違わぬ日が彼の命日であった。 バルトークという名前を知ったのは、ニューアカデミズムブームの余韻さめやらぬ、80年代半ば、『音楽機械論』と題された吉本隆明氏と坂本龍一氏の対談本(共作のソノシート付き!)の中での彼らの会話の中であった。吉本氏が自分な好きな音楽家としてバルトークを挙げると、「通ですね」と坂本氏が答える。
当時、両氏に心酔していたので、虎の子を引っ張り出し、力みまくって駅前のレコード屋で「弦楽四重奏曲第4番」を注文したはずだ。そのあとはFM番組表(昔は夕刊に、詳細な曲目が記されたFM週間番組表という面が見開きで存在した)をチェックした。NY亡命中の彼と、ベニー・グッドマンとの競演という貴重な音源をゲットしたはずなのだが。録音したきり未だに見つけだせないでいる。たぶん「爆風スランプ」とかで上書きしてしまったのだろう。ああ。失礼しました。
本書の紙幅の多くは第2~4章、彼のライフワーク「民俗音楽研究」その発端:民謡コレクション『ハンガリー民謡』の分析、それをふまえた上で、20年代にリスト、ラヴェル(仏)、ファリャ(スペイン)などと、活発に、お互いの作曲活動をも交えて、行われた「[ジプシー](原著ママ)音楽」をめぐる対話である。楽譜は全然読めないが、たまに知ってる作品に行きあたると、そんな背景があったのかと、ただ楽しくなる。きちんとした音楽知識のある方には、簡潔にして充実した「有用」な書物であろう。
しかし、第1章で語られる、1867年にオーストリア帝国に「合併」されたハンガリー。当然 ハンガリー音楽も、文句なしの音楽の都:ウィーンに完全に圧倒されつつあった。むしろもっとも脆弱な部分であり、しかし守るべき最後の「砦」でもあった。うわべだけのエキゾチック「ハンガリー風」音楽とされてしまう力に抗するために、作曲活動と並行して、「根源」を求めて、僻地に足繁く通い、膨大な数の楽譜化されていない「民謡」を精魂込めて収集・整理(カード化)・分析するすがたは、まさに「民俗学」の理念を体現している。しかし、彼は「民族」の定義の困難さにも、直面。
最終章。「民族」を掲げるナチスの欧州支配確立を確信し、「それまでに」研究を完成させようと、祖国にギリギリまで残り、亡命先のニューヨークでも「金になる」作曲よりも「研究」を優先した(このあたりの詳細は『バルトーク晩年の悲劇』(みすず書房:品切)に詳しい)。そして白血病で逝去。享年64歳。
個人的に、彼の作品のCDで一番好きなのは『弦楽のためのディベルティメント』( オルフェウス室内管弦楽団:品切)だ。
オルフェウス室内管弦楽団は演奏に定評がある管弦楽団である。また。指揮者なしで、演奏活動する楽団としても。
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1997年吉田秀和賞受賞作に問う
2005/03/14 07:51
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:RinMusic - この投稿者のレビュー一覧を見る
<「バルトークと民俗音楽」という決まり文句をもう一度新鮮なものとして感覚できるようにする>目的のもと、伊東氏はバルトークの音楽における<真にハンガリー的なもの>に光を当てようとしている。全篇でバルトークの生涯を追いながら、民謡採集とその体系化、それに並行した作曲活動について扱っている。それ自体は大変興味深いものであるが、ここで問題となってくるのが第四章である。この章だけ妙に語気を荒げて、「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」という通念の開祖である(と氏はバルトークの言葉を借用して主張する)フランツ・リストに対して、危険なまでのバッシングを試みている。<リストが『ハンガリアン・ラプソディー』という曲集で行ったことというのは、そのようなジプシー音楽の中に伝えられてきた叙事詩の断片を、祖国を代表する音楽家である「私」が、音によって完全な叙事詩として再構成してみせましょう、という非常に壮大かつ奇怪なものであったのである>(p.120-121)、あるいは<つまり彼にとって、ハンガリー農民の音楽はつまらないものでしかなかった。ただし、リストはそれをただつまらないといって済ましてもられないハンガリーへの思い入れを持っており、そこでより魅力的だったジプシー音楽を、むりやりハンガリーの精髄である、と主張することで祖国の文化的面目をなんとか保った、といえるかもしれない>(p.122-123)という氏の言い分が、例えばそうだろう。ハンガリー語を生涯話すことのなかったリストをハンガリーの英雄として迎え入れた過去を葬り去り、ナショナリズムの立場から後世のバルトークが批判するなら話は理解できる。実際にリストは、ハンガリー音楽への理解より「ハンガリー風」という言葉の持つ虚像への憧れが強かったが、それはリストのような19世紀に生きた超国境的芸術家の必然でもあり、その批判の急先鋒バルトークの論だけを盾にして、氏が時代錯誤的なリスト叩きを展開するのは、一体何を意図した「サヨク」活動なのだろうか? またp.126で譜例を挙げて、リストのラプソディーがいかに<非合理なやり方で(中略)その結果、構造上最も重要な柱である4行目の終止音が台無しになっている>かを証明して勝ち誇る必要性がどこにあるのか? リストを貶めることで、バルトークの<「素朴な」ナショナリズム>を<ハンガリー性の純度>に結びつけるのが狙いであるとしたら、それは大きな落とし穴であろう。興味深いことに氏は次にラヴェルを引き合いに出し、<『ツィガーヌ』のコンセプトは、バルトークの民俗音楽研究にとって痛烈なアイロニーとなっている。いわゆる「ジプシー音楽」が真の民謡でないことは認めるとしても、ではそれは芸術的に無価値といえるのだろうか。科学的真偽と芸術の美醜に関連あるのか。バルトークの研究が、その真偽を明らかにしたとして、彼の創作はそれになんらかの影響を及ぼされるものなのか?>(p.146)と提起した上で、<二十世紀を代表する二つの個性が、潜在的相互批判を繰り広げた軌跡>と結論づけるのだから、論の展開に矛盾を感じるのも無理はないだろう。数年間にわたり何度と紐解いてきた本書だが、やはり毎回同じところでつっかえてしまう。他者の読後感を乞いたい箇所でもある。
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バルトークと云う人自身について知りたかったのですが、民謡収集についての本だったので内容がかなり専門的…分からない所が多々ありました;
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コダーイの研究をしていた時期があって、じゃあついでに同時代を生きたハンガリーの出身バルトークも、と思って購入しました。しかし、読解には結構時間がかかりました。
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大好きな作曲家バルトークの新書。
バルトークにとっての民謡がよくわかります。
世の中のハンガリー風がいかに違うか、ラヴェルとの対比もよくわかりますね。
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いささか学術的で素人にはよくわからないが、リストの「ハンガリアン狂詩曲」がどこがどう「ハンガリー的」でないかという分析はおもしろかった。
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[ 内容 ]
二十世紀最大の作曲家の一人、バルトーク・ベーラ(1881‐1945)は、ハンガリーをはじめとする各地の民俗音楽の収集でも名高い。
しかしその活動は、ともすれば作曲の余技や下準備のように思われてきた。
本書は、ハンガリーが戦後の政治的混乱を脱して、ようやく明らかになり始めたバルトークの思索と行動を辿りながら、ヨーロッパの周縁文化の中で、彼がもうひとつのライフワークとして心血を注いだ民俗音楽研究を再評価する。
[ 目次 ]
第1章 民謡の「発見」
第2章 民俗音楽収集旅行の時代―1906‐18年
第3章 民謡コレクション『ハンガリー民謡』を読む―1919‐23年
第4章 「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」という通念をめぐって―1920年代
第5章 ―1934‐45年
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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作曲家の「人と作品」のようなものでなく、民俗音楽の研究者としてのバルトークに焦点をあてた本。
一種のコレクターとして、口承の民謡を採譜して歩いたバルトークの奇妙な情熱が伝わってきて、興味深い。
学者としては、大時代的な博物学的分類に没頭したというだけで、そこから何らかの学説へと跳躍しなかったわけだから、大学者とは言えないが、フィールドワークを重ね蒐集に明け暮れる姿は、ナボコフの蝶やケージのキノコを連想させる。
ただしこのような性癖と、バルトーク自身の作曲の内容とがどのようにリンクしてくるのか、この本では追い切れない。
都会で通俗的にデフォルメされた「ジプシー音楽」をハンガリーの民族音楽の代表と捉えたリストに対するバルトークの批判(ジプシーは辺縁的なものだし、そのジプシーの民俗音楽にしても、本来はもっと素朴な民謡であるという)、バルトークのスタンスをさかなでるようなラヴェル「ツィガーヌ」の微妙なポジションなど、おもしろいエピソードも書かれていた。
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高名なドイツの現代音楽の作曲家は、近代の東欧の作曲家について、下記のような評価をしています。東欧の作曲家は、ドイツ主流の音楽と比較すると、個性あふれる曲を提供している。ただし、ドイツ主流の音楽の枠内の変化球にすぎません。では、直球ではなく、変化球の作品をつくらなければならなかったのは、何故でしょう。ハプスブルグ帝国から独立した東欧の国は、国の独自性を文化に求めました。東欧の作曲家たちは、その願いに応えるべく努力しました。ただし、彼らは、ドイツ主流の音楽の優等生でした。その影響から逃れることはできませんでした。そのため、変化球ではあるが、ドイツ主流の音楽の枠内に留まりました。ある音楽学者は、それらの作品を観光地の土産物と評価しています。観光地の土産物は、全国区の商品と比較すると、素朴な味わいがあります。と同時に、観光地の土産物同士を比較すると、それぞれの土産物は無個性だと指摘しています。
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バルトークの、民謡収集がどのようなものだったのかを明らかにした本。
作曲よりも、民謡の分類に相当の力を注いでいたとのことで、検索性を求めつつ、ヴァリアントが近くに配置されるような配列を構想していたという。
つまり、辞書のように単一の原理で配列することと、複雑な要素を持っている民謡同士の近親関係を表示するという、相反することをやろうとしていた、ということらしい。
何曲かは聞いたことがあるけれど、どんな顔をした人かさえわからない私には、初めて知ることだらけ。
ハンガリーの作曲家で、ハンガリーの民謡を収集したと思われがちだけれど、実はルーマニア、ブルガリア、ウクライナ、アルジェリアなど、いろいろなところでやっている。
それも、ブルガリアがかなり多いそうだ。
二十世紀初頭の不安定な東欧情勢の中で、愛国心の発露として民族音楽に向かったのかというと、単純にそうとも言えないようだ。
若いころの一時期こそ、愛国主義的な主張もみられたが、コダーイらから音楽学的な方法を学んでいくにつれ、学術的な興味に移っていったとか。
リストが広めた「ハンガリー音楽=ジプシー音楽」というイメージの問題も興味深い。
リストにとって、ハンガリーの農民の音楽は魅力的ではなく、ジプシー音楽をハンガリー音楽として取り入れた事情があるらしい。
バルトークはこれを批判し、彼らが収集した農民音楽を「オリジナル」と主張する。
しかし、筆者伊東さんは、それもまた単純すぎる批判ではないか、と考える。
また、仮にジプシーが農民音楽を利用していたことが確認できたとしても、ジプシーが伝えたものはオリジナルを歪曲したものかどうか、とも問いかける。
ロマ音楽を取り入れ、イミテーションの美を追求したラヴェルとの違いもわかりやすい。
ハンガリーの当時の状況なども解説しながらと、知らないことが多い私のような読者には、負荷が多い書物だけれど、単純な構図に納めず論じているので、信頼できる。
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この本の著者が書いている「東欧音楽綺譚」がきっかけで読むこととなった。
バルトークの民俗音楽にかける偏執的までの取組の様子がわかる。バルトークの死後数十年を経てそのコレクションが刊行されるが、国の政情の影響もあり、その道程が必ずしも盤石ではなかった。バルトークがコダーイをはじめ周囲に受け入れがたい偏執的なものを持っていたのだと察する。ファリャが「本物ではない真実」を容認していたのに対し、バルトークは本物を追究することに専念した。つまり、ファリャやラヴェル、リストがまがいもののイミテーションを創っていたとのこと。
ただ、ほぼ一人で総数2万曲におよぶ民謡を収集するにはそのくらい偏執的な情熱が必要であるのだろう。
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取りあえず評伝かなと思って読み始めてみると、「はじめに」にいきなりドキっとする(というかワクっとする)ことが書いてある。
曰く、
「ここで目指しているのは、バルトークという音楽家の六十四年にわたる生涯を、民俗音楽の研究活動という側面から見直すことである。」
というのである。
なるほど、やはり作曲家、または演奏家ではなく、研究者として一冊の本になるくらいの関心は呼び起こしているわけなんだな。
話はめっぽう面白い。
生涯や作品については必要最小限くらいしか出て来ない一方、祖国ハンガリーの、その時代やヨーロッパにおける複雑な(音楽的)位置づけ、それにも増して複雑っぽいバルトークの性格や研究に対する取り組み、そしてその業績の中身(評価されるべき点と限界点)がキチンと書かれている。
この本は15年ほど前のものだけど、バルトークのライフワークであった書物はいろいろな紆余曲折があってようやく刊行され始めたばかり、とある。バルトークの研究者としての評価は、まだ現在進行形ということのようである。