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みんなのレビュー42件

みんなの評価4.4

評価内訳

42 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

何も無いことに事の本質をみる

2004/02/01 10:18

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:北祭 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 天才芸術家、岡本太郎。その昔、テレビのCMでピアノを弾くなりカメラに向かって「芸術はバクハツだ!」と叫んだ姿ばかりをイメージすると火傷をする。実は、岡本は艶と毒味のある独特な文章をあやつる作家という一面をもっていた。

 本書が書かれた当時、川端康成は「あの本はいいですねえ。沖縄にいきたくなった」と語り、三島由紀夫は「『沖縄文化論』になぜ読売文学賞をやらないんだ。僕が審査員なら絶対あれを推すな。内容といい、文章といい、あれこそ文学だ」と絶賛したのであった。このエピソードから、当時の岡本に寄せられた評価の質を察することができる。

 岡本は当時まだ米軍占領下であった沖縄を訪れた。『芸術新潮』に連載していた「芸術風土記」のための探検旅行の最後を締めくくる旅である。

 はじめ、岡本は<何か在る>ことを期待していた。「私の究めたいのは、悠久の過去から未来にわたる因果の中で、沖縄の生命の本質がどのように運命と対決したか。またするか−」との意欲満々の思いを語る。沖縄見学をすすめるなか、人々の温かさや自然体としての風俗を体験していく。しかし、ある種の「けだるさ」におかされる。何かが足りない。

「私はまるまる一週間、島内をかけずり廻った。見るべきところはほとんど案内してもらったのだが、結果は予想に反した。いわゆる<文化>というべきもの、発見としてグンとこちらにぶつかってくるものがないのである。」

 何も無いことに苛立ち、何も無いことに眩暈を感じる岡本。この率直な意見が文面から伝わり、もうそろそろ本書を閉じようかと思いつつ頁をめくった、まさにそのとき、一枚の老婆の写真に目が釘付けとなった。”久高のろ”である。

 沖縄には日本の原始宗教、古神道に近い信仰が生きていた。各島、各村には必ず”祝女(のろ)”とよぶ、云わゆるシャーマンがいたという。岡本は久高島に入り、この島を護る祝女、すなわち”久高のろ”に会う。このくだりから、本書は突如として沖縄文化の本質に迫る緊張感に満ち始める。”久高のろ”が放つ清楚で強烈な印象が本書全体を覆い始める。
 岡本は”のろ”の息子さんの案内で儀式に使われる神聖な場所「大御獄」に赴くが、そこには、なんと何も無い。「何の手ごたえもない」「ただの石っころだけ」。しかし、村に帰った岡本の身体を<うちつづけるもの>があった。

「日本の古代の神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。でなければ、なんのひっかかりもない御獄が、このようにピンと肉体的に迫ってくるはずがない。−こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄らかさに対する共感が生きているのだ。この御獄に来て、ハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。
 そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである。」

 <何か在る>ことを証明することは容易い。だが、<何も無い>ことに事の本質を見出すことはけっして容易なことではない。岡本太郎の芸術家魂は遂に日本文化の本質が<何も無い透明さ>にあることを掴み取ったのである。

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紙の本

昭和期の偉大な芸術家・岡本太郎氏の沖縄の民俗について語った貴重な書です!

2020/07/22 09:32

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、昭和期に活躍された芸術家で、抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触されたことがあり、大阪万博の「太陽の塔」のデザインでも知られる岡本太郎氏の作品です。同書は、 苛酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本の息吹きを今日まで脈々と伝える沖縄の民俗について語った名著です。その根源に秘められた悲しく美しい島民の魂を、画家の眼と詩人の直感で見事に把えて描いてくれます。同書の構成は、「沖縄の肌ざわり」、「何もないことの眩暈」、「八重山の悲歌」、「踊る島」、「神と木と石」、「ちゅらかさの伝統」、「結語」、「神々の島久高島」、「本土復帰にあたって」となっています。

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紙の本

一昔前の沖縄観が現在でも通用してしまうのは?

2001/12/12 00:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:しっぽ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「沖縄文化論-忘れられた日本」この本は、あの岡本太郎が沖縄に訪れたときに見た、沖縄の民俗や芸術について語った本です。ぼくは知らなかったんだけど、友人の話によると、沖縄の文化論の中でもかなりポピュラーなものらしいです。

 出版されたのはもう30年近く前のこと。沖縄はまだアメリカの軍政下の状況でした。読んでみて驚いたのは、岡本太郎が意外としっかりした文章を書くこと。うそです。驚いたのは、この本の中で書かれている沖縄、そして日本に対する認識が、現代からみても決して古くさくないことです。というか、むしろこれは問題なのかもしれないけど。占領下、軍政下の頃と現在と、沖縄が抱えている問題や経済的・精神的な面での本土との関わりあい方に大きな進歩が見られないことの証明なのかも知れない。

 あと、この本に出てくる岡本太郎の民芸や芸術に対する考え方が、坂口安吾が「堕落論」や「日本文化私観」で語っていた見方にすごく似ていてびっくりした。安吾は日本人の生活が健康であれば、そこからいかなるものが生まれてもそれが日本の文化に間違いないと語り、古い神社や仏閣などは壊してしまっても日本文化は滅びないと叫ぶ。岡本太郎は日常に使われる民具や装束の中に、美しさすら超越した独特のなまなましい時間を垣間見、地誌的、政治的に限定された中から生まれる明るく空虚な世界観をみとる。時代的には安吾の方がやや古いんだけど、作家と芸術家という違うスタート地点から、似たような結論にたどり着いたのは少し面白い。

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2007/01/03 02:06

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2009/10/21 10:46

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2007/08/15 15:07

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2011/05/10 00:00

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2010/08/05 20:59

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2022/07/09 06:09

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2013/04/21 00:13

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2010/01/20 20:10

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2008/02/29 05:23

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2008/05/10 12:19

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2011/09/21 21:15

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