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紙の本
井上ひさし全著作レヴュー60
2011/07/02 11:07
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
初出は「波」1981年2月号~1983年7月号。
81年刊の『私家版 日本語文法』では、学校で我々が教わる通常の国語文法とは、相当異なる観点から日本語を分析し、独自の卓見を展開していた。今度は、谷崎潤一郎、三島由紀夫、中村真一郎、丸谷才一ら錚錚たる面々が著してきた「文章読本」を向こうに回しての勝負である。作者にも相当の気構えと覚悟があったに違いない。
結果、この『文章読本』は既存のそれらとは違う顕著な特徴を二つ有している。一つは、言語論的(科学的)分析の色が濃いことである。例えば、どの文章指南書にも出てくる《話すように書け》という原則を論駁するため、著者は中国の『千字文』から始まって、椎名誠を旗手とする昭和軽薄体、連語法、準言語学的な要素と様々な側面から論じながら、「「話すようには書くな」と覚悟を定めて、両者はよほどちがうものだというところから始めた方が」ずっといい――と結論付ける(「話すように書くな」の章)。あるいは、「冒頭と結尾」の章では、相当突っ込んだ分析が為されており、読者も流し読みしていると五里霧中状態に陥りかねない。既存の文章読本がどちらかというと「感覚」に依拠してきたのに対し、本書は大学講義並みの抽象度の高い論を展開している。しかし忘れてならないのは、著者が目指しているものはお手軽小手先の文章指南ではなく、ましてや日本人がやりがちな禅問答もどきの精神論でもないということだ。文章とは何か、言語の目的とは何かという大きな命題に本質的に迫ろうして、結果的に抽象的でやや難解な論を展開するに至ったのである。
しかし、第二の特徴である多種多様の引用文ではお馴染みの井上節炸裂である――というか井上ファンはこれでようやくホッとする。例えば、志賀直哉・川端康成・野間宏が唱える「透明度の高い文章ほど名文である」説に対し、1940年のチャーチルの年頭所感から、安売ストア“松戸サニーランド”の新聞折り込み広告、大江健三郎『セブンティーン』中の性器に関する比喩、24時間テレビの企画書、金属バット殺人事件の検事冒頭陳述、『裸の大将放浪記』、求人広告、芥川龍之介と、古今東西千変万化融通無碍に引用を繰り出し、最後は志賀直哉の『城の崎にて』と『小僧の神様』で締め括ったうえで、「いかなる文章にも、それが文章であるかぎりレトリックの力が働いて」おり、「新しい、よい比喩は世界に対する見方を再編成する」と結論付けてみせる。旧弊固陋の文章読本に向かって、事例と根拠をさあどうだと明快に突きつける井上節は、大向こうを唸らせると同時に胸がすく。
他にも、『坊つちやん』の掉尾「だから清の墓は小日向の養源寺にある」の「だから」には、「“日本文学史を通して、もっとも美しくもっとも効果的な接続言”という讃辞を贈りたい」と唱えたり(「文間の問題」)、日清食品の麺皇(メンファン)のコピーを素材にして漢文訓読の文脈を論じたり(「和臭と漢臭)と、目から鱗がボロボロ落ちるような例は枚挙に暇がない。
文章論を越え、日本語論および日本文化論の高みと深みに達した本書は、日本語を愛し、日本語論に興味を有する全ての人が読むべき「文章読本」である。
紙の本
ピリッときいたスパイス本
2001/09/21 18:23
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投稿者:歳三 - この投稿者のレビュー一覧を見る
井上氏の文章には、独特のリズムがあり、豊富なボキャブラリーが縦横無尽に張り巡らされているかのような感がある。独特のユーモアの中に、きりっとした批判精神をも併せもち、読者を飽きさせることがない。「文章読本」に類するものは、幾多の作家が著しているが、この「井上本」は、またひとつ異彩を放ち、文章を書くこと、言葉の使い方など、氏独特の語調で説いてくれている。
いつも思うことだが、井上氏の作品を読んでいると、そのユーモアに微笑みながらも、あの眼鏡の奥にある、厳しい光が浮かんでくるのである。
言葉の乱れが指摘される昨今ではあるが、井上版「文章読本」は、ものを書く人々のみならず、ひとりでも多くの方々に、手にとっていただきたい、そんな一冊である。