紙の本
人間の尊厳を切り取ってみせた意欲作。
2017/05/26 23:45
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
フランケンシュタインの名前を知らない人を探すのは難しいが、
原作を読んだ人を探すのは同じくらい難しいかもしれない。
光文社古典新訳ありがとう。
初版出版から195年たった今、目に触れさせてくれたことに
心から感謝する。
光文社版は1831年出版の改訂第三版を元にしている。
初版は1818年。当時から人気があったことが伺える。
この書評をお読みの方の中には、フランケンシュタインとは
大男の人造人間ではなく、作った博士の名前という知識を
お持ちの方も多いだろう。
恐怖小説という分類もご存知かもしれない。
さらに、博士は少々マッドサイエンティストなイメージが
あるかもしれない。
わたしの事前情報はこの程度だったが、読了後の衝撃は
計りしれないものとなった。この本が江戸時代に書かれていたとは、
まさに想像を絶するレベルである。
この著作は、三段階の作中話で成り立っている。
外堀は書簡体小説だ。
科学に並々ならぬ興味を持つ男が船長となり、北極を目指している。
男にとって北極とは永遠の光の国であり、磁石の針を引きつける
驚くべき力を持った場所なのである。
ところが北極に迫る途中で氷に閉ざされ、不思議な男と出会う
ことになる。男は何者なのか。なぜこんな氷の世界を犬ぞりで
一人で渡っているのか。
男の生い立ちから始まる、長い長い告白がひも解かれる。
これが二段階目の作中話。
そして男の話の中で、恐ろしい怪物との語らいがある。
その怪物の話が三段階目の作中話である。
もうお気づきとは思うが、この男こそがヴィクター・フランケン
シュタイン、人造人間の生みの親である。
現在フランケンシュタインと誤解されているものは、怪物とか
悪魔とか呼ばれるだけで、名前はついていない。
しかしそれが何だというのだろう。
そう思わせる力がこの物語にはある。
光文社古典新訳の素晴らしさは、読みやすさに徹底的に
配慮してあることだ。訳文はもちろんのこと、脚注は必ず同じ見開き
ページに掲載されているし、初版の序文と第三版のまえがきの
両方とも併録されている。
巻末には解釈と著者の年表というまさに至れり尽くせりである。
まえがきによると、著者は仲間とともの幽霊小説を書き合うつもりで
話を作ったらしい。しかし出来た作品は、サスペンスベースでは
あるものの、深みと示唆に富んだ物語であった。
漫画などで怪物が心優しく描かれるイメージはないだろうか。
怪物は人殺しをする残忍性と心優しさを併せ持つものであり、
恐怖小説と分類するのは違和感がある。
そしてこれはわたし個人の解釈なのだが、生みの親のフランケン
シュタインの醜さと尊さを兼ね備えているからこそ、
怪物はいつの間にかフランケンシュタインと呼ばれるように
なったのかもしれない。分身的要素を感じるのである。
産業革命による科学の発展と功罪を心配する著者のこころが
この物語を生み出し、人間の尊厳に迫る小説に仕上がっている。
科学的な部分や、こころの精製に関するSF的要素が
不完全なのも、この小説の愛らしい部分である。
不完全だがメッセージ性は極めて強い。
フランケンシュタインが世紀を超えて愛される理由を体感した。
苦悩するフランケンシュタインと、苦悩する怪物。
アダムとイヴが美しいなんて、いったい誰が決めたんだ?
紙の本
真に恐ろしいのは人間と怪物、果たして一体どちらなのか
2011/11/14 12:45
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投稿者:BH惺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
サブタイトルが「あるいは現代のプロメテウス」。
個人的に好きなんです。ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」とか、ナボコフの「ロリータ」とか今作とか。後世に曲解・キワモノ扱いされて伝わってしまった作品てかなりの確率で名作である率が高いです。この「フランケンシュタイン」も感動の名作でした。
自分は過去読了した澁澤作品中で初めて知ったんですが、フランケンシュタインというのは怪物の名前ではなくてそれを生み出した科学者の名前だそうで。
自然科学に傾倒していた彼はとうとう人造人間を造り上げてしまうのだけれど──。
そのあまりの醜悪さに恐れをなして怪物をおきざりにして逃げ出してしまう。その無責任さに少し腹立たしい思いが。
何も知らずにこの世に生み出された怪物は、創造主であるフランケンシュタインに見捨てられ、何も知らずに人間社会に放りだされてしまう。出逢う人毎にその醜悪さを恐れられ虐待され傷つく心。孤独を友に、たった独り身を隠して生き延びる日々。
唯一の救いは逃げ延びた隠れ家の隣人である善良な親子。父親と息子と娘・3人で暮らすその生活を見ながら、彼は言葉と知識と愛情と優しさを学び得てゆく。
けれどその親子にも存在を拒絶され、彼の心は人間に対する、ひいては自分を造り出したフランケンシュタインへの憎悪と復讐へと向かってゆく。
読んでいて恐ろしいのは人間と怪物、果たして一体どちらなのだろうとものすごく疑問に思った。
怪物の心は純真で常に愛情を求めている生まれたての赤子そのもの。その彼の心を憎悪で満たし歪ませてしまった物は一体何なのか?
中盤、怪物の独白によって痛烈に批判されている、うわべで人や物を判断してしまう人間の愚かさの描写が白眉。
3人による書簡形式と独白という凝った3重構成がまた効果的。
望んで生まれたわけではなかった怪物の、誰にもその存在を認められない悲痛な心の叫びが心に染みる。
一般的には映画などで有名ですが、あまりにもキワモノ扱いされていて、原作の真のメッセージが伝わっていないような気が……。上質なゴシックホラーとして読みましたが、フランケンシュタインを身勝手な親に置き換え、怪物を愛情に飢えた子供として置き換えると、充分現代にも通じるテーマになるなと思ってしまいました。
作者がこの作品を書いたのが若干19歳の頃。ビックリですね。サブタイトルの「あるいは現代のプロメテウス」というのは、土から人間をつくったという、古代ローマ時代の話に由来するそうです。
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GOTH
2022/03/10 16:19
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投稿者:L療法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あらかじめ否定され、名前すら持たぬ、聡明なるものの哀しい話。
フランケンシュタインの罪悪感に欠ける言動は、人間的。
私は怪物の肩を持つよ。
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特に印象的だったのは、怪物(とここでは表記する)が最後まで罪悪の念を抱いていること。彼がやったことの是非は置いておくとして、彼のように虐げられた者が相手に復讐したくなる気持ちは分かる。
しかし、彼はその場面場面で自分がとろうとしている行動を省みているのだ。相手の大切な人を奪うという、極めて残酷な手段を採ってなお抱く良心の呵責・・・いかに彼が善良な人間としての心を持っていたか、ひしひしと伝わってくる。
解説では、「すでにクローンが次々とつくられている今日では、人間を人為的に生み出すことも夢ではなくなっている」というように、クローンに関する問題をこの小説と結び付け論じている。
重要な問題であることは間違いないが、この小説に「造られた人間の話」としてだけのイメージを抱いてしまうのは避けたいところだ。
ヴィクターはともかくとして、その先の登場人物たちが怪物を恐れたのは、必ずしも怪物が人造人間だったからではないだろう。怪物が残酷な行動をとったのも、怪物が人造人間だったからではないだろう。というか、人造人間だということを知らない人がほとんどだ。極端なことを言えば、彼の容貌が不気味だったからではないか?
もしそうだとすると、怪物の容姿が一般人と同じであれば、彼はあんな行動に走ることも無かったのかもしれない。ということは・・・
「あるいは現代のプロメテウス」という副題からも見られるように、この小説に人が人を作ることへの忌避や、行き過ぎた科学技術への批判が込められていることは疑いの余地が無い。確かに、怪物を生み出したのは間違いなく科学技術によるものだが、怪物が持つ残忍な心を生み出したのは、一体何だったのだろうか。
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フランケンシュタインて、実は人造人間の名前じゃなくて、怪物を作った博士の名前ってしってた??
怪物くんとかでフランケンて呼んでたから、すっかり騙されてた!
これはホラーじゃなく、悲しい物語と思う…
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青年科学者のフランケンシュタインは自己顕示欲、挑戦のために、人間を創り出す。しかし、完成した人間は、人間と呼ぶにはあまりに醜悪な怪物だった。フランケンシュタインは結果に失望し、研究に興味を失う。しかし、怪物は知識を身につけ、フランケンシュタインへ自分を創ったことの責任を果たすように迫る。
あまりにも有名すぎて読まれることが少ない名作の一つだ。
著者が20歳の女性ということ。「フランケンシュタイン」は怪物の名前ではなく、怪物を作った青年学者の名前であること。などの意外な発見。
さらに、人間が自分で創り出したものに支配されるという設定やクローン技術の想像。この作品があまりに時代を先取りしていることに驚いた。
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みんなが知っているフランケンシュタインですが、その小説は読んだ人は少ないかもしれません。天才科学者フランケンシュタインは、新たな生命を生み出した。ところが、生み出した生命のあまりの醜さに、彼はその生命を見捨ててします。新たな生物は、回りからの厳しい対応にされされながら生き延び、とある一家の納屋で隠れて生活を始める。言葉や文字を習い、その一家の優しさにひかれ、彼らなら自分を受け入れてくれると感じる。しかし、彼がその一家に勇気を出して会いに行くと、その姿に驚き受け入れてくれない。自分を醜良い姿に生み出した、フランケンシュタインを恨み、復讐が始まる。科学者フランケンシュタインや生み出された生命の心の動きが精密に記述された一冊。
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(2011/01/13 購入)(2011/01/17読了)
古典が読みたくなったので購入。
映画(デニーロが怪物を演ったやつ)のキャッチコピー「愛もなく、なぜ造った」が切なくて好きで、原作も気になっていた(映画はあまり好きではない)。
主人公フランケンシュタインや怪物の心情を非常に丁寧に描いていて、感情移入しやすかった。怪物の苦悩・憎悪が切なすぎる。
創元推理文庫の怖いイラストが表紙のヤツが欲しかったが、手に入らなかった。残念。
怖い表紙→http://www.tsogen.co.jp/wadai/2009_limited.html
━━ 泣くがいい、不幸なものたちよ。しかしその涙は最後のものではない!再び葬列の嘆きがあがり、悲しみに満ちた声が何度も何度も聞かれることになる!フランケンシュタインよ、あなたたちの息子、肉親にして、長きにわたって愛されてきた友よ。あなた方のためとあれば、血を流すこともいとわぬ男。あなた方の愛しい顔に映るもの以外には、何一つ考えることも、喜びもない男。空に祝福を満たし、生涯をあなた方のために捧げる男。その男が泣けと、数知れぬ涙を流せと言うのだ。容赦ない運命がそれで満足し、静謐な墓があなたたちの苦しみの後に訪れる前に、破壊がやむというのなら、この男にとってはそれが望むべくもない幸福なのだ!(166頁)
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古典名作ホラーですね。名前は有名ですがちゃんとお話を読むのは初めてです。フランケンシュタイン博士が勝手すぎです。作った以上責任取りなさい、と言いたい。知性と素直な感性を持っていた「怪物」を受け入れるには人間は未熟すぎたのか。可能性を追求する姿勢は悪ではないですが…。
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たんに小説としておもしろいということなら★★くらい。江戸時代の作品なので、この作品が与えた影響も含めて読めないと、主人公フランケンシュタインの支離滅裂な行動ばかりが目立ってしまう。ただし、「積極的に読む機会」に恵まれ、人と感想を共有し合えるのなら、これほど読んで損をしない作品はないです。教養の一環として。
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原題『FRANKENSTEIN;OR,THE MODERN PROMETHEUS』
フランケンシュタインっていうと安っぽいホラー映画というイメージが先行して、興味なく過ごしていた。
が、実際に読んでみたら、200年近く前の作品に関わらず、深淵なテーマを取り扱い、物語構成も秀逸で飽きのない、古典なのに斬新な作品だった。
何が特に凄いって、人間VS怪物っていう「善と悪」のシンプルな二向対立の筋立てなのに、実は両方が善にも悪にも、あるいはどちらでもないものとしての疑念を抱かせる。
そして、どちらかといえば人間を支点に置いているが、「悪」と見なせる、その怪物も人間の産物であるということが物語を重厚にしている。
どっちの側にも共感をさせられてしまう話の運びが凄い。メアリー・シェリーさんは天才だ。
この物語はフィクションだと、わかっているが、いつの間にか本当の手記を読んでる錯覚に陥る。こんな名作に出会ったのは久々だ。
名前すら持たない怪物を憐憫耐えざるえないのは、なぜだろう。
それは、彼自身が傲慢で悪であるという自覚を持ちながら、実は言葉で語られる以上に良心の呵責に喘いでいることを、読者に知覚させるからかもしれない。
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評価:★★★★★(5/5)
大筋は知っているけども、改めて読んでみて深く人の心をえぐる物語だと感じた。
「フランケンシュタイン」というとホラーの色が濃いと思われるかもしれないし、実際にその要素が強くもあるのだけども、これは哀しみの物語だ。
そして、いつの時代も科学の進歩が世の中を発展させているのだけども、そこで、ふと立ち止まり考えることも必要だという警鐘の物語でもある。
この物語では特に、フランケンシュタインの後戻りできない破滅、というのか消滅への道筋が大きく3部構造の物語で記されている。
読むものをグイグイと惹き込む展開
作者はメアリー・シェリーという女性作家だと、本を手に取ってから気がついた。
(意味もなく、何となく男だと思っていたのだ)
冬にこの物語を読んでよかった。
この季節が、もっともこの世界に入り込みやすいのではないかと感じた。
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フランケンシュタインを読んで、はたして博士が作った怪物がすべていけないのだろうか?人を殺し凶悪な犯罪を起こしたが、私はこれを作った博士の方が悪いのではないかと思う。なぜ人間は簡単に作った物を捨ててしまうのだろうか。もっと何か他にすべはなかったのだろうか?と私は感じた。また今の発達している科学だからこそ、これを読んで簡単に生命を作って否かどうかという問題点も生まれた
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結局名づけられることさえなかった怪物の運命が哀しい。完成したその瞬間に生理的嫌悪感で見捨てるほどなら、作っている途中もう少し我に返れなかったのか…。
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「フランケンシュタイン」とは、怪物の名前ではなく、怪物を作り出した科学者の名前である。現代の多くのホラーやファンタジーでは、怪物にフランケンシュタインと名付けられているが、原作を読んでいるとそれはただの間違いでもない気がする。怪物の醜悪な姿を嫌悪した科学者の心が、怪物を孤独にし、悪行に走らせてしまったのだ。怪物の悪行の全ては科学者に責任があり、悪意の塊となったその存在に、フランケンシュタイン、と科学者の名前が冠されるのは致し方がない。
また、科学者と怪物を同時に目にした人物がいないことから、怪物の正体は科学者の負の感情だったのではないかという見方もできると思う。