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紀元前370年ころ古代ギリシアのデモクリトスは「すべてのものは<それ以上こわれないアトム=原子>と<空虚=真空>とからなる、という原子論を提唱した。その後、アリストテレスに批判をされはするが、エピクロスによって原子論は科学になった。というのが著者の主張です。それまでの科学史の常識では、古代の原子論は単なる空想に過ぎないと考えられていたようなのです。エピクロスは原子の重さに注目しました。たとえば水に食塩をとかすと目には見えなくなるがそれはばらばらの原子(イオン)という状態で存在している。だから重さはもとの水と食塩の重さの合計になる。図に描かないと説明しにくいですが、体積は単純に足し算にはならないということも原子で説明することができます。ところが重さを中心にした原子論から、原子論を使ってどう生きたらよいかという話に大きく主張が変わってしまいます。世の中の多くの人が迷信にしたがって行動するようになっていたからです。そこでエピクロスはすべてのものは原子でできている、死ねばばらばらの原子にもどるだけ、死後の世界などあるわけはない、神も単に人間が創ったもの、と教えました。おかげで皆安心して生きていけるようになったのですが、そうすると今度は死後の世界を恐れて行動を慎んでいた人たちも、自由気ままに生き始めるということで、エピクロスを快楽主義として攻撃する人が現れてきたのです。・・・といったエピソードが語られていきます。最もおもしろいエピソード。古代の医学者は動物の体内に血液が流れているとは知らなかった。その中には<プラウマ=生気>という生命のもとになる気体が流れていると考えていた。なぜか?死後、血液は動脈壁の弾性により毛細血管に押しやられる。解剖をして、血管を開くとその中に空気が入ってしまう。・・・「この目で見たから絶対確かだ」とは言えないことが世の中にはあるのです。天動説・地動説の話も同じですね。板倉先生の本はいつ読んでもおもしろい話題が満載です。