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本当にこの先生の本は読みやすい。とてもあったかく優しい感じがする。ただ、生半可な気持ちでカウンセラーにはなれないと実感した。
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日本的カウンセリング、カウンセラーが求められるものなどカウンセリングの極意がわかりやすく書かれています。
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宗教のあたり、とても面白い。河合氏の主張は「常に物事は二律相反する性質を持っている」というもの。宗教に関しても、消長があるのは、とてもよく分かる。その上で、「100人、200人の人のためになるよりも、自分の子どものために尽くす方が人間にとって難しい」という一文は唸ってしまった。
そして、
《カウンセラー》は
・心理学だけ修めていればいいと言うわけではなくて、文学などを通して人間を究める必要がある。
・日本のカウンセラーは母性の上に父性や厳しさを持つ必要がある。
・普通の人が嫁姑、三角関係、不倫などと名前を付けて見るべきところを、そういうところではクライエントを見ない。カウンセリングの理論も含めて、「とらわれないこと」が肝要。
《クライエント》は
・カウンセリングを自己探求の安易な道具とすべきでない。
・カウンセリングを受けること、そして、人間を変えることは大変なこと。
他にも
・(日本人が)外国に行って自分の好きなことをし、どんどん自己主張するような態度になっても、それまでほんとうに強い自我を育て上げるような訓練を受けていませんので、きわめて中途半端な自我ができあがる。
というあたりも鋭い。
最後に、「たましい」との対話の章は、本当に読んで謙虚になれます。簡単に「分かった」とか言うな、と自戒しています。
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上巻に続く、カウンセリング講座の講義をまとめた本です。カウンセラーは、常に自分を知ることを続け、クライアントの問題を自分の中の一部にもある、たましいの一部であることを認めていくという作業が必要不可欠であるということが解りました。
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下巻の方は、カウンセリング諸派の比較などから始まり、 より実践的な内容です。
10年前に買った本を、ひょんなことから手にとりました。
当時には感じなかったことを、ひしひしと感じます。
積読もしとくもんだと。
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『カウンセリングを語る 下』(著:河合隼雄)
読了した本がたまっています・・・
付箋部分を抜粋します
・はじめからどれかの学派が好きになり、それにはまりこむ人はともかく、一般的に大いに迷う問題である。
私としては、どれが「正しい」というのではなく、どれが自分にぴったりなのかと考えるほうがいいと思っている(p4)
・結局カウンセリングでも心理療法でも、そのクライアントが治るというのは、結局めぐりあわせだというんです(p32)
・何とかしてあげたいという気持ちが強くなればなるほど、自分の限界がわからなくなってくる(p41)
・まず第一に思ったことは、自分の限界を知るからだと思いますね(p51)
・アドラー派とフロイト派の経験者はすごく似通ってくるという研究さえあります。だから入口のところはずいぶん違うんだけれど
山登りと同じで登山口は何ヶ所もあってずいぶん離れているんだけれど、山の上に近づくほどみんな近寄ってくるというところが
あります(p61)
・われわれは確かにまず受け入れてるんだけれども、受け入れてるということは、承認してるわけでもないし、同意してるわけでも
なくて、あなたはどう生きるのかということを非常に厳しくクライエントに問いかけねばなりません(p104)
・そこでほんとうに人間同士がむきあうという点では、われわれは父性も母性も、両方持っていないとだめなんです(p141)
・ぞうきんをかけてる、みがいてるというのは、自分の体を動かしてるでしょ。そういう体を動かしてることは、心とも
すごく関係があるんですよ(p158)
・これからのカウンセラーは、そういう技術よりも、相撲の批評家の人がよく言うように「地力をつけないかん」のじゃ
ないでしょうか(p171)
・相手の気持ちがわかるというのは、つまり自分の気持ちがわかる。自分というものがどんなものかということを、ほかの人よりは
少しよく知っているということがあるから、こういう仕事ができるんだと思います。だから、自分自身を知るということは
もっとみんな、考え直してもいいんじゃないかと思っているわけです(p256)