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現在を「知る」ためという一点で書かれた本。「知った」後は…どーするか、が問題?
2008/06/21 15:03
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:T.コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近の書店の隠れヒットがマルクス本。本書はニューアカブームの仕掛人(『構造と力』のプロデューサー)でもあった今村仁司の『マルクス入門』とともに評判の入門書だ。いかなる解釈も解釈者の能力やTPOに規定される(党派的な限界でしかない)が、本書は分かりやすく現在の状況をも反映したものになっている。現実の具体例を多く反映させた資本論の後半(の記述の仕方に)にウエイトを置いているからだ。
ワーキングプアはずっとワーキングプアでしかないことが示されているが、絶対窮乏化論がこんなにカンタンに示せるコトを評価すべきだろう。専門用語の羅列は識者の自己満足でしかないし、タームの理解を独占しているかのように見せかけることによる脆弱な立場の維持でしかない。ホントに理解していればどんな難しいコトでも誰にでも理解できるように簡明に表現することができる。プロという立場を保身するための専門用語は必須ではないハズだ。
現象を語り事実を修飾する文化の特徴そのままにさまざまなコトバが生み出されるが、マテリアルでテクノロジカルな事実は、たいがいシンプルで誰にとってもリアルだ。
たとえば失われた10年以降のコギャル、少年犯罪、ひきこもり、ニート…これらのどこがどのように問題なのか? 問題の側面は語る者によってさまざまだが、最終的に解決すべきコトは一つに収斂するハズで、それは経済的な問題だ。ずっとサヨクが訴えてきた単純明快なテーマであり、最初で最後の問題が、コレだ。
いよいよオカシクなってきた社会や経済を目の当たりにして、ニート対策のような政策で対応しようとする対症療法はいくら積み上げても最終的な解決にはならない。
本書は何気なく、しかし本気で、その最終解決への認識の糸口を提供しようとしている。それが階級闘争への自覚だ。「今という時代を知るために読む。この一点だけで読みます」と『資本論』紹介を目的とした本書のスタンスが表明されている…しかも、その『資本論』は「階級闘争の書です」…なのだ。
資本主義のシステムや価値の形態を語ること(のみ)で現実とのマテリアルな接触を回避し逃避してきた各種分析理論は、ケインズのように政権与党によって現実に駆使され成長し鍛錬されてきた理論とは違って、ただタームを列挙する言葉遊びそのままに呆られるタイミングを待つだけになっている。
リアルに泥まみれになれない、科学を自称する○○理論などとも違って、本書は正統サヨクのセントラルドグマである剰余価値説あるいは労働価値説を簡明に解説し生産(労働)の価値と交換(市場)の価値のギャップが隠蔽されるところに問題があることを示唆している。
リアルで説得力があるのが…資本主義が国家を超える独占を形成し、そういったグローバリズムの世界的な拡大が、やがて大きな変化を意外に早く招くかも…という指摘。それらを支える基本認識こそ「資本主義とは、人間関係である」というグレート?な断定が圧巻だ。
真っ当なサヨクの認識ツールの登場となるか? 本書にはさまざまな読まれ方、利用方法が期待されるだろう。
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『資本論』の今
2010/11/16 21:02
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多川 至 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『資本論』とは何の本か。それは、資本主義のメカニズムのマニュアルであろう。レーニンはこのマニュアルを活用して共産主義革命実現へのプログラムを開発し、実行した。しかし、それは一つの活用法ではあっても、唯一ではなく、ソ連崩壊によって、『資本論』も、やっとレーニン等の独占から解放された、と言える。つまり、もう、いわゆるマルクス主義云々等と言うことを前提にする必要はない。どう活用するかは、読み手が自由に決めれば良い。
当然かもしれないが、マニュアルというのは専門用語が使われている。ここでは、マルクス語、だが、専門用語は、違う言い回しを考えるよりも、そのままで使い方を覚える方が効率的だと思う。外国語の習得、と思えば良いのだ。『超訳』は、まず、マルクス語に馴染むためのトレーニング教材、として考えて良い。その意義は、決して小さなものではないのだ。
例えば、労働力の支出、という言葉が出てくる。私には、これを平易な現在の言葉に言い直す学力はない。だが、見慣れてくるにつれて、意外にイメージ出来る。すわわち、働けば疲れるし腹も減る、それは体力を消耗したからで、使って減らした体力エネルギーは、収入を得るための仕入れ費用、と考えてゆくと、労働力の支出、というのは、なじみ難い言葉だが、なかなか正確な表現、ということが、わかってくる。
単純に考えれば、経済学とは、今の自分に何が出来るか、を教えてくれるものではないだろう。対して、『資本論』は、階級闘争ということを提示ている。なぜなら、実は、働く人が資本主義経済社会の主役であり得る、ということを証明しようとした試みだからである。自分の権利は自分で守る、と言うだけでは教訓の域を出ないが、階級闘争、という言葉に置き換えてみると、常に変化している社会、という次元が見えてくる。いきなり階級闘争と言うと、アレルギーを起こすかも知れないが、ようは、社会経済の統計数字ではなく、資本主義社会の中での、働く、生きる、そのあり方がテーマ、ということなのである。その試みは、資本(今風に言えば会社)の利益ではなく、労働、を基点にする姿勢から察することが出来るだろう。
そもそも、『資本論』は、一気に読み通せるような本ではないし、研究が目的でないときは、3巻の最後まで読み通す事にこだわらなくてもよい。例えば、(内心では自慢していても)俺はこの分厚いパソコンマニュアルを最後まで読み通した、と公言する人はいないだろう。マニュアルは、読むこと自体に価値はない。どう使うか、なのである。むしろ、必要なとき必要なところだけ読む、というのは、マニュアルの使い方としては普通である。ただし、どこが必要か、自分に役立つのかは、やはり読んでみないとわからないという泣き所がある。いわば、マニュアルのマニュアルが必要、というケースだ。『超訳』の意義は、そこにもある。
そして、使える、思わぬヒントになるかも、と思われる言葉が見つけられれば、それでよい。一例を挙げれば、いわゆるサービス残業。やらざるを得ないとしても、もとより当然ではない。では、断れるか。そのとき、労働力商品、という言葉が、断ろうという強い気持ちの支えになり得る。商品ならば、当然対価を必要とする。つまり、残業手当をフルに、である。そういう使い方は、労働力商品、という言葉に込められたマルクスの意図を読み違えているとしても、サービス残業への疑問、歯止めとして役に立てば、マニュアルの活用事例としては申し分ないのである。そういう使い方(読み方)で十分なのである。
では、最終的に、レーニンとは違うプログラムを開発できるか。これは難問だが、べつに出来なくても良い。もちろん、いわゆるマルクス主義哲学、マルクス経済学(さらには、歴史学、社会学)を目指す義務もない。もっと言えば、『資本論』に書かれていたと言うことを忘れても、かまわない。必要性を感じた時、改めて、最初から最後まで読めば良いのである。いずれにしろ、個人の指針のためのマニュアルとしての価値は、資本主義が続く限り、拾い読みでも損なわれない。なぜなら、『資本論』は、資本主義を前提にした本だからだ。したがって、例えば、共産主義革命が成し遂げられれば、『資本論』の意味は見えなくなる(マルクスではなく、レーニンやスターリンの言が基準になった)。
すなわち、既成概念や先入観にとらわれずに、自由に『資本論』が読めるときがやっと来た、ともう一度言っておきたい。資本主義経済が続くことは、じつは『資本論』の真価の証明なのである。いわゆるグローバル化にしても、まだまだ『資本論』の掌の上のことに過ぎない。『超訳』という試みは、そのことを、改めて明らかにしている。
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資本論への入門
2016/02/09 19:18
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩漬屋稼業 - この投稿者のレビュー一覧を見る
引用と要約でもって文庫三冊分の『資本論』第一巻を新書一冊に凝縮。
内容は原著の目次通りに編まれている。
『資本論』には何か、この資本制社会をうまく泳いでいくヒントはあるのだろうか。
資本の謎を解いて金儲けだ(←バカ)と、かつてチャレンジして挫折した『資本論』への、改めて入門編として手に取ってみた。
第一巻での論述は一工場内での資本の動きをモデル化したものだ。
そこで生産された商品の流通過程や信用創造の過程は続刊で描かれる。
先ず強者による略奪という本源的蓄積があり、機械化による産業資本主義の勃興が都市を形成する。
土地を奪われた農民が都市へ流入することによって、産業予備軍というフレキシブルな労働力商品となる。
産業予備軍を形成するには農民、そして若しくは都市民の窮乏化と人口の増大が必要となる。
だとすると、現在の日本のように少子高齢化が進み、労働力人口が減少していくと、産業予備軍の形成のためには都市貧民のさらなる窮乏化が必須となる。
だから貧困から抜け出すには資本主義から抜け出すか、大資本家になるしかないのだ(小資本家では大資本家に収奪されてしまうのだ)。
こうして都市貧民は貨幣経済と資本主義的労働に疎外されることによって、失業という恐怖に常にさらされることになる。
失業というのは、単に職を失うということだけに尽きない。
現代社会ではその人格にまで影響を及ぼす。
失業というのは特異な存在形態になってしまっているのだ、恐らく。
ところで、マルクスは貧乏だった。働かなかったからだ。
しかし資本とカネの秘密を解いたなら、せめて自分の子供が死なない程度には稼いだのではなかろうか。
資本を論ずる割に資本とは無縁だったわけだ。
どうやら『資本論』を読んでも金儲けはできないようだな。
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うーん、わかりやすいのかどうかもわからねえwwもうちょっと勉強が必要ね。。。まあちょっと期待してた内容とは違ったけど。
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資本論を齧ろうと殊勝な気持ちで読み始めたけど、本当に概要しか判らなかった。大著を横着して読もうとしては「イケナイ」思い知りました。感じた事だけ書いておくと、サラリーマンはエリートコースに乗ろうと労働力でしかないので、会社に対して共感を持つ必要はないということ。サービス残業なんて、止めよっと
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カールマルクスの対策です。
資本主義・社会主義。
いろいろと意見があるかもしれませんが。
よんでみると面白いと思います。
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難解すぎる。。。
ただ、価値とは何か?という哲学的問いをしたければ読むべき。
見えない価値の測定、人間・社会との関係性について知っておくべき理論。
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マルクスの資本論の解説書。資本論の翻訳ではなく、またマルクス主義の解説書でもなく、あくまでも「資本論を読むための入門書」という位置づけで書かれている。
『資本論』を読んでいないため、ここに書かれている内容が入門書として正しいかどうか判断はできないが、『資本論』でマルクスが主張したことがこの通りだとするなら、本当にすごい人だったんだと思う。
昨今の資本主義経済はあきらかに限界を迎えているが、その原因は一部の金融機関の“誤った”行動によるものと多くの人が考えているように思う。しかしマルクスの分析が正しければ、むしろこのような崩壊は資本主義が本質的に内包するものであって、必然的な結果ということになる。
経済体制について資本主義が事実上唯一の選択肢となってしまった今後の世界は、どこへ向かうのだろうか? 私たちはより良い世界を求める努力を諦めて、より良く利益を掴む努力に転じざるを得なくなっている。その先にあるものは、どう考えてもユートピアではない。
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【読む目的】
資本主義を学ぶため。
【感想】
ストーリーがあるからこそ、
初めて理解できた。
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(2009.10.08読了)
ダーウィンの「種の起源」、マルクスの「資本論」などは、永遠の課題図書で、読んでみたいとは思うけれど、なかなか手が出ません。
先日、「柄谷行人 政治を語る」を読んだら、以下のようなことが書いてありました。
●「資本論」の構成(41頁)
「資本論」の第一巻、流通過程。第二巻、生産過程。第三巻、信用過程。
ふつう「資本論」というと、第一巻、第二巻しか読まないですね。面白いと思ったのは、信用過程ですね。
資本主義は信用の体系です。ある商品が、実際に売れるまで待っていたのでは、つぎの生産ができない。だから、売れたことにして、事を進める。その時に、手形が使われます。これが信用です。
まともに第三巻までたどり着くのは、至難の技で、資本主義の根本となることが最後に書いてあるとなると、とりあえず簡略版でいいから、第三巻にたどり着きたいと思い、この本を選びました。
題名が「超訳『資本論』」となっているので、縮訳番かと思ったのですが、「資本論」を読んでもらうための要約書ということです。
ところどころに、「資本論」からの抜き書きがあり、その前後で、的場さんの解説が付いています。的場さんの文章は分かるような気がするのですが、「資本論」からの抜き書き部分は、???。
「剰余価値」「不変資本」「可変資本」「労働日」、余りなじみのない言葉が並びます。
「労働の二重性」、「使用価値を作る労働」と「価値を作る労働」、これってどう違う?
●資本主義の勃興期(321頁)
1349年のイギリスのエドワード三世の労働者法と1350年のフランスのジャン王の勅令は、賃金の上限を決め、それ以上の賃金を受け取るもの、支払うものをともに罰する法律です。最低限の方は決められていなかった。(いまは、最低賃金が決められていますが、最低生活を保障するものではありません。)
●資本の本源的蓄積とは?(335頁)
資本の本源的蓄積とは何か。それは畢竟、直接生産者―自己労働に基づく私有―の解体そのものだということです。
(全員、雇われ労働者となって働くしかないようにする。)
著者 的場 昭弘
1952年、宮崎市生まれ
慶応義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了
一橋大学社会科学古典資料センター助手
東京造形大学助教授を経て
神奈川大学経済学部教授
(2009年10月8日・記)
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授業で習う割に「資本論」て何が書かれているか知らなかったので、新書でダイジェストで読めるなら〜と軽い気持ちで手を出してヤケドした本。だって何言ってるのか全然わからない。経済原理は過去も現代も普遍なのでは?と予測して読み始めたものの、説明の例えが古くて直感的に理解できなかったり、そもそも私が経済の知識が乏しすぎたり。日本語で書かれているとは思えないくらい頭にまったく入ってこなかった。。
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廣松さんの本に比べるとベースになるはずの概念の説明がわかりにくく、そこだけはもういっそとゆうことでさっさか読んでしまった。
ただ資本論にそって解説していく本ってゆうのは初めてで、資本論一巻にどのようなことが書かれているかとか、どうゆう流れなのかとか、そうゆうことを知ることができたのはよかった。
また後半部の社会の実態の分析については、近代社会の底辺がどうだったのかとかを知るうえでも役に立った。
またマルクスが未来をどう見たかとゆうことも書いてあり、やっぱり細かいところはわからんけど大まかなところではおれはマルクスの予見に共感するところが多いことを再確認した。
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[ 内容 ]
教育を受けた若者が、定職もなく街にあふれ、庶民のなけなしの預金は減る一方。
景気が伸びても、給料は上がらず、物価だけ上がった。
悲しいかな、これが、資本主義の本当の顔である。
『資本論』をいったん遠くに放り投げた日本人は、いま再び拾い上げ、ページを開く必要に迫られている。
この書には、剥き出しの資本主義が、驚くべき洞察で描かれている。
資本主義の実態は、二一世紀になっても何ら変わっていない。
今回、待望の『資本論』第1巻の超訳をお届けする。
どうか、大著のエッセンスを味わってほしい。
[ 目次 ]
『資本論』第1巻(商品と貨幣 貨幣の資本への転化 絶対的剰余価値の生産 相対的剰余価値 絶対的剰余価値と相対的剰余価値の生産 労働賃金 資本の蓄積過程)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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『資本論』は現代の労働者の問題を理解するために読み直されるべきという問題意識の下に執筆された『資本論』第1巻のエッセンスを解説した『資本論』入門書。
原文(日本語訳)も適宜引用しながら、噛み砕いて説明されており、確かに『資本論』はどういうことを言っているのかを掴むには良い本だと感じた。
しかし、個人的には、『資本論』の根底にある労働価値説に納得がいかなかったので、全体として『資本論』の内容は腑に落ちなかった。洞察として役立つ部分はあるかもしれないが、著者の言うように『資本論』が現代の労働者の問題を理解するよすがになるとはあまり思えなかった。
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的場昭弘著、超訳「資本論」を読んだ。
あの佐藤優の著書の中で何度もでてくるマルクスの資本論だ。
いつか読まなくてはと思い、5月に購入したものの、目を通すのに3ヶ月かかった。
理由は、他の読みやすい本にすぐになびいてしまうことと、
仕事がここのところ忙しかったからだ。
仕事柄、私はもちろん労働者であるが、所属部署の関係で経営・使用者側に立った規程や文書を起案することが多い。社長だったらどう判断するか、どう書くか。といったことを日々気にする。だからなんとなく、唯物的なマルクスは、縁が遠くて、真逆の考え方だとい“先入観”を持っていて、これまで読んだことはなかった。
あるとき、マルクスをかじったと思われる一部の方に、「歴史的にみて、階級闘争・労使交渉はしないといけない。」といわれた。そのときは、正直、不勉強で聞き流していた。
佐藤優の国家論の流れで、いよいよトライしてみようと思いが固まったが、
軟弱な私には原書にあたれず、この超訳をまず見てみることにした。
超訳といえでも、少し難解だ。
もう一度よまなければならないが、
気になったところを抜き書きする。
人間は、利己心の動物---類的動物
富を生んだのは、勤勉---略奪
労働者は、対価---搾取 歴史的事実が対照化されている。
マルクスはブルジョワの立場で労働者の社会を分析した。
同じレイヤー同士で正しいと思えても、
それ以外の階級に説得できなければ理論的に負け。
資本主義社会の細胞は商品
商品は使用価値(具体的に有用な価値)を持って出現
交換価値は互いの妥結によって決まる
相対的価値形態:偏差値、比較
金・銀は商品としてそれが産出される地域での労働により価値が決まる
背景に労働がある
商品はすべて価値として対象化された人間労働
P.140
不変資本=C、可変資本=V、剰余価値=M
商品価値=C+V+M
Vは労働者に支払う賃金、
Mは資本家が獲得する剰余価値
VとMの比率が搾取の度合となる→M/V=剰余労働/必要労働
P.148労働日の標準化するという闘争
P.181
たいていの労働者には競争が生まれ、
自ら活力(anmal spirit)が生み出され、
個々人の個別的生産能力が高まる。
本来人間は社会的動物/政治的だ。
ポリテクニック(実務中心の高等教育)や農業経済の学校をつくることで、
ブルジョワの子に教育を与え、
プロレタリアには職業教育のものしか与えない。
P.254
出来高賃金に注意!
能力給は資本主義の生産にとって好都合
お互いに賃金を引き下げ会うシステム
非正規雇用者は専任職員からも搾取される仕組み
=末端の労働者から搾り取る仕組み
(結論の引用)
この収奪は資本主義的生産自体の内在的法則の作用によって、
資本の集中によって実現される。
つねに一人の資本家が多くの資本家を滅ぼす。
この集中とともに、つまり少数の資本家による
多数の資本家の収奪とともに、
ますます大規模になる協業的形態、
科学技術の意識的な利用、土地の計画的利用、
共同的にのみ使われる労働手段への労働手段の転化、
結合された社会的活動の生産手段として使用されること
で起こるすべての生産手段の節約、
世界市場全体への世界の国民の組み入れ、
およびそれとともに資本主義の国際的性格が発展する。
こうした転形過程のあらゆる利益を収奪し、
独占する大資本家の数がたえず減少していくとともに、
窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大するのだが、
一方でたえず拡大する資本主義的生産過程の機構そのものによって
訓練され、結集され、組織される労働者階級の抵抗も増大する。
資本の独占はそれによって、かつ、そのもとで開いた生産様式の障害になってくる。
生産手段の集中と労働の社会化は、
そうした資本主義の枠と調和しなくなる点にまで至る。
そして、その枠は破壊される。
資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪されるのだ。
私は残念ながら、一読して、パーっと興奮しながら読める読解力はない。
いつかもう一度読まないと。。。。