紙の本
問題意識を持って生きる
2007/07/27 19:12
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、日本の弱点を良く理解している。論じる場合に、まず自分は?というところから論を進め、本書は、自虐的と思える程、自らの非を意識しながら書かれていた。こういう人の発言は、信頼が置けるものと私は、考える。最初に、日本の弱点と記載したのは、次のような事である。まず、「自分を棚にあげた批評」である。著者は、オウム事件の世間の論評に対して、疑問符を打つ。それは、オウム的思考に、著者自身が陥っており、決して他人事として考えられなかったと言うのである。勿論、オウムの犯罪を自分がやったかも知れないとか、犯罪自体を肯定しているのでは決して無い。信者達は、皆、向上心旺盛な若者だった。しかし、その向上心が、閉鎖社会の中で、外界が見えなくなった時の恐怖の事を言っているのである。オウム事件当時の世間の論評に、こういう視点は、一切無かった。皆、「私は、オウムとは無関係」という視点での論評だった。著者は、ここに、日本の弱点を見るのである。次に、現代日本の中では、自らの頭脳で思考し、決定し、行動する事は、悪しき事として理解されているという事である。勿論、表面上は、そういう事は無いであろう。しかし、本音の部分では、自らの判断はなるべく避け、人の判断で動きたいという欲求が、殆どの日本人の深層心理には有ると著者は、述べる。私も経験から、全く同意見である。本書には、ここまで記述は、されていなかったが、これは、戦後日本を象徴した考えであると思うのである。戦後、日本の頭脳は、アメリカであった。戦前の日本には、狂ってはいたが、頭脳が有った。この事が表面化した事象を著者は述べたのだと思う。
本書は、前半に、著者の思想を述べ、後半は、エッセイとして構成されていた。著者は、あとがきの中でこう述べる。「自分を棚上げにせずに生きるとはどういうことか、限りあるいのちを生き切るとはどういうことか、欲望に振り回されない生き方とは何か、生命・エロス・死をどのように考えていけばいいのか、これらは、まさに「生命学」の根本問題ではないか。」そう、本書は、「生命学」を意識して書かれている。「生命学」とは、どういう学問か?テーマが大きすぎて、概念しか理解出来ないが、私も著者と同じ、世間への疑問を持つものと確信する。
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「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカ」るだけではなく、敢えて「自分を勘定に入れ」、自分との関わりに於いて考えようと提案する書。「欲望」「性愛」「生命」をキーワードとして、自分と世界との関わりを模索する。人間を欲望する存在として捉える「欲望論」が面白い。「吾欲望す、故に吾在り」、しかし欲望の完全充足は自分を自由から疎外する。制限されることが「欲望する自分」には不可欠なのだ。
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幅広い発言を続けている思想家、森岡先生のエッセイ。「あとがき」で触れられているが、著者の研究テーマである「生命学」の入門書ともいえる。「生命学」ときくと理系の自然科学分野の学問のような響きがあるが、その内容は実践哲学ともいえるもの。最近の特に若手の哲学研究者からは、哲学や思想を日常生活に活用しようという提唱がよく聞かれるが「生命学」もそうした試みの一つのように思う。
「自分を棚上げにしない」というある意味厳しい「教え」が頻繁に出てくるが、確かにこれを実践できれば「より良く」生きることに希望が垣間見えるような気がする。こうした考え方はともすると一時的なキャッチフレーズだけで終わってしまうような場合もあるが、仮に一つの言葉が消えてしまっても、次に出てくる新たな言葉と比べてみれば一つの「普遍」がチラチラと見えてくる。それを消さないためにも多くの思想家が多くの言葉を間髪入れずに発することが「思考スキル」を鍛えるのに有効な手段なのではないだろうか。
著者の森岡先生は、学者として確固たる地位を順調に築きつつあるように見えたが、実際には業界内においてかなりのご苦労をされているようで、本書においても愚痴や不満があちこちに散見される。本書に限らないが、力強い「言葉による抵抗」は他の場所で闘っている人達への頼もしいエールとなっているはずである。
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[ 内容 ]
人は誰しも、自分にとって都合の悪いことから目をそむけたくなる。
しかし、そうした姿勢で社会を、自分を、そして身近な人たちを見ていったなら、どうなるだろう?見たくないことからも目をそらさず、どこまでも自分と世界を見続け、考え続けること―。
そのようなスタンスで、学び、男と女、生と死、老い、宗教などを取り上げ、しなやかな文体で綴ってゆく著者初のエッセイ集。
[ 目次 ]
第1章 自分と向き合う「知性」とは(自分を棚上げにした思想は終わった;人は何のために学ぶのか ほか)
第2章 自分と向き合う「欲望論」(豊かな時代になぜ人は不機嫌か?―「自由」の意味が変わった;障害児を持つことは不幸か?―「幸福論」から「欲望論」へ ほか)
第3章 自分と向き合う「性愛論」(人はなぜ、恋をすると不安になるのか?―「ことば」と「制度」の恋愛ゲーム;「あなたっていい人だから」と女が去ってゆく理由―「やさしさ」の本質とは ほか)
第4章 自分と向き合う「生命論」(この世に生きた証を求め、人は死を受容する―キュブラー=ロス『死ぬ瞬間』を読んで;日本人への質問・「どのような環境で死にたいですか?」―最期に見たい「青空」 ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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一時期、テレビや新聞で著者の名前をよく見かけた気がする。
生命倫理の専門家だそうだ。
この本は、エッセイ集なので、それほど難しい話ばかりではない。
ただ、どの文章でも、自分を棚上げにしないという立場を貫いているのが印象的だ。
例えば、原発問題とエネルギーを大量消費した快適な生活への私たちの執着という矛盾。
著者は自分自身を例外的な立場に置かない。
それはすごいことだけれど、その先に何が見えてくるのかが知りたかった。
この本では、そういった諸々の矛盾がどう解決していくのかが見えなかった。
この本は元の本が1997年なので、その後著者はどういう考えを持つようになったのだろう。