投稿元:
レビューを見る
・ジェンドリンは「自己」という概念をもたない。まだ大学院に入りたてのころ、ジェンドリン先生の研究室で授業の合間にそれについて聞いてみたことがあった。
「ドクター・ジェンドリン、ドクター・ロジャーズは『自己』という概念を理論の中心においていますよね。いや、ドクター・ロジャーズだけじゃなく、多くの人間性心理学の先生方も、ユングも。ドクター・ジェンドリンは『自己』という概念についてはどう思いますか」
「私は『自己』という概念を理論の中には、作っていないね」
「どうしてですか」
「その概念は『内容』だから。プロセスじゃなくて、内容だから」
このときの会話の意味が十分理解できたのは、その後、何年もたってからだった。要するに、人のこころ(体験)はモノのような「内容」(コンテント)によってできていない。人の身体に心臓や肺があるのと同じように、こころの中に「自己」や「自我」があるわけではない。だから、あたかもそのような内容が存在するかのように誤解される理論をジェンドリン自身は作らない、と彼は言っていたのだった。
むしろ、自己や自我と呼ばれるような概念が生成されてくるこころの過程(「プロセス」)に彼は注目しているのだった。
・漢字が読める香港の人に「自分」と紙に漢字で書いて手渡して、その意味がわかるかどうか尋ねてみたことがあった。
「『自分』ってどういう意味だと思う?」
「『自分』?さあ、『自』という漢字も、『分』という漢字も意味はわかるけど、組み合わせると、さあ、どういう意味かわからないね」
「ああ、そう」
「日本では、どういう意味?
「セルフという意味、日本語では」
「いや、中国だと『我』だね」
「ああ、日本語でも『我』は使いけど、もっと一般的には『自分』というね」
「それは、日本独特の言葉だろうね、中国語では使わないよ」
・僕は、フォーカシングを使った夢のワークについて簡単に説明した。夢は禁じられた無意識内容の表象ではないこと、夢の内容をビジュアル(視覚的)に覚えていなくても、どの夢にも、その夢独特のフェルトセンスがあること、それに触れながら夢を語り、聴き手のリフレクションを聞いて何が響いてくるかを感じること、夢はイメージという道筋を利用しているので、<そこで何を感じましたか>などイメージ以外の道筋に行くことは最小限にし、イメージを大切にすること、夢には自分でもまだはっきりわからないメッセージがあって、夢を誰かに聴いてもらっているとそれが明らかになってくることがあること、どうであれ、夢を楽しむことなどだった。
「…僕は、わかっているか確かめたいから、僕にわかったところを言ってみるね」
「ええ」
「自転車に乗っていた。舗装道路のほうじゃなくて、小石などがある悪路だった。いつもは車に乗っているのに、なんでだか、わざわざ難しい方の道を選んでいるみたいに思った、それで合ってる?」
「ちょっと、何これ、すごい!すごい!」
・アイデンティティーはいつも未来との対話だ。
・レジスタンス(抵���)の概念には僕は納得がいかない。無意識中の検閲者が勝手にそのような操作をすることはありえないと思っている。カール・ロジャーズが1940年に初めて心理療法面接の録音をレコード盤に収録して研究したところ、いわゆるレジスタンスという概念で呼ばれるような現象は、カウンセラーが重要なことを聴き落としていたりするところで起こっていた。要は、カウンセラーが下手だったから、クライエントがシラケたのだ。