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作者が直接日本語で書いたのではないかと思ってしまうほど自然な翻訳文がとても印象的。深い感慨のもたらされる大作であった。
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砂浜に打ち上げられた漂流物の中に入っていた日記から始まる,過去と現在を行きつ戻りつしながら紡がれる壮大な物語。
装丁の美しさにも惹かれ,期待して読み始めました。
日記の描き手少女ナオの中学校での陰惨ないじめ,劣悪な生活環境の描写には心が痛みました。ただ,問題ありとはいえ,ナオが家族から虐待されていたわけではなかったので救いがありました。
ジコウとナオが夏休みを過ごすあたりから先が気になり,一気に読みました。
全体の感想は下巻で。
刹那…というのは美しい言葉です。
取り上げられているテーマは難解ですが,ナオの言葉で語られると何となく感覚が掴めるように思いました。
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カナダの海岸に流れ着いたキティちゃんのお弁当箱に入ったいた日本の少女の日記。3.11大地震で流れ出し海を越えカナダに流れ着いたらしい。米国からの帰国子女である少女ナオはイジメにあっている。
日記を拾った日系人のライター・ルースは、読み進めるうちに日記にでてくる少女やその祖母などをネットで調べ始める。
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本書を読む前に気になったのが、著者の略歴。アメリカの大学を卒業後、日本の大学院に留学。僧侶の資格も持つ。
作者が投影された主人公ルースは、カナダの奥まった湾の海岸で、キティちゃんのケースに入った日記を拾う。日記は、日本の少女の物で、おそらく東日本大震災で流されたものであろう。そんな感じで物語が始まる。
書き出しから、道元禅師のことばが引いてあったりして、外国人で真面目に仏教、禅に取り組む人はこんなふうに物事をとらえるのかなという印象をもちつつ読み始めた。
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仏教はアジア、自分の国に根ざしたものなのになぜか日本人目線だと右耳から左耳へ抜けていくのに、外国の人に語らせるとストンって心に落ちてくる言葉になるのが不思議。
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秋葉原のメイド喫茶と禅と特攻隊のでてくる日系人が書いた小説と聞いたら誰だって読む気は失うかもしれない。
太平洋に面するカナダの島で拾った日記には日本の10代女の女子の内面がつづられれており、自殺をほのめかす内容だった。
日記は遠く日本で書かれたもので、遥か昔。
物語は読まれることで価値を生む。読んでいるカナダの女性のシチュエーションと、書かれている日本の少女のシチュエーションが時間と場所を超えて重なる。
現在の体の痛みを感じることと、昔を思い出すことは同時にできる。人は意識の中では自由に時空を移動する。
現実はつかむものではない感じるものだから と言ったところか。
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いじめの描写に胸が痛んだ。ジコウさんが出てきてから少し救われ,また考え方,話が興味深く,引きこまれるように読み進められた。「不二=対立していてふたつに見えるものも,絶対的な立場から見れば対立はなくひとつであるという考え」という言葉が印象深く残った。
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遥か日本から波に乗ってきた古びた手紙と腕時計、そして一人の少女が書いた日記。自殺をほのめかす東京の中学生ナオに、日記を拾ったルースは惹かれていく。
海外から見た“あの日”。犠牲になった人にも、みんな顔があり家族があり人生があったという当たり前のことをちゃんと認識しなければならない。