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二点。ひとつは一元集約型の限界。もうひとつは善意や正義の押し付け。
まず復興について言及しているのは、やはり一元集約型じゃなく、分散して地域の特性に合わせること。これは一概には言えないが、大きくなりすぎた企業や組織もそうあるべきだと思う。もっと小単位でフレキシブルに自律的に動けるほうが、活動密度も濃い。「トップダウンがほしい」「上からの方針がないと」みたいに、いけしゃあしゃあと他責が簡単に許される大組織では先が思いやられる。
また、ボランティアでありがちな「自分は正しい」「良いことをしている」みたいな強すぎる思い。例えば、本来サポートに徹する立場なのに、過去の実績をこねくりまわして「こんな傾向じゃダメだ」「これについて報告してくれ」と、ピントがズレたまま余計な仕事だけ増やしてくれるというよくある日常のひとコマ。前じゃなくて後ろに焦点当ててどうすんの?
と半分まで読んでみたけど、なぜかストレスなことが思い浮かんでしまうのであった。
宗教学者と玄有宗久の対談形式。震災と宗教が、どこら辺まで絡んでくるのか、後半に期待。
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玄侑宗久師の見識と、鎌田東二氏の組み合わせは、原子力の問題について、仏教、神道の立場から、どちらも自然を重視した見解が展開されていた。
現政権や原発推進論者の問題がよく見えてくる。原発は原爆と不可分であることも言及されていた。
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東北の震災と福島原子力発電事故について、どのように日本的に咀嚼することができるのか。そのような過程を経てこそ、私たちの生きた経験と知恵にすることができるか、という本。