紙の本
人生の苦闘の魂の記録
2008/01/15 23:06
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろこのすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は著者の25歳から亡くなる前の65歳までの日記である。
著書の数々を書く上の苦悩と思索が書かれており、著書が出版されるまで、母として、妻として、生活者として、研究者として、文学者としての様々な役割を果たした上での血のにじむような結果だと知ることができた。
神谷美恵子さんは1935年、津田英学塾本科を卒業後大学へ進学、結核をわずらう。その後、アメリカの大学に進むが、日米開戦で帰国。27歳で東京女子医専に入学。卒業後精神科医になったときは30歳になっていた。多感な19歳のとき、ハンセン病患者の悲惨な状況をまのあたりにみて、医師を志したのだった。
当時死の病といわれた結核をわずらい療養生活を経験した神谷さんは死の病から生還でき、自分だけが癒され、生きていることに負い目を感じるようになった。
その負い目がハンセン病患者のために働くことを決意させる動機になった。
ハンセン病患者の中にも高い精神生活を送っている人を見出して、生きる意味、生きがいについてかんがえるようになったのだろう。
この日記を読むと深く思索し、研究、勉学し、己を謙虚に謙虚にいましめ、苦悩する姿に心が揺り動かされる。
41歳のとき、初期癌に侵されるがラジウム照射でくいとめたりという経験がある。
大学時代結核をわずらい療養生活を二度し、医師となってからはハンセン病患者の悲惨な状態を見、献身する中から生まれた著作には観念や筆先だけでない真摯な魂がこめられている。
神谷美恵子さんは十代のとき、キリスト教伝道活動をしていた伯父の三谷隆正氏の影響をうけたようだ。
ハンセン病患者に対して、「なぜ私でなくあなたが?」と思う底にはキリスト教的なものを感じる。
しかし、神谷さんは排他的で、キリスト教を唯一無二のものとする考え方には同調しなかった。晩年65歳(亡くなった年)の日記では
(私が「キリスト者」になれない理由は、イエスが30歳の若さで自ら死におもむいたため。三十歳といえば心身ともに絶頂のとき。その時思う理想と、65歳ににして経験する病と老いに何年も暮らすことは、何というちがいがあることだろう!!私はまだしもBuddhaのほうに、人生の栄華もその虚しさも経験し老境にまで至って考えたほうに惹かれる。)と日記で述懐されていることに私は深い感慨をおぼえた。
科学者で難病に長い間苦しんできた柳沢桂子さんについてここであわせて考えてみたい。
柳沢桂子さんは1938年生まれ。コロンビア大学大学院博士課程修了。原因不明の難病による闘病生活が続く。生命科学者・サイエンスライターとして病床から啓蒙書を書き続ける。著書に「生きて死ぬ智慧」等がある。
柳沢桂子さんは生命科学者であり、神谷美恵子さんは精神科の医者である。
柳澤さんも難病に苦しんできた人であり、その病床から得たものから「生きて死ぬ智慧」を書き、般若心経についての著作をものした。
神谷美恵子さんは10代で結核をわずらい、40代で初期の癌を克服。57歳で狭心症。入退院を繰り返し、一過性脳虚血の発作などで14回も入退院を繰り返してきた。
最晩年はいつまで意識を保っていられるだろうかという不安と恐怖を抱えながら自伝を書いてきた。
神谷さんの最後の日記は壮絶。
「人を愛するのは美しい。しかし、愛することさえできなくなった痴呆の意識とからだはどうなのだ?だから愛せる者よりも価値が低いと言えるか。くるしみに耐えること、ことに他人に与えるくるしみに。」とある。
精神科の医者が一過性ではあるけれど脳虚血症を患ったことはいつ痴呆になるかと精神的に苦しんだことだろう。
(私が「キリスト者」になれない理由は、イエスが30歳の若さで自ら死におもむいたため。三十歳といえば心身ともに絶頂のとき。その時思う理想と、65歳ににして経験する病と老いに何年も暮らすことは、何というちがいがあることだろう!!私はまだしもBuddhaのほうに、人生の栄華もその虚しさも経験し老境にまで至って考えたほうに惹かれる。)
という言葉は私の胸に響いて去らない。
「なぜ私でなくあなたが?」と私はとうてい思えない。
反対に「なぜ私ばかりが?」と不満に思う私である。
だから「なぜ私でなくあなたが」犠牲になってくださったのかと思う神谷さんの精神的背景を知りたいと思ってきた。
長い人生の苦闘の魂の記録である「神谷美恵子日記」の最後のページは柳澤桂子さんの苦悶の末に行き着いたところとあまりにも似ている。
深く思索し、研究、勉学し、己を謙虚にいましめ、苦悩する一人の女性の魂の記録に心を揺さぶられた。
紙の本
元気づけられる
2018/09/09 13:22
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ダノン - この投稿者のレビュー一覧を見る
神谷さんの日記を読んでいると、私ももっと出来るはずと勇気が湧いてきます。
全部を読む、ではなく、少しずつ、また何回も、気ままにページをめくりたいと思います。
電子書籍
マザーテレサは日本人ではなかったが・・・
2021/09/23 19:02
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
聖女の自叙伝を読むような気持ちで
ひもといた本です。
知性、献身、高潔といった言葉ばかりを
連想してしまう著者の生の声には、
自分のような凡人と同じ類の苦悩も
感じられてちょっとだけ安心してしまう。
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「生きがいについて」を読む前にこちらを読むことにした。彼女の文章は本当に真に迫るものがあり、迫力を感じる。心から湧き出てくる言葉といった感じがする。
私が感銘を受けたところは、女性というものの生き方についてだ。自分の中の男性的な部分と女性的な部分との間の葛藤が描かれていて、それは現代女性の多くが共感する点だと思う。以下の文ではその強い意志が感じ取れる。
p.58「漸く落ち着いて勉強できるようになった。同時に、自分の中に、自分のものを生み出したい衝動がうちにみなぎる。今まで勉強したこと、これから晩供すること、それら全てを、自分の生命に依て燃焼せしめよう、女であって同時に「怪物」に生まれついた以上、その特殊性をせい一杯発揮するのが本当だった。男の人の真似をする必要もなければ女の人の真似をする必要もない。かと言って中性で満足しようとする必要もない。傍若無人に自分であろう。女性的な心情も、男性的な知性も、臆病な私も、がむしゃらな野心家の私も、何もかも私の生命に依て燃やしつくそう。誰に遠慮する必要があろう。」
なぜ彼女はこのように考えられたのだろうか。
この本を読んで、女であると同時に、一人の人間としての生き方を考えさせられたし、何より、神谷美恵子さんのリアルな生き様がわかって感動した。
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生きがいを読む前に読んだ。日記形式ではあるが、一言一言、迫真に迫るみのがあり、神谷さんの生活の中での葛藤がリアルに垣間見れた。
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「私は自分一個のためにもう十分苦しんだ。今はもはや、自分のために苦しんでいる時でも喜んでいるときでもない」
「科学者として何をなしえずとも、芸術家として日々生きていくことはできる」
「人は思索を深めるほどに、思索したことを書きたいという思いを強くする」
果たして、生涯を通じてこれほどまでに考え続け、リタイアせずに生き続けた人間がどれくらい存在するのだろう。
ここまで複雑な精神世界を持ってなお生き続け、神谷美恵子という一人の思想を残してくださったことに、ただひたすら感動。
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筆者は精神科医にして、大学教授夫人、2児の母。
65歳まで40年つづった日記の、ダイジェスト版。
密度の濃い人生とは、こういうのを言うんだろうな。
育児と仕事での葛藤にはすごく共感。
しかし、「育児・家事は女性がやって当たり前」という時代背景をそのまま背負って立った筆者は、大変だっただろう。
働くママの自分が、もっと仕事をがんばろう、家事をがんばろうと思える一冊。
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もともと日記文学が好きなのと、ヴァージニア・ウルフ研究者という面で、どんな方か興味があったので、彼女の他の著作はまだ読んだことがなかったが、読んでみた。
書きたい、表現したいと強く思っている人によくある葛藤の日常と、医療従事者として、家庭の主婦としての三つ巴の高い志は、少女のころから亡くなるまで変わらず高くより強固に変化し、その意思の強さに頭が下がる。家事育児に時間をとられていることも葛藤は感じつつも、彼女の著作の泉の形成の一端を担っているのだと思った。今現在仕事と家事との葛藤を抱える自分にとっても風穴的な一冊だった。
他の著作を続けて読むことにした。
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「学ぶ」ということにこれほど切実に実直に真摯に向かっている人を僕は知りません。
身が引き締まる思いです。
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すごい人間だなぁとただただ。
●
軋轢のある、神経の緊張した、なやみの多い世界でないとだらぢがなくなる。
こういう大きな目的に向かうからには、それ相応に犠牲の要求せらるることもあろうことを、ここに改めて覚悟する。よろしいか
利他的に衝動とともに、純粋な(学問的・美学的)が私に存する。私がもし何か研究したり、創作したりしたとしても、それは決して「人類のために」などではない。
人類愛と学問と芸術とに一切の力を昇華しつくしてしまおいという生き方
私と普通の人との間のギャップは大きくなる、やがて普通の社会や家庭生活から締め出される。というより自ら締め出す日が必然的に来る事はわじゃっている
一度世を捨てた人間
自己を失って途方に暮れているという感じだ。自己を失うのか!と思うと愕然とする。その自己は何処へ行ったのだろう。私がものを考えたり、創ったりする能力を失ってしまうのだとしたら!
私はゲーテではない。自分の書いたものが、文学的な客観的な価値などを持とう筈もない。しかしもし書くことが、自己の成長の上に必要な過程なら、旧い段階から新たな段階へ飛躍していくための必要な一つの脱皮なら、ひそかに、常に、書いていいわけではないか。
小説をこしらえるのではない、文学するのではない、単に呼吸するに過ぎないのだ。本気に、自分に対して責任を以て生きようとするにはどうしても書かぬ訳にはいかないのだ。書くのをこらえていじいじと苦しむより書きまくって苦しむ方がいい、
文学という風に考えれば他と対立するけれど、何も文学者になろうなんて考えを起こすわけじゃない
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"思慮深い言葉、愛情、勤勉、育児、医学への情熱などなどがつづられている。
1939年から1979年までの40年間のごく一部の日記。
学問へ取り組む矜持も素晴らしいし、家族へ投げかける愛情も伝わってくる。
神谷さんはハンセン病診療所長島愛生園で患者と向き合いった精神科医。
この方が記した本がほかにあれば、それを読んでみたくなる。"
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神谷美恵子 25歳から65歳までの日記
苦しみながら 生きていたことがわかる。苦しみに耐えられたのは 神と対話し、自分で叱咤激励しながら、社会的使命を全うしようとしたから。自身の医師や翻訳者としての功績を誇った記述はない。自己評価が厳しすぎる
エリートの弱さを自分で克服した記録としても読める
時間の捉え方が面白い
*人間は〜生物が脱皮するように 過去と決別して新しい生活に移る
*時が羽を生やした様に飛んでいく
*仕事に熱中しているとき ひとは 無時間の中にいる
昭和14年(25歳) 〜
*自分の問題は 自分と神様のみで決めるべき
*下層の人のために働く。人、人の心、体、社会を健全にするために働く
*人の使命は 人の存在意義に関わる
昭和47年(58歳)〜
*神に委ねて残る日々を生きる
*医師になっても 何一つ人間のことはわかっていないのを知る。これを知るための勉強であった
*私は痴呆の近くまでいって ようやく全てのものから自由になった。何より 自分の限界を〜知った
*痛み〜来るべきものが来た。すはおに頂こう
昭和54年(65歳)
*くるしみに耐えること、ことに他人に与える苦しみに。
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戦後の日本人の精神史に大きな新境地を開いた神谷美恵子さん。「神谷美恵子日記」、2002.1発行。1939年(25歳)から1979年(65歳)に至る40年の日記の一部が紹介されています。50歳を過ぎてからは、身体の不調に悩まされ、入退院を14回繰り返されたと。この日記が数々の名著を生み出した源泉だと思いました。解説の柳田邦男さんは、「生きがい」を探し続けた日記と称されています。先日は浦口真佐さんとの往復書簡集、今日は日記を読了しました。