紙の本
殺人事件をめぐる人間模様で経済摩擦のリアルを描いた話題作
2001/04/26 00:44
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投稿者:白木 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本企業ナカモトの超高層ビルで、美人モデルが殺害される。渉外担当官であるスミス警部補は、数々の日本人がらみの事件を解決してきたコナー警部とともに現場に急行。しかしナカモトの現場責任者は強硬に捜査を拒み、犯行時の現場が映っているはずの警備用ビデオテープは、何者かに持ち去られていた。
日米経済摩擦を、事件に関わる人間の生々しい衝突で描いた話題作。
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経済ネタや国民性ネタの方に気をとられてしまい、あたくしの中ではストーリーの存在感が小さくなってしまいました。
気合入れて読まないと内容についていけないかも(笑)映画は見ていませんが、おそらくショーン・コネリーが演じたであろう嘱託刑事の深い人間味が良いです。
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クライトンのジャパン・バッシングと呼ばれる作品。今回は筋よりもアメリカでの日本人ビジネス戦士たちを描いている。
私には書評ほどバッシングとは読めない。日本人はレイシスト(人種差別者)だとかいったところは的を射ていると思う。自らがその被害に遭っていると思う反面、自らも国内では進んでそういった行動をとると思う。さりげなくガイジンを排除する雰囲気があるという程度だが、確かにレイシストと感じるだろう。
日本人の描き方がビジネス戦士過ぎるが、それは外国まで行ってる日本人を見るからかもしれない(このフレーズは私自身が海外で働く日本人をレイシストしているのかな?)。総じて言えば、あまりおもしろくなかったってことかな。
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もう何度も書いたけど、私はクライトンのファンである。SFモノは当然として、医療モノやサスペンス調のもの、インナートラベルズも好きだ。
このライジングサンは、バブル景気の頃、日米経済摩擦と言われた頃の米国での日本企業の振る舞いの話でもある。
実は本書を読んだのは初めてだけれども、映画のビデオは一部観たことがあった。それは会社の英語研修の「Cross Cultural Comunications(CCC)」クラスで観たのだった。残念ながら、ほんの一部分で、それもあまり面白いシーンではなかった。
でもこの本を読んで、如何にクライトンが日本と日本人について、当時理解が深かったのかよくわかった気がした。当時、内容が日本バッシングとか話題になっていたが、日本に対する悪意は全く感じられない。
CCCで相互の違いを正しく認識する題材として、日本人にも、米国人にも役に立つ内容だと思う。
さらにあれから20年が過ぎ、今や日本は当時の米国のような落ちぶれぶりなのかもしれない。復活のためには、AppleやGoogleに学ぶべきなのか、それとも中国に学ぶべきなのか?
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図書館のリサイクル市でもらってきた本。村上春樹の小説にも名前がチラッと出てきて気になっていた。でもしばらくは、本棚で眠っていた。先日、クライトン氏が亡くなったという記事を新聞で見つけ、ちょっと読んでみようという気になった。一気に引き込まれた。経済の話が多く、疲れるところもあるし、少し話題が古くなっていると感じることもあるけれど、とても楽しめました。こんなことならもっと早く読んでおけばよかった。後半、人がいとも簡単に死んでいくのは、「ジュラシックパーク」と同じなのかと思ったりもしましたが、もちろん、ストーリーは全く違います。ミステリーとしての骨組みはもちろんおもしろいのだけど、日本人に対する見方を読んでいくだけでも楽しめました。外国の小説はどうしても登場人物の名前が覚えらず苦労するのですが、最初に人物紹介が載っているのにはずいぶんと助けられました。
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バブル弾ける前の日本全体がヒャッハーな時代に書かれた作品。今から思うと、こんな時代が本当にあったとは信じ難いくらい。作者の日本評はなかなか鋭いが、陰謀的なところとか先進技術のあたりはちょっと買いかぶりすぎという気もする。今の時代、これをアジアのどっかの国に置き換えられるんじゃないかというのは大きな声では言えない。
そういうところを抜いても、ミステリーとして十分面白い。
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「ホームランを狙うアメリカ人と、ヒットを稼ぎカイゼンする日本人」と、評するように、殺人事件を解決するミステリより、当時の日本人論が面白い。
”Japan as No.1"と言われた頃、「不思議な国」というイメージからは脱出したものの、まだまだ未知の国民の感がぬぐえない。あれから変わってきた日本人像もあれば、全く変化のない点も少なくない。ソ連や中国とは違っているものの、欧米の枠では捉えられない違和感なのでしょうか。同じような民主主義なのにどこか違う日本主義みたいなものでしょうか。それは、私たちがアメリカ人に対する感覚の裏返しなのかもしれない。
そして、失われた日本の数十年を経て、もし本書の続編ができたら、マイクル・クライトンは、日本をなんと語るだろうか。日本らしさは、いまでも称賛続けるのだろうか。それとも、あくまで不可思議なままか。