紙の本
戦後生まれで初めて芥川賞を受賞した中上健次氏の傑作です!
2020/06/24 09:11
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、1976年に『岬』で第74回芥川賞を受賞し、戦後生まれで初めての芥川賞作家となったことで有名な中上健次氏の作品です。中上氏はそれ以降も『枯木灘』や『千年の愉楽』、『奇蹟』などの名作を残されました。同書の内容は、和歌山県・新宮の土地の再開発によって「路地」が消滅してしまうというところから物語は始まります。ツヨシ、田中さんら4人の若衆は、居住地を失った信心深い7人のオバたちを改造した大型冷凍トレーラーの荷台に乗せて伊勢神宮を皮切りにした聖地巡礼の旅に出ます。道中、ツヨシ、田中さんは一宮で出会った売春婦タエコ、雄琴のトルコ嬢で4つの乳房をもつララと享楽的な性にふけります。一行は遂に終着地の東京の皇居にたどり着くのですが、そこでオバらは忽然と姿を消してしまいます。 一体、どうしたというのでしょうか?続きは、ぜひ、同書をお読みください。
紙の本
聖愚者たち
2013/02/26 21:00
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ソレイケ - この投稿者のレビュー一覧を見る
生まれ育った「路地」(被差別部落であろう)を再開発による立ち退きで追いたてられた老婆7人を、若者4人が、改造した冷凍トレーラーに乗せて日本中を旅するというロードノベル。その旅は老婆たちにとっては伊勢、諏訪、出羽、恐山などを経て、皇居へ到る巡礼の旅であるが、若者は若者で各地で勝手に女を捕まえたりして面白可笑しく旅を続ける。そして一方でこの旅は「帰る」ということを初めから想定していない、終わることのない放浪、漂流でもあり、その点がその出自と併せて、登場人物たちの奔放さに一抹の哀愁を与えている。若者らもそうだが、特に老婆たちはこの上なく無学であり、愚かであり、世知というものも持ち合わせておらず、その分(陳腐な表現だが)純真であって、一種の「聖愚者」として描かれているように思われる。
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これは危険。
ぞっとするほど虚しく先が見えなくなったり、わけもわからず幸福な気持ちになったり。
中上作品でこれが一番しんどかった。
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いやー、まず、読みにくかった(笑
こんなこと書いちゃ推薦者に失礼かもしれないけど、まぁ、それも感想、ということでできるだけストレートに書きます。あしからず。
概要は、盗んだ冷凍トラックとワゴン車で、路地裏で暮らすばーさん7人と若者4人くらい?(ここがよくわからんかったんだよな)が、日本中の霊場巡るお話。で、あってると思う(笑
が、読みにくかった(二回目
この本、基本会話が方言なんですよ。
紀伊半島の方言から始まり、名古屋、長野、東北と回って東京にたどり着くんですが、その間の会話が、その地域ごとの方言で書かれるもんだから、何を言ってるんだか、たぶん3割くらいしか理解できなかった(笑
なので、話の内容も、多分こうだろうな、と予想しながら読むしかなくて、小説読んでるのにひたすら読解力を試されてるような感じでした。まず、誰に話しかけてるのかわからない。そして、疑問文なのか言い投げてるのかがわからない。加えて登場人物のばーさんは、全員カタカナ五文字で○○ノオバ、若者も全員基本カタカナ(なぜか田中さんだけは田中さんだった)。しかも呼びかける時、「オバよ」「アニよ」と呼ぶもんだから、何をさしてるのか理解するのにまず時間がかかった。若者はちょいちょい入れ替わるし。気づいたら増えてるし。減ってるし。
でもね、さすがに推薦図書なんですよ。
最初読み始めた時は本当に読みにくくて泣きそうになりながら、それでも全部読もうとちょっとずつ(30分で20ページくらいしか進まなかった)読んでたんだけど。クセになる、ってこういうことなんだろうな、半分をすぎたあたりから読むのが止められなくなり、最後の方は歩きながら読んでました。あんなに読むの嫌だったのに。
がしかしこれ感想難しいな。上でも書きましたが、多分僕、内容理解できてない(笑
けど、とてもいい本だったことは間違いないです。最後東京で終わった時の清々しさと言い知れぬ寂しさは、読み終わって一日経ったけどまだなんか残ってますよね。万人受けする本ではないと思います。ぼくもたぶん、推薦図書じゃなかったら読まないです(笑
なので、評価はあえてしません。出来ないですね。なんかこんな中途半端にしか理解してなくて星つけるのは、作品に対して失礼な気がする。そんな敬意を払いたくなる本でした。
あと、そんなわけで心に残ったフレーズはちょっと読み出せないです。なので、この本を読む上でのキーワードを二つ、挙げておきます。
「路地裏」「オカイサン」
読まれる方は、この二つの単語の周りに何が書かれているか、感じながら読んで見てくださいな。
最後に
この本は、性描写がかなりのページを割いて書かれています。それも、甘ったるいベッドシーンではなく、基本買春関係で。暴力表現はありませんが、中学生には早いかな。高校生でも、ちゃんと読みきれるやつにしかオススメしたくないですね。
がしかし、これ推薦した人、何でこの本を読もうと思ったのかを聞きたいですね。何度も言いますが、多分僕は、読まないです(笑
そしてやっぱり僕のレビューは、長くなる(笑
(おつ)
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路地から冷凍トラックの荷台という空飛ぶ乗り物で飛び立った7人の老婆(オバ)と、それを運転する4人の若衆による巡礼のロードムービー。
自分からはかけ離れた異世界における倫理や死生観のように感じる一方で、おそらく同国人だからこそ僕の感情に直に触れてくるように共感が呼び覚まされざるをえない、という路地ものあの感覚は、路地と外界の境界が接触し続ける本作では、より一層色濃く感じられる気がする。
馴染み深すぎてもはや嫌いなくらいな感覚だったはずなのに、その空気感に包まれたときに心の奥底ではいつのまにか安心を感じていることに気がついてハッとする。
そして物語の時代がETが公開された頃であるという「近さ」になぜか衝撃を受けた。
冷凍トラックの荷台から7人の老婆がわらわらと出てくるイメージは滑稽でグロテスク。
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中上健次版・ロードムービー。
熊野を離れ、伊勢や東北、そしてゴール(?)は東京の皇居。
改造した冷凍トラックの荷台に7人もの老婆が乗っている、という妙にシュールな設定と、実在の地名との対比が面白かった。
中上健次におけるフォークナーの影響はあちこちで論じられているが、今まで読んだ中ではこれが一番フォークナーっぽい気がする。
(それにしても、こんなところで「雄琴」の地名を目にするとは)
(これが書かれた当時から有名やったんか……)
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携帯もなく、Nシステムもなく、駅の自動改札もなく、ソープがトルコだった昭和50年代を舞台にした神話のような小説。熊野の被差別部落の老婆達を盗難車の冷凍トレーラーに乗せて、路地の若衆が伊勢・一宮・諏訪・唐橋・青森・東京を巡る旅に出る。老婆たちは、行く先々の土地でトレーラーを駐車する場所を「路地」にしていき、若衆は女を漁る。特定の主人公がいるわけではなく、常に物語の中心にあるのは冷凍トレーラー。面白かった。
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役名:ツヨシ
婆さん何人もトレーラーに乗せて熊野から東京まで行く話。
熊野の神のように神々しく荒々しく美しい男。
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盗んだ冷凍トレーラーで七人の老婆を載せ全国の霊場を巡るロードノベル。こう書くと何が何だかわからないが読んでも何が何だか何だか分からない。しかしほかの中上作品と同様言い知れぬ迫力と熱量は備わっている。
根底にあるのは「路地」すなわち被差別部落の紀州に土着したサーガであるが、そこを流離し流浪し性と暴力を伴いながら根無し草のように振る舞う。オバたちの神仏に献身する姿と傍若無人な振る舞いの対比が印象的だ。世俗を超越した存在のようで姿かたちは極めて俗物的なオバらを、享楽を追い求めるツヨシと田中さんが導くさまが本作品の複雑性を織り成している。
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中上はまだそれほどたくさん読んでいるわけじゃないけれども、これは今まで読んだなかではいちばん面白かった。就活の合間合間に読んだから細部をしっかりおぼえてないのだが、冷凍トレーラーは重要な役割をもっていたように思う。聖と俗が常に一体となって描かれていた。老婆らはとにかくグロテスクだったが、最後は妙な寂しさのようなものが残った。
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素晴らしいの一言。
『地の果て 至上の時』で完結したかに思われた“路地”が、なんと移動を始めた。
移動に使う冷凍トレーラーの比喩となる表題も見事。
神的なもの(静)と迸る性(動)の混合、外から映る“路地”の異様さと、中上の当時表現したかったものやアドバンスが強く感じられた。
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「路地」と呼んでいる被差別部落を立退でおわれ、7人の老婆と若者が改造した冷凍トレーラーに乗って、伊勢、諏訪、出羽、恐山、皇居と御詠歌を歌いながら旅をする。老婆たちは神々と出会い近づこうとし、一方で若者たちは性の享楽にのめり込む。中上作品は3冊目ですが、否応なく文体から五感を刺激し、老婆らの感じる音や匂いなどを共有する錯覚に陥る。「路地」へは二度と戻れない。冷凍トレーラーに身を預け、新たな「路地」を見つけるのか、「路地」から脱却するのか・・・。『讃歌』という続編があるようで早速注文しました。