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14/12/03。
14/12/23読了。行と方便の実践のための書。
できるところから取り組んでみよう。
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帯裏
●仏教は「こうすればいいよ」という実際の指針を持っている
●心を落ち着かせなければ真実を見ることはできない
●「心は自分ではない」
●問題は「怒りそのもの」がもたらす害
●自意識を小さくする行の力
●現象学と仏教
●ご本尊と呼吸を合わせる
●真言を唱える
●慈悲とは東洋の「愛」である
・本書は『PHPスペシャル』2013年2月号~2014年6月号連載分に、大幅に加筆・修正を行い、再編集して刊行するものです。
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偶然手にした本だったが思ったより深い内容だと思った。
タイトルの、”どうせ死ぬのに・・・”と文中の内容がチョット違うと思ったが仏教のこと、行のこと、瞑想のことetcは参考になった。
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タイトルのとおりの悩み、不安をかかえた人に、心晴れやかに生きる方法として仏教の行と瞑想そして方便を示し、日常的に取り組めそうな具体的内容が紹介されている。無心に眼鏡を拭く、呼吸を数える瞑想、相手の成長を願う対応など、仏教の教義とは関連付けなくても参考になる。
あくまで個人的には、このタイトルの悩みが普遍的とは思えず、限りあるからこそ今できるお役にたつことをしないでいることに後悔を感じそうと捉えているので、この本で紹介されている取り組みが自分にとって必要とは思わなかったが、悩みを抱えた方にとっては福音かもしれない。
15-9
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生きる理由に答えが出ないままメメントモリするより掃除したり身体動かす方がいいよって部分はほんとにそう思う。
カード不揃いでもなんとかやってやるくらいの腹づもりの人の方が圧倒的に強いし健康です。
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これから読み始めるのだけど
このタイトルは、私の人生のほとんどを占めてる疑問そのままなので、読むのが楽しみ。
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人に見られたら心配されそうなタイトルですが、暗い話ではありません。
仏教を哲学ととらえるとすれば、普通の思想・哲学と違うのは、実践を伴うところ。本で読めるのは「思想」ばかりになりがちな中、「実践」に重きを置いている面白い本でした。精神科医の視点から、専門用語を多用せずさっぱり説明されていて新鮮です。仏教学の先生が「(語弊がありそうだけれど、という前置きして)心をマイナスから0にしてくれるのが心理学、さらにプラスまでもっていけるのが仏教」と自信を持っておっしゃっていた。まだまだ勉強不足ではありますが、人間は本来善なるものだという認識で、すごく根明なのがどうやら仏教みたいです。信じられたらそれはもう、心強いはず。
瞑想は興味があるけれどなかなか難しい。坐禅は眠っちゃいそうだなぁと思っていたら、「何にも考えない」だけが瞑想じゃないんですね。こちらで取り上げられているのは真言宗がメイン。日本にはいろいろな宗派があるので、誰でもどれか合う方法があるんだろうなぁと思います。
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慈悲の悲
相手と自分とは「違う」ということ前提とした上で、相手の心の動きに感応するというのが「悲」
「人には計り知れない可能性がある」と信じることが「敬意」
自分の明るさと爽やかさが基準になる
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タイトル買いをしたので、こんながっつり仏教だとは思わなかったんですが、前半は心にすっと入ってくるものがありました。
この問いの答え。
それは簡単に手にできるものじゃなくて、理論的に説明されても十分な答えとは言えない。
人の言動の根本にあるものとか、そもそも論とか、興味深い部分も多かったです。
どうせ死ぬのになぜ生きるのか。
今の私に答えはわからない。
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タイトルだけ見ると、哲学的な思索を綴ったものかと思うが、そうではなく、非常に実践的な「仏教生活入門書」。釈徹宗先生の本に「いきなりはじめる仏教生活」というのがあるが、さらに平易にまず「いきなり」日々の「行」から始めようという提案がされている。仏教的知見を体感から取り入れようということで、わかりやすく面白い。
名越先生が言うように、わたしたちは、何か始めようかという時にどうしても、これにはどんな意味があるかとか、これをするとどんないいことがあるかとか考えてしまう。そうではなく、あれこれ考えず、まずちょっとした「行」をしようというところから始まる。本当にちょっとしたことでいい、ただし、緊張感をもって真剣に。これはリラックスするためのものではなく、自分の心を整えて「晴れやかに落ち着いて生きる」ことを目指したものです、と。
ここでまず、ぐっと惹きつけられる。そうなんだよねえ。テンション高くパワーあふれる暮らしをしたいとは思わない。隠遁者みたいにしんねりと斜に構えたくもない。「晴れやか」で「落ち着いた」心でいられたらなあ。前々から、それには仏教の知恵が有効なのではないかと思いつつ、じゃあ具体的にどうすればいいのかよくわからないなあと思ってきたのだ。ここでは非常に具体的に、とっかかりが示されている。ズボラなわたしは「やってみようかな?ま、明日から」とか言って、結局やらなかったりしそうだけど。
順を追って丁寧に、あまり難しい話に深入りせず、生きていく上での心構えまでが語られている。なんとなく知っていたり、感じていたことがわかりやすく整理されていて、腑に落ちるくだりがあちこちにあった。
・わたしたちは「自分の心」と「自分自身」を同一視している。そこから不安や苦しみが生まれる。お釈迦様は〈「あなたの心」は「あなた」ではないよ〉ということを説いたのです。
・現象学は「人間は生の現実には絶対に触れることができない」という洞察に基づいている。仏教というのは「現象学的な物の見方」を自分の手に受け止め、それを実践していくための方法論という捉え方ができる。
・「般若心経」は書かれた内容としても深い洞察に満ちています。しかしそれだけでなく、何度も読経することによって深い瞑想に入るための「実践書」として、古来より使われてきたものではないかと僕は捉えています。
・「欲から自由になる」ということは「欲を持たない」ということではない。
・人間が抱える悩みや苦しみを払うための方法として行や瞑想を行うのは、初期仏教も大乗仏教も変わりません。しかしその課程で自分たちの仲間を救い、世界をよりよいものにしていくことが悟りの王道であるということを、大乗仏教ははっきりと示しているのです。
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日常の中で行える「行」を中心にした仏教入門。読みやすいがしっかりした実践に基づく記述で説得力がある。
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この著者でこのタイトルなら、迷わず買う一冊。
ただし、名越康文さんの著書を買うのは初めて。
もともとこの著者に興味を持ったのは、「殺し屋1」の作者 山本英夫が主人公の心理状態が分からなくなり相談に行った精神科医が彼であったから。
そのエピソードを聞いてから、生理的に嫌いだったその漫画を読むに至った。
「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」
そのタイトルに、明確な回答が書かれている訳ではない。
心穏やかに生きるためのヒントとして、仏教の勧めが書かれている。
行や瞑想といったものを、生活に取り入れるための入門書といった趣き。
この本の中で、私の体験として似た感覚を発見。
歩く瞑想として紹介されている、呼吸の観察や身体の実況中継。
それは、空手の突きや蹴りの基本動作の稽古で体験している。
体を動かしながらリラックスし、自分との対話の時間であった。
さらに難度の高い武器術の型稽古では、より対話度が深かったと記憶している。
最近は稽古から離れて久しいが、また取り入れたいと思う。
この行に留まらず、取り入れ方の紹介は続く。
気付かなければならない心の動きを、改めて教えてくれた一冊。
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人間が生きる上で不安はつきもの。
お金、人間関係、社会的な地位等、気にかけだすと人間の営み全てが不安や苦しみを生む元凶になってしまう。
これらの苦しみや悩みの根源には、自らがいつか必ず死んでしまうという事実があると著者は述べる。この事実を突き詰める中で、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いが生まれてくるが、この問いにはどのような哲学や人間の理性をもってしても明確な答えを出すことが出来ない。
そのため、どうせ死ぬのに・・・という疑問に答えを出すには、日常において理論ではなく実践的に行動していかなければならない。その方法として、本著では仏教の教えに基づきながら、「行」、「瞑想」、「方便」という三つの方法論を用いて究極的な問いに答えようと試みている。
しかし、どれだけ仏教の教えに基づいて、明るく前向きな心の平穏を得ようとも、死ぬ直前には死にたくないと嘆くだろうし、死への恐怖は根源的な不安として依然残り続けると感じた。
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「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」まさしく自分が考えていた問いで(中二病のようだが笑)、その答えが得られるとは思わないまでもそのヒントは得られるんじゃないか…とは思って読み始めたのが本書。結論としてはその答えは得られない。ヒントらしきものも(少なくとも自分には)見つからなかった。けれどもだからと言ってこの本は読む価値がないかと言われるとそんなことはない。先の問いに関して言えば、そもそもその答えは「言葉」として表現できるものではない。だから言葉を超えたところでそれを体得していこうとするものが本書の基本姿勢だと言えるだろう。
本書のタイトルにもなっている問い自体は摑みどころのないものだが、紹介されている様々な実践方法は具体的だ。姿勢を良くする、怒りを見つめる、瞑想する。こういった行動は心がけ一つですぐにでも実践できることだし、それで心と体が一致してくればきっと何か救われた気分になれるに違いない。
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題名に対する明確な答えは書かれていませんが、読者個人でそれを見つけるためには、少なくとも心が穏やかでなければならない。
その手段として「行」がある、ということだと思いました。
答えをすぐに期待してしまうあたり、僕は浅はかだなぁとも思います。
朝に明るい気持ちに高めていくと、その後1日が穏やかに進むというのは、よく理解できます。
逆に朝から暗いままで、1日を棒に振ることもしばしば…。
掃除などの「行」で気持ちを整えられればと思う、雑然とした我が部屋なのでした。
仕事でも空き時間ができたら、少し掃除してみようかなとも思いました。
少なくとも取り組んでいる間は、様々な懸案や心配事から解放されそうです。
すでに取り組んでいる方も、もしかしたらそう思っていたりして?
先日仕事で、「ゆっくり話すと気持ちが落ち着くのです」という教えを受けました。
直後が僕の発表で、「いま、ゆっくり話すと…といわれたので、僕もゆっくり話して緊張を和らげます」などと前置きを入れてみたのですが、確かにいつもよりは落ち着いた気がしました。
本書の中にも、丁寧に行動するということが書かれていて、ああいうことなのかもとも思いました。
まずはゆっくり動くことからですかね。