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エクスタシーという言葉は、今ではセックスと麻薬ぐらいにしか使われない。それを神学にあてはめるという神をも恐れぬ暴挙…ではない。だって神とつながり、自分の外に立つことがエクスタシーなのだから。
僕らがよく知るザビエルの肖像画。それはエクスタシーの画である、そうだ。そう見えてくる。
聖なるものと性なるものはとけあうのだ。同じなんだ。
もっとも美しいエクスタシーはほとんど必然的に宗教的な形態をとる、というとピンと来ないかもしれないが、宗教が生の躍動をもたらし、その帰結であると考えれば極めて自然だ。
けれどエクスタシーを個々でバンバン感じられては教会も商売上がったり、なわけだ。そうしてエクスタシー、というか神秘主義はときに弾圧される。なんたる不自由。キリスト教は理性と感情のはざまを揺れ動く振り子のようだ、という。
現代日本でなら、そんなふうに気楽にもいえるが、しかしヨーロッパというのはそういうものでできているわけだ。
遠い、遠いなあ。