紙の本
恋の研究対象
2021/01/17 23:42
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公・藤井の突拍子もない行動は、純愛なのか一方的なストーカー行為なのか判断が分かれるところでしょう。男女の揺れ動く心だけは、如何なる学問でも解き明かせそうもありません。
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え、え、え!?
コメントが思い付かないくらい、どうしようもなくつまらなかった。
でもきっと恋愛ってこんなもん。
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初めて読んだ小谷野敦の小説。表題作は、とてもよかった。ぼくの書く方法と似ている。ぼくの方法と似ていることがよかったわけではないけれど。
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悲望:うーん。恋のパワーだ。中心軸のところは興味深かった。
なんとなく、リベラル:日本のアカデミズムの小さいこと。
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何がセクハラで何がセクハラでないか、というのは
パワハラとの複合を前提にしない限り
結局は個人の主観的判断にもとづくのであって
極端なことを言えば
恋愛に関するあらゆる言説は、セクハラ認定しうるものなんである
それはまあ仕方のないことだろう
どうやっても苦痛にしかならない組み合わせというものは
悲しいかな存在する
しかしそこで、セクハラ忌避と恋愛願望を合致させようとするあまり
潔癖症になってしまっては
さびしい人生が待っているばかりだぞよ
といった主張が、これらの小説には見え隠れしてあり
それは確かに一面、真理なのだけど
だからってもちろんストーカー行為は正当化されえないし
またそれによって与えられた(かもしれない)PTSDが
癒されることもないのだった
「なんとなく、リベラル」
高等遊民的な立場の人が自由主義を支持することに
欺瞞がないとはいえない
それはつまり
自分がその立場から引きずり下ろされる心配はないという確信に
もとづいた考えだから、なんだけど
社会全体が豊かなら、それもなんとなく許されるだろう
しかし同時に、この豊かな世の中で
それに迎合できない人々も確かに存在するのであった
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どちらも面白かった。
「悲望」はストーカー小説。相手の否定的な反応を何だかんだと見過ごし少しでも肯定的な反応はどんどんポジティブに解釈し、ときには経験の浅さゆえの失策が混じりながらしつこく大胆に迫っていくさまが率直かつ自虐的に語られる。ぞくぞくするような気持ち悪さと軽快さで読んでいて笑ってしまうほど。
「なんとなく、リベラル」は、逆に「著者はこういう女性が好きだけど複雑な思いを抱いているのかな」と勘ぐってしまうような女性が主人公になっている。リベラルだけど恵まれた環境から物を言っている、かといって苦しんでいないわけでもないという女性の、リアルだが嫌味ったらしい描き方がこれまたたまらない。
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雑誌に載ったときに雑誌室で読んだのだが、なんかいてもたってもいられない気分になった。
あらためて読みなおしてみてやはりひどい。
まあ小谷野先生はなんというか評論家としての作家としても、「本当のこと」を知りたいし書きたい人なんよなあ。