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紀野一義著「生きるのが下手な人たちへ」PHP文庫(2003)
* 明日新でも悔いがないように、今日を生き切らねばならない。今日を良い加減に生きておいては、明日死ぬとき死んでも死に切れないのである。今日を最高に生きているかどうかは再三再四問わねばならぬことである。
* 「澄む」ということは大切である。妻だから、子供だから、という甘ったれた根性を捨ててしまうことである。わが子に限ってとか、夫に限ってとかいった、思い上がった独りよがりな人間臭い捉われを、どこかで放り出して、謙虚に生かされているという思いを深くすることである。
* 目に見えるものより、目に見えないものをしっかりと見つめて生きる。その生き方に徹すると、不思議にも思わぬところから救いが来たりする。
* 人生をうまく立ち回り、名声と富を手にする人間は、とたんに目に見えないもののことを忘れてしまう。そういう人間は、目に見える僅かな世界をくるくる回っているだけである。
* 人間はまわりの人々を支え、多くの人々の支えとなったときから、自分の命の周りに光の環を持つようになる。
* 女性とは、男性にとって古里のようなものである。女性の中にはマリアがあり、観音がある。そこにまた男の夢と安らぎがある。真に優しく、深く、温かに、限りない愛に生きている女性は、そのまま光の環である。その中で男性は、理想に燃え、理法にいかされ、きびしく、激しく、強く生きることができるようになる。
* かなしみというものは、いつでも悲しいというものではない。うれしいけれどもかなしい、かなしいほど美しい、かなしいほど突き通っているという性格がある。
* 祈るということは、愛するということである。