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紙の本
深情けという名の厄災
2007/11/11 19:37
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hamushi - この投稿者のレビュー一覧を見る
鳩村作品の魅力は、なんといっても誠実かつ素朴な人生観を持つ主人公たちと、彼らの仕事に対する、どこか泥臭く感じるほどの真摯な姿勢なのですが、この作品は、遊び人とワガママ人気俳優という、いかにもチャラチャラした取り合わせだということで、いままでなかなか手が伸びませんでした。
でも既刊の鳩村作品は全部読んでしまったし、「映画館で逢いましょう」のスピンオフ作品的な内容であるという情報もあり、やっぱり読んでみたくなって、今回購入しました。
主人公の舜太郎は、あらすじで紹介されていた通りの遊び人ではありますが、映画配給会社の宣伝という自分の仕事を大切にしながら、成長のための努力を怠ることのない面も持っています。その理由は、昔見た映画のなかで、「運命の女」とも思える女優と出会ったからで、映画史上から忽然と姿を消したその女優への真摯な思いが、仕事への情熱の根幹となっています。
可愛い男をひっかけて、おいしいところだけ味わうような恋愛を楽しみつつ、仕事には本気で情熱を燃やす……そんな舜太郎は、かつて猛烈アタックした挙げ句に失恋した、エリーという俳優の来日中の「お守り役」を引き受けたことで、人生の一大転機を迎えることになります。
ファンや尊敬する相手には真心を尽くすけれど、自分の周囲を固めるスタッフに対しては勝手気ままな小暴君のようにふるまうエリーは、来日直後の行動がゴシップとして流れたと聞かされた途端、ホテルのバスルームに籠城してしまいます。
エリーに付き添ってきた鍼灸師のケントは、舜太郎に、エリーはバスルームのなかを花だらけにして、「私のお気に入り(My favorite things)」という曲を口ずさむことで、傷ついた神経を癒そうとする習慣があるのだと伝えます。舜太郎はケントに促され、天の岩戸の如きバスルームのドアの前で映画「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌として有名なその曲を歌うのですが、声に引かれるようにしてドアをあけたエリーは、思わず知らずというように、ある男の名前をつぶやきます。映画界の重鎮とも言うべきその男は、エリーを心ないやり方で捨てた元彼であり、エリーが傷ついているのは、その男の結婚式の招待メッセージが届いたからだったのでした。
高飛車でワガママなお姫様(男ですが)のように振る舞うエリーは、実は優しすぎる一途な心ゆえに、ひどく傷つきやすい内面をもち、それゆえに過剰に自己防衛して他人を遠ざける習癖がある青年でした。
若いころの舜太郎は、そうしたエリーの内面に気づかず、支える力も持たなかったため、エリーに選ばれなかったのですが、その手ひどい失恋のあと、彼なりに人生を積み重ね、人の心のひだを理解して受け止めるだけの度量も身につけてきています。
元彼に人生を捧げても悔いないほどの真心を抱いていたにも関わらず、理解されずに踏みにじられたエリーの深い心の痛みを知り、その愛すべき純粋さや一途さが、自分にとってもかけがえのないものであると悟った舜太郎は、その時点で軽薄な遊び人の看板をきっぱりと下ろし、自らの人生にとって最も大切なものを手に入れて守るために、いかにも鳩村作品の主役らしいヒーローとなるべく、モードをシフトさせます。舜太郎の誠実な思いを受け止め、人間的な魅力にも引かれたエリーも、甚大な深情けのすべてを舜太郎に向け、要するに相思相愛の状態が成立するのですが、舜太郎の仕事への情熱を支える夢と、エリーの元彼の存在が、思いがけないところで絡み合い、二人はあっけなく引き裂かれてしまいます……。
蛇足ですが、作中ではエリーを捨てた元彼のアンドリューがユダヤ系アメリカ人であること、アンドリューの一族のような東欧からのユダヤ系移民がハリウッドを作り上げたこと、ユダヤ系民族の家庭での結束の強さや排他性などが語られていて、興味深く思いました。
ユダヤ系アメリカ人の「日常」については、米谷ふみ子の芥川賞受賞作である「過越しの祭」(岩波現代文庫)を読むことで、私は初めて知りました。米谷氏はユダヤ系アメリカ人男性と結婚した関西人女性であり、作家であり、重度自閉症児の母親でもあるという、おそろしく稀有な状況にある方ですが、「過越しの祭」では、アメリカとユダヤという、二つの異文化の高波に翻弄され、その波に飲まれそうになりながらも結局は鮮やかに乗りこなし、自らを見失うことなく子育てを続ける女性の姿が描かれています。それはともかく、ユダヤ系の家族のなかの独特の閉鎖性、排他性は、重度自閉症児を抱えて生きる現代日本の専業主婦の暮らしの閉塞性を、ある意味凌駕するものがあり、読後、「こりゃ大変だなあ」と思ったものでした。
アンドリューがエリーを捨てた理由の一つが、成功したユダヤ系アメリカ人として一族の期待に応えるために、女性と結婚して家族を作るためであったことと、そうしたドメスティックなプレッシャーを抱えて苦悩するアンドリューの真実の姿を、エリーは全て理解した上で、たとえ自分の夢を捨ててアンドリューのために生きることになっても構わないと決意していたのですが、その思いはアンドリューに届くことはなく、無神経にも結婚式に招待することまでしています。その表面的な経緯だけ見ていると、アンドリューの傲慢さや身勝手さばかり際だってしまい、底の浅いつまらない人間のように思われてしまいますが、アンドリューの背景にあるものが簡単ながらも説明されていることで、エリーの思いにいくらか釣り合う深みを持つ存在として、読後の心に残りました。でもエリーが命を削るほど苦しんでいるにもかかわらず、愛を無視した功利的な関係を続けようとしてさらに追いつめたことについては同情の余地がないので、そのうち落ちぶれてほしいと思いました。
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