紙の本
淡々と日常が語られるなかに明治の東京の町が自然に浮かんでくる。
2023/10/28 16:05
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投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
脳科学者・茂木健一郎さんが、著書『頭は「本の読み方」で磨かれる』の中で、大きく推薦していた夏目漱石の随筆集。
淡々と日常が語られるなかに明治の東京の町が自然に浮かんでくる。
中でも、入院中に亡くなってしまった楠緒さんとのエピソードは、「一期一会」という言葉が浮かび考えされられた。
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表紙のあるものが、新潮とこれしか見当たらなかったが、私が読んだものは岩波であったように思う。
私はこの作家の書くものがなべて好きだ。
胃弱で、おそらく心痛から意を痛めたと推察される彼は、おそらくあの時代を集約した「近代人」のはしであり、それを文筆と言う形で表に現した数少ない人物の一人だった。
或いは、江戸を引きずり、或いは日本を否定し、或いは困惑のうちに影響を整理しきれず、西洋と日本を周知した上で、自己分析までをなして見せ、東洋を失わなかった彼の、その視線の鋭さと優しさに時折感嘆する。
私は彼の著作が好きだ。
彼の書くものは、ひかりもやみも含めて、とてもやさしい。
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夏目漱石のエッセイ。
夏目漱石ってかたい人だと思っていたけど、実はすごく素敵なひとだったんだと感じた作品☺
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夏目漱石の書いた自叙伝的エッセイ集。短編の集まりになっているので、ちょびちょび読めます。忙しい人には「つまらない」とわざわざ断ってはありますが、その冒頭部が既に忙しさへの警句になっているように感じられたりもします。
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『硝子戸の中』は漱石が風邪のため家でのんびりしていたころに書いた自身の回想録。硝子戸によって部屋の中と社会とを別空間として扱っている意味でのタイトルになる。解説の部分には難しいことが書いてありましたが、私は漱石のブログだと思って読みましたヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
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生きるということを人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差支えないでしょう。しかし美しいものや気高いものを一義において人間を評価すれば、問題が違ってくるかもしれません。
不愉快に満ちた人生をともとも辿りつつある私は、自分がいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。そうして死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。
もし世の中に全知全能の神があるならが、私はその神の前にひざまずいて、私に豪髪の疑いを挟む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめんことを祈る。
私の瞑想はいつまでも座っていても結晶しなかった。
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【内容】
常に書斎のガラス戸の中に座し、静かに人生を思い社会を観察した著者の小品集。
余り多く自己の周囲を語らなかった著者がほとんど初めてここに自己の周囲を回想し観察し、その姿を赤裸々に描写した。
中には著者の哲学と人格とが深く織り込まれているが、軽妙、洒脱、絢爛な筆致も特筆すべきものである。
自己を語ることに寡黙であった漱石が「自分以外にあまり関係のない詰らぬ」事を書くとことわって書いた連作エッセー。
記憶の底に沈んでいる体験や回想に光をあてることで静謐にして一種不思議な明るさに充ちた表現世界を生み出している。
図書情報参照元:
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt_docid=NCID%3ABN04568762
青空文庫:
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card760.html
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20100323
古本屋で読む者がないとき用に購入。
淡々としているけれど、ドキリとするような言葉がある。
夏目漱石は随筆も好き。楽しい。
やはり面白い人だったんだろうな。
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鎌倉市の図書館で手にした一冊。
***
自己を語ることに寡黙であった漱石が「自分以外にあまり関係のない詰らぬ」事を書くとことわって書いた連作エッセー。
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とあり、読まない訳にはいかないと考えた。朝日新聞の社員であった漱石。昨年ドラマで話題になった白洲次郎もかつては英字新聞の記者としてメディアに関わっていた。時代を拓くメディア経験者は何をみて何を感じとっていたのか。
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漱石の私生活にスポットを当てた作品。
随筆も素敵。品のあるおかしみがあってよい。
作者漱石は詰らないとことわっているが、面白く読めた。
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漱石の随筆を読むのは初めてだった…かな?
現在と過去、家族や知人の事や、ふとした風景などいろいろ描かれていて、人間漱石に触れるのには最適だったように思う。
文章は非常に読みやすいが、永井荷風や谷崎潤一郎を読んだ時のような文章に酔うといった感覚はえられなかったな。
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高校時代に祖母(故人)から貰った本
もともとは祖母の友人から祖母へ読んでみろ
と送られた本だったらしいのだか興味がなかった
らしく私に回ってきた
祖母が昔勤めていた地方の名前が出てくるらしいが私にはさっぱりわからなかった。
唯一現国の授業の時、夏目漱石の作品をいってみろと
先生に言われ、思いだしていったところが役にたったところ。
作品の中身の話で覚えているのは余所で死んだ猫を引き取りに来いと使いをやった家の主人は偉いと思う。
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1915年に東京朝日新聞と大阪朝日新聞に、全39回連載されたもののようだ。
随筆とでもいうべきものであろうか。
漱石の文章はたいへん読み易い。であるからこそ、頭の中にすらすらと文章だけが入り込んでしまい、その文章のもつ意味をりかいすることが疎かになってしまう。
私は漱石の文章を読むときにいつも感じることだ。
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自己を語ることに寡黙であったという漱石が朝日新聞に掲載したエッセー。
当時漱石は胃潰瘍をわずらっていたため、全体的に陰鬱なトーンに仕上がっている。
正岡子規の『病牀六尺』を思い出した。
大正の頃の文章の割にはさらっと読めるので、時代の色を感じるのにはとても良い。
富久町、喜久井町あたりの地名が頻出するのも個人的に馴染みがあったなw
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つまり、エッセイ集だと思えば良いのではないでしょうか。
夏目漱石というと、なんだか恐れ多いんですけれど。
僕はこの人の文章は、そこはかとなく乾いたユーモア、好きなんです。
面倒くさい人だなあ、とは思います。面倒くさいインテリのオッサン。
内容は、作家の日常ってやつですかね。
「こんな変な客が来たんだよね」
「実は僕の幼少時代にこんなことがあって」
「私の母親っていうのはこういう女性でして」
「俺、ちょっと変わってて。こんなことしちゃうんだよね」
というようなことを書き綴っているわけです。
僕は、なるほどナルホドと、肩もこらず読みやすく面白かったです。
時代風俗固有名詞、無論こと明治時代のことどものなんです。なんですけど、読みやすい。
それは、結局はヒトのお話だからでしょうね。
「こんな人のこんな無礼に怒った」
「こんな可哀想な人がいた」
「母って自分を愛していたんだろうか」
「友達と再会、いやあ、互いにオッサンになったもんだ」
「こんな犬、こんな猫を飼っていてね」
みたいなことなんです。
だから、一見、とりとめもない。
とりとめもないようでいて、実はちゃんと計算して書かれている。
タレントさんの「今日はこんなカレー食べた!うまかった!テレビ局なう」みたいなブログではないですから。
ちゃんと読み物になっている。
ただ、話題が自分のことである。自分のことだから事実である。ジジツであるからには、そんなに大したことはない。大したことはないから、気軽に読める。
具体的には。
●雑誌の記者なんかに写真を撮られる時に、笑ってくれって言われるのがどうにもイヤなんだよなあ。
という冒頭編から、漱石さんらしさ炸裂。
つまりは面倒くさいインテリなんです(笑)。
面倒くさいインテリが、なるたけ誠実に、なるたけ褒められて生きていきたいなあ、という。
●講演をしたけど、出席した人が「さっぱり面白くなかった」と言っていた。と、聞いて落ち込んだ。と、どこかに書いたら、別の人から「面白かったですよ」と慰めてもらった。
この講演話なんか、なんだか面倒な人柄が彷彿として、ほとんど落語のマクラ話みたいな爆笑モノ。
一方で、夏目漱石さんは結構、不幸な生まれ育ちなんですね。
養子に出されたり、両親のことを祖父母と言われて育ったり。
そんな生い立ちや、生家のこと。
まだまだ江戸時代の香りが残る江戸の暮らし。
そして複雑で面倒な家族に育ったんだから、まあ、面倒な男になってもしょうがないか…という若干の重さ。
ただ、それをまったくもって「俺ってかわいそうでしょ」という臭みを抜いて語り切る筆力技術は、やっぱりすごいなあ、と。
そして、僕にとっては白眉は
「他人に対する自分の態度について」みたいな内容の一章。
これはもう、とにかく人間関係っていうやつの泥沼の深み、他人と自分との距離感、さみしさ、救い、面倒さみたいなものを、
これまた実に淡々と語り���くしています。
夏目漱石さんの後期の小説を読んだことがある人なら、
「ああ、この人こんなこと考えてるから、あんな小説かけるんだよなあ」という。
でもそれも、実に面白い。
僕はどこかしらか、ユーモアを感じます。
好きなんですよねえ。漱石さん。
「極めてあやふやな自分の直覚というものを主位において、他人を判断したくなる。そうして私の直覚が当たったか当たらないか、要するに客観的事実によって、それを確かめる機会をもたない事が多い」
「私は凡ての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考える」
「今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れることが出来ないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている」
いやあ、面倒くさいオッサンですね。
これがユーモアがなかったら、読まないだろうなあ…僕も。