紙の本
正しい意味での「意外な歴史」
2016/04/04 09:25
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投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いまや常識として語られる「江戸時代は環境重視の循環型社会だった」という論説に、農業書を語りながら資料に基づいて異を唱えている。その他にも「田=コメ」と考えがちだが、稲わらや籾などの利用法やその依存度など、見逃しがちな視点を色々と気づかされた。歴史作家の「意外な歴史」とは異なる本当の意味での「逆説的な歴史」を教えてもらった気がする。思わぬ拾い物といった感じ。
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恵贈に与る。耕地面積がグングン伸びた「開発の17世紀」と、耕地も人口も頭打ちとなった18世紀とを切り分けて、それぞれに生じた問題を多面的に論じた好著。大開発の時代から停滞の時代へ、という流れは様々な教科書で指摘されているが、武井さんは停滞の要因を土地拡張の限界だけに求めない。むしろ、土地が開発され尽くしたことによって生じた問題(草山の枯渇、肥料多投型農業へのシフト、水害・土砂災害など)を直視する。江戸時代の本、農業史の本という枠を超えて、文明史を考える本として有益。
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<目次>
序章 江戸日本の持続可能性
第1章 コメを中心とした社会のしくみ
第2章 ヒトは水田から何を得ていたか
第3章 ヒトと生態系との調和を問う
第4章 資源としての藁・糠・籾
第5章 持続困難だった農業生産
第6章 水田リスク社会の幕開け
終章 水田リスクとその後の本書の総括
<内容>
大変丁寧な論証のされている本。あとがきを読むと、高校・大学生を読者にイメージされているようだが、ちょっと丁寧すぎるか。農書や『耕稼春秋』という絵による農書をベースに、江戸期は前半の開発期はまだよかったが、18世紀に入るともはや農業では経済が立ち行かなくなり、享保の改革による新田開発も限界で、里山(「草山」と表記されている)からの肥料や牛馬の餌を採取も困難となり(新田開発の対象となったから)、またそれは河川流域の野山を丸裸にしたため、治水にも破綻をきたす羽目になった。したがって、最近の江戸時代のイメージである「エコ時代」は間違っている、という。18世紀以降は、当時の技術では山を破壊し、人災に近い災害を多発させたことは否めない。しかし、ある意味、エコの時代(循環社会)であったことも否めないであろう。それは、科学的なものを使わずに生活をしてきたこと。無駄をなくす生活をしたこと(それをしないと、生活が成り立たなかった)。そんな部分も忘れてはならないと思う。
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本書のテーマは明快である。江戸時代ははたして循環型社会であったのか? 著者は加賀藩の例など豊富な一次資料をもとに新田開発は社会を豊かにする一方で米作中心の農業に深刻な矛盾をもたらしたと結論づけ、それを「水田リスク社会」と呼ぶ。江戸時代の米中心社会の実像をリアルに描き出した力作である。
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朝日の柄谷行人さん書評から読んでみました。
エコ社会とかTPPとか今の農業や社会を考えるのに役立つ作品だと思う。
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新田開発によって循環型社会の維持には、江戸時代の技術力では限界があったと述べられています。ものを作ることにおいて、人々の苦労は絶えなかったでしょう。だから知恵を出して、物の使い方から人の所作に至るまでそれぞれ深い意味があったのだと思います。今は便利な世の中で、お金を支払えば何でも手に入るので物をあまり大事にしないように思います。飲食店での食べ残しの量には驚きますし、空き家が放置されどんどん増えるいっぽう、新築住宅の建設が後を絶ちません。無駄なことが溢れている、今を感じます。
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江戸時代の篤農家の残した資料から読み解ける百姓の実態、そして、幕府の新田開発が、農村・農家に与えた影響が描かれていた。
百姓は、幕府に年貢を納め続けることを継続するため、色んな工夫をしていた。
その中で、水田経営に不可欠な道具としての牛・馬を飼う。そのために餌を得るための草原も確保しなければならない。
武家社会における鷹狩りに必要な餌としての小鳥たちの供給。
しかしながら、将軍綱吉の生類憐みのお触れによる制度変更での現場の混乱。
また、新田開発、白米づくりにシフトしたことにより、肥の枯渇、高騰。
そのことにより、海の資源であるイワシを金肥とするような変化も起きてしまっていた。
篤農家の貴重な資料から読み解ける百姓の目線での水田経営から江戸幕藩体制の一側面を描写したすばらしい本でした。
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「水田にささえられた江戸時代の社会は、その根底において持続可能ではなかった」というのが本書の結論。新田開発のため、本来であれば牧草地として残さないといけない土地まで水田になってしまい、結果的に農耕を助ける牛馬を維持できないようになったこと。実りを多くするために肥料が必要だが、人や家畜の排泄物ではとうてい足りず、油かすや大量の鰯が投入されていたことなどが明らかになる。百姓が、年貢としておさめる白米のほか、自分たちで食べるようには赤米(インディカ種)をつくっていなんてことも初めて知った。
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「江戸時代=循環社会=エコ社会」という、現代人がしばしば理想視する江戸時代の姿は、余っている土地を拓いていく新田開発が順調に進んでいた17世紀までだった。その後は開発する土地がなくなったにもかかわらず、強引に新田を作ろうとして、生態系のバランスを崩してしまう。発展が頭打ちになると過酷な競争がはじまり、結果、強いものが勝ってより栄え、弱いものが負けて没落するという展開は、ほかの時代と変わらなかった。
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●江戸時代はエコ社会のように言われるが、新田開発という列島大改造によって増やされた水田にささえられる社会は、根底において持続可能ではなかった。
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江戸時代はエコ時代などと持て囃す風潮が一部で見られるが、果たしてそれは真実なのであろうか。
結論から言えば、単純に飽和状態を迎えるまでに時間がかかったというだけで、持続可能とは言えない。
新田開発によって生産高も人口も増え、コメを中心にした社会が成立し、水田を中心とした生物相も形作られ、コメの副産物である藁、糠、籾も余すところなく利用され、いわゆる持続可能な社会であったかのようにも見える。水田に暮らすタニシやドジョウなどから始まり、人間とともにタカやキツネなどを頂点とする食物連鎖も構成されていた。
しかし一方で生産を支えるための肥料を生産するために山は切り開かれ肥料になる草を生やす(草肥)。食べ物を失った鹿が里に降りてきて農作物を食い荒らす。この草肥が足りなくなれば鰯を干して肥料にしたものを遠くから取り寄せた。もはや地域の水田をその地域内で支えることができなくなっていたのである。
平和な江戸時代に農業技術は著しく進歩し、石高(水田)は目覚しく増えた。しかし江戸末期には拡大が限界を向かえ、増産は停滞するのである。
現代に繋がるかもしれない逸話を一つ。
江戸時代の農政家、田中丘隅の「民間省要」より、筆者の現代語訳。
「近年、役人は領主がとりわけ好む、さしあたって急ぐべき用事のみを優先し、それ以外は先延ばしにしている。村々もまた、その数が多いにもかかわらず、みずからの面目に関わることにしか強く身を尽くさない。領主と村々が、いつしか用水のことに疎くなっていることは言うまでもない」
江戸末期の停滞期には田地に引き込む用水路やため池に不具合が多く生じ、日照りや増水の被害が発生しやすくなっていた。貨幣経済の拡大など社会の歪みがあちこちに現れ、財政危機を迎えていたことにより、インフラの維持管理に手が回らなくなっているのが見て取れる。
インフラというのは大きなシステムであり、それゆえに多少維持管理をおろそかにしたところで、すぐには破綻しない。それは大きな質量を持つ鉄道がモーターを止めても慣性ですぐには停止しないようなもので、それでも間違いなく減速していくし、一度止まってしまえば再度動かすには大きな力を必要とする。
にもかかわらず目先のことに追われ、土木工事の入札は悪徳商人に食い荒らされ、国土が荒廃していく有様というものが、遠い昔のことでありつつ、現代の日本にも相似形が見えるような気がしてならない。
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水本邦彦の試算によると、耕地を維持するためには、その面積の10倍以上の草山が必要だった。
銚子の漁民は、17世紀後半から18世紀前半に紀伊国から移住してきたとの言い伝えのある家が多い。新田開発がピークに達しようとしていた頃に、畿内とその近国で肥料不足と干鰯ラッシュが巻き起こされていた(井奥成彦)。
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○目次
序章:江戸日本の持続可能性
第1章:コメを中心とした社会のしくみ
第2章:ヒトは水田から何を得ていたか
第3章:ヒトと生態系との調和を問う
第4章:資源としての藁・糠・籾
第5章:持続困難だった農業生産
第6章:水田リスク社会の幕開け
終章:水田リスクのその後と本書の総括
よく、江戸日本社会は資源循環型の持続可能な社会であったという言説が聞かれる。しかし、江戸市中の不法投棄やたたら製鉄による禿山化など反論には枚挙にいとまがない。
筆者・武井氏も果たして江戸日本社会は持続可能な社会だったのか、再検討を試みたのが本書である。
内容をかいつまむと、17世紀後半までの日本社会は農業発展期と位置づけ、コメも白米・玄米・大唐米といったコメが植わっており多様性のある社会であった(第1章)。また、水田では稲作を行う場のみではなく、生物多様性を展開できる場所でもあり(第3章)、それに対応して農業・狩猟・漁労など様々な生業をも担保していた(第2章)。
資源としての肥料の循環も行われ、コメ作で出た藁や糠は農業の動力としての馬などの家畜の飼料としても使われるなど、上手く資源の活用が機能していた(第4章)。
しかし、第4章までに見た循環型社会は深層を探るとまた別の側面が浮かび上がってきた。17世紀末から18世紀前半にかけての水田開発による「日本列島大改造」期(停滞期)を経ると、ヒトによる資源の採集は激化していくことになる。主に、水田開発の乱発による生態系の崩壊、水害・土砂災害を招く、肥料の不足・値段の高騰など(第5章)、17世紀後半まで一見すると上手くいっているように見えた生産活動の歪みが、水田開発を引き金にして大きく現れることになった。
こうした水田開発をきっかけにした「水田リスク社会」への対処法として、発展期の土屋又三郎、停滞期の田中丘愚の農書から読み解いている(第6章)。
本書は多くの農書や「農業図絵」を活用して、江戸日本の農村風景を復原しており、江戸日本のヒトと自然の関わりをリアルな形で読者に提供してくれる点がおススメである。
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p.67 シカやイノシシの侵入を防ぐために、苗代のまわりには竹や雑木が並べられていたが、十分に防ぐことはできない。江戸時代の農村には鉄砲が預けられていた。百姓が鉄砲を持っていたのは、まさにこの獣害を防ぐためであった。しとめられた獣は食肉となり、貴重なタンパク源になった。(武井 鉄砲を手放さなかった百姓たち)