投稿元:
レビューを見る
1996年にサイバースペース独立宣言。
軍事目的のインターネット開発が実はコンピュータ科学者らの研究優先で行われてきた。
インターネットはマスメディアのような国家管理型の技術にはならず、グローバル市場主導型の技術になり、その市場はますます拡大している。
インターネットは本性上、オープンでフリーで情報を共有できるという特質を持っているがマイクロソフトが持ち込んだ位資本主義的交換の慣行はこれと逆だった。
投稿元:
レビューを見る
インターネットの成り立ちについて、1.国家、2.資本主義、3.創造的生産集団の3つをキーに読み解いていく。
その初期段階において、国家の秘密裡のプロジェクトとして産声を上げ、
冷戦のなかで、資本主義体制側のイノベーションを推進させ(社会主義体制側においては管理しようとする)、勝利するが、それは同時に「管理の水漏れ」を生み、国家に大きな「外部」とのかかわりを生むことになった。ただ、そもそも国家とは非公式に外部とのかかわりを持つものであり、切り離せるものではない。
しかし、その外部=過剰さは残されたままインターネットは民生化される(⇔ラジオ、テレビなど20世紀のメディア)。そして新自由主義経済の土壌の中で急速に拡大し、小さな政府が撤退した領域を埋めるように拡大していく。
さらに近年のアラブ動乱におけるソーシャルメディアの使われ方のように、「自発的に暴動を起こさせる」という点でももともと持っていた軍事性が露わになり始めた。サイバー攻撃はその責任の所在が分からなくなる、ユーザーが巻き添えを食らうことも多い特性もある。
労働者はその「消費」≒「生」さえもが、情報として生産の要素になっていく世の中で、果たしてこれから・・・
---
想像以上に難解でした。
インターネットという技術について、その社会の中でどういう位置づけができるのかを解き明かそうとする試み。
投稿元:
レビューを見る
・久々のハズレ。タイトルにかなり期待させられたのだが、とても「権力、メディア、人間の関係を根底から考察」した内容を把握できなかったし、「IT化社会における政治哲学の可能性を切り開」いた本とは思えなかった。自分の読解力の及ばぬところか。
・これで選書?新書レベルにも達してないのではないかというのが正直なところだが。参考資料からのたくさんの抜き書きと、それに関連した、裏付けの少ない個人的見解が少し。学生のレポートクラスではないかと思った。
・一番ひどいと思った例。中近東について、難民が大量発生し、カダフィのような独裁政権が生じている例を挙げて、「地域の国家機能の弱さ、また、国境の人工性の虚構性、移動することの一般性から(土地や国家への)帰属性が薄い(P158)」と結論し、だから、SMSが、中近東において人々を動かす力を発揮しやすいとしている辺り、著者は本当に学者なのだろうかと思ってしまった。それで「以上、中東地域の土地の内的事情を見てきた」との総括とは恐れ入ります。
【由来】
・図書館アラート
【期待したもの】
・国家がインターネットをどう利用していくのかという知見に資してくれれば。