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まさに「人と人」の間、触れ合いにある問題を取り上げた、サルトル哲学の入門者向け良書。これは、哲学云々ではなく、人間関係・恋愛関係・自己追求の局面に対峙するすべての人へのメッセージであり、エールです!! 悩んでいる人程、読んでごらん。 著者は本書が遺著となった・・・・黙祷。
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わたしがサルトルを学ぶ上で最初に手にしたもの
梅木さんの遺稿でもあります
これを読んでから『嘔吐』を読むと新しい発見があるのかもしれない
手に取るように頭に入ってきて容易に理解することが出来た
あくまで本文の内容のことについてだけれど..
サルトルの思想そのものの理解はまだまだこれから
冒頭の”哲学をひもとくにあたって”の梅木氏の文章が素敵だと思う
ジャン・ジュネは言う
「サルトルは、その気になったら、どんな人間でも理解することが出来た。」
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コアになる以外の人物については、そこを踏破した先人のルートをまず倣いたいというのが、自分の考えである。
道がどうできているか、何でできているか。そうした問いを全ての道へ向けることができれば文句はないが、それには時間が限られている。
だから、そうしたものをいちいち解体するのではなく、道を歩くガイドの言葉で語ってくれる書籍に、自分は特に強い信頼と安心をおぼえる。
そうした意味で、故梅木氏のこのルート取りは、サルトルという道を味わううえで格好のガイドであった。何より梅木氏自身も道だった。
直接性をめぐって苦闘するサルトルと、彼をめぐって苦闘してきた氏。
二つの道の味わい深さは、100ページあまりのこの著からも十分に感じとられた。
あとは、これを忘れることなく反芻し、自分がまた新たな(少なくとも)ガイドになること。それこそ、私に課せられたものなのかもしれない。
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難しい。最初の方は、おおわかりやすい!と興奮しだけども、徐々に感じてくる、あれ?これどういうこと?
軽く読めそうに見えて、読む時は本腰入れないと、という本だと思います。
僕は三年後にまた読み直してみようかな。
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著者のあとがきが感慨深い。いわくD1の時にサルトルが読めなくなったと。サルトル自身もフッサールについてそうした「汲み尽くし」があったと。その後の本書であっただけに、文章は流れるようでいながら、新たな驚き(可能性)と限界がちりばめられ、熱があります。
・サルトル的人間は、ひとりひとりが光を発し、世界を照射する光源のようなものです。その光は、それが及ぶ範囲で、真実を暴露し、絶対的な確実性を、つまり明証をもたらしてくれます。ただ、この光が強ければ強いほど、そのまわりの暗がりは深く、闇は濃くなっていくものです。P97※わたしという実存と世界や歴史との関係の深刻さ。