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2008/3
モンスターペアレントというのは自然に発生したのでなく、教師と親との間にある認識の違いから産まれたのではないかと。現職の区立中学の校長の立場から教育現場について平易な表現ながら描いている。
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具体的な問題があり、それに対して、具体的にどう対処していくか…という部分に関しては記述は少ない感じがある。つまり、いわゆるモンスターペアレント対策としてのお手本として、マニュアルとしては参考程度になるということ。(参考になるにしても心強い)
モンスターの壁が存在する原因、また、今の社会で大切しなければならない部分(コミュニケーション)に関する記述は、よかった。
学校はサービス業ではない。信用を創造する行為であるということ。
これをおさえておきたい。
最終章は納得できた。
しかし特別支援教育に関しては、参考にできない。
まず、軽度の発達障害という言葉は廃止されたし、p216にあるように、発達障害の発露の原因が夫婦関係にある場合があるというのは一面的すぎる。
そういう場合があるということだが、p215にLD、ADHD、アスペルガー、高機能自閉症というように、軽度発達障害のことが書かれていて、それらの原因が、夫婦関係にある場合があるというようにとらえられてしまう。
それはまた別ではないか。(ADHDがあり、しかし夫婦関係の状態が悪くて、反応性愛着障害などの別の障害が付いてくるとか)
2008年04月09日読了。
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藤原さんの思考の深さ、
PTAや学生の質問、クレームなどに対する切り返しが凄いです。
今回は対談形式でしたが、
藤原さんの著書も読みたいと思いました。
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著名な藤原和博さんと、一保護者代表の川端裕人さんの対談本。
教師と保護者間のメールの活用や、子どもの携帯電話利用についてなど参考になりました。
でも、保護者と教育者の対話がずらずら続くという形式なので、保護者には目新しいことも多いかもしれませんが、教育関係者には既知の考えが多いかもしれません。
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学校でのよくある問題をどう解決していくべきか。本当に実際に学校で教えてみて感じたことが納得するようにかかれていた。
また、学校の先生たちが親に対して持つ不安も、親が学校に対してもつ不安も必ずしも正しいものではなく、自分の頭でいったい何がどうあるべきなのかを考えさせられる本だった。
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東京都の民間人初の公立中学校長らしく、ちゃんと一歩引いた目で教育の現場を見ている感じがしたが、バカ親の事例は多いのに、バカ教師の事例が少ないのはやはりどこかに遠慮しているのだろうか?それともバカ親の方が圧倒的に多いのか?
少なくとも某元教師の著書よりはいい。
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藤原和博と名前を聞いてピンと来なくても、民間から初めて公立の校長になった、最近なら「夜スペ」をしている和田中学校の校長先生、と聞けば、ああ、あの人、と思うでしょう。
この本は藤原校長と聞き手である作家・川端裕人さんとの対話形式で、具体的なバカ事例(バカという言葉は軽々しく使うべきものではないのですが)を挙げて、話を進めています。
まずは現代社会がどのような社会か、そこから確認してみましょう。
親と教師とのコミュニケーションが難しくなっている背景のひとつとして、日本が「成長社会」から「成熟社会」へと変化した影響を考えてみます。
高度経済成長時代は「成長社会」。『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界のように、みんなが似通った夢を持ち、みんなが同じ未来へのベクトルを共有できていました。「昨日よりも今日、今日よりも明日は豊かになることができるはずだ」という信念のもと、仕事も勉強も家事もみんな頑張ることで、ある種の連帯感を持つことができていたのです。(みんな一緒に頑張れば、明るい未来が待っている)という希望を共有できる時代だったから、親も教師もみんな同じ土俵で会話をすることができたのです。
しかし、現代のような「成熟社会」に入ると、社会の様相は一変します。経済全体が底上げされて、大人から子供まで誰もが自由に物を欲し、選び、行動する時代になったのです。
「成長社会」では、家族が集まり、一緒にテレビを見たり(そういえば「一家団らん」という言葉も死語化しつつありますね…)、一緒に車でお出かけしたりしたものです。
ところが、現代のような「成熟社会」では、みんなの行動がバラバラになります。ある日の休日、父親はたまには家族一緒にテレビで野球を見たいと思っていても、野球には興味がないからと、母親は買い物へ出かけ、娘は自室のテレビで借りてきたDVDを見て、弟はPSPでゲームをする、といった具合に。物が溢れる時代にあってはもはや、ひとりひとりの好みがバラバラになってしまうのも無理からぬことかもしれません。
つまり、「みんないっしょの集団行動」を求める学校文化と、「みんなバラバラの個別行動」が許容される家庭文化とが、相容れなくなったわけです。「集団主義」と「個性主義」とがぶつかり合い、教師も親も共通のコミュニケーションの交わせる土俵を探しあぐねているというのです。
そんな中でいわゆる「モンスターペアレント」が登場してくるのは、成熟社会のひとつの象徴といえるでしょう。集団と個性という利害の対立する者同士にとっては、「みんな一緒に」という共通解は得難いと考えられます。そこで親と教師の双方が納得できる【納得解】を探していく必要があるのです。
…という前提のもと、この本は色んな事例を挙げて、藤原校長ならこういう納得解を出す、という構成になっています。
「サッカーの得意な息子の転校先には、サッカー部がなかった。息子のためにサッカー部を作れ!」だとか、「うちの子は、朝起きられない。私も朝が弱い。だから担任が責任を持って、起こしに来い!」だとか、「��業アルバムにうちの子が写っている写真が他の子と比べて少ない。不公平だ。アルバム代を返せ!」だとか。
教師サイドでも、「私はベテラン教師ですよ。私のクラスに限って、いじめなんかあるはずがないでしょう!?」といった感じで。
僕は普通のサラリーマン(鬱で休職しているから、普通ではないかもしれませんが)で、未婚で子供もいませんから、教師という立場も、親という立場も、想像の域を出ません。出ませんが、これではコミュニケーションの土俵に上がることなんてできませんよ、一方的過ぎて。でも実際にこんな問題が出てきているんですよね…。
ところで、著者の藤原校長は、モンスターペアレントという言葉を使わずに「バカ親」と言っています、本のタイトルにもあるように。一見、失礼に聞こえるのですが、これがなかなか納得させられるのです。
「ちなみに、校長としての私は「モンスターペアレント」という言葉を使わない。保護者会などでは、遠慮なく「バカ親」と呼ばせてもらっている。ただし、次のような文脈のなかでである。
---保護者の方に申し上げます。学校を支援して、いくらでも、子ども思いの「親ばか」をやっていただいてかまいません。ですが、居心地論で子どものワガママに同調して、文句を言うだけの「バカ親」にはご遠慮願います。---
みんな、笑って納得してくれる。」
これは本文の引用なのですが、ユーモアを交えて、上手く学校と親との橋渡しをしているように感じられます。この辺りが、民間出の先生たる力量でしょうか。
話は逸れますが、世間で騒いでいるような、否、むしろマスコミがやたらと取り上げているような「バカ親」「バカ教師」なんて、そうそういないと思うのですが。実際のところはどうなのでしょう。まあ、それを言ってしまうと、この本、身も蓋もなくなってしまいますが。でも日本人って、あまり揉め事を起こさずに、物事をうやむやにするのが得意な(笑)民族じゃなかったかしら。そんなに日本人って変わったのかなあ。素朴な疑問。
いずれにしても、間違いなくいえること、それは、子供は大人(親、教師)を見て育つということです。善くも悪くも、子供は学ぶ(=真似る)ことで成長していくわけです。親や教師を含め、大人たちひとりひとりが子供にとっての範とならなければならないでしょう。僕自身も含めて、大人は常に子供から見られているんだという意識を持っておくべきでしょう。
この藤原校長の本は、なるほど、そういう考え方もあるなというアイディアに溢れています。独身の僕が読んでも、なかなか得心するところが多々ある本です。一読の価値、ありです。藤原和博著、川端裕人(聞き手)『バカ親、バカ教師にもほどがある 子ども化する大人たち』(PHP新書)。是非、読んでみてください。
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う~ん、言いたいことは分かるけど、やっぱり「校長」っていう立場がにじみ出てる気がします。
藤原さん、「話が分かる」人だけど、やっぱり学校信者というか・・・世代かなぁ
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教育は消費の対象ではなく「信頼を想像する行為」。
学校教育にかかわる子ども、教師、保護者、市民が一体となって作り上げていくもの。
「ナナメ」の関係で子どもは成長する。
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[ 内容 ]
わが子かわいさのあまり無理難題をつきつける「モンスターペアレント」。
“いじめなんてない”と逆ギレする「モンスターティーチャー」。
自分の気持ちだけを優先する大人たちの増殖が問題となっている。
「先生がうちの子を起こして!」「キモイから担任を替えて!」「教師の私にたてつく気か!」…親と学校の壁はますます高くなるばかり。
面倒な対話がなくても生きられる現代社会、このバラバラ状態は変わらないのか?
民間出身の公立中学校長として奮闘した著者に、真に子どものためになる子育て・教育改革の道を聞く。
[ 目次 ]
第1章 バカ親の壁(バカ親、登場―居心地のよさを求めて(うちの子のためにサッカー部をつくれ! うちの子にスリッパを貸して! ほか) バカ親、ゴネる―「消費者様」の行き着く先(先生がうちの子を起こして! あの子を登校停止にしろ! ほか) バカ親、こだわる―「自分の気持ち至上主義」の弊害(あの親と同じ学級にするな! キモイから担任を替えて! ほか))
第2章 バカ教師の壁(私のクラスにいじめがあると言うの! アイツは校長にたてつくおかしなヤツ! ほか)
第3章 親と子の壁(「成熟社会」とは何か 成熟社会に必要な「チカラ」 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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タイトルに惹かれて手にとった本。
巷ではモンスターペアレントなどと言われる人々で溢れているという
情報もある中で4月から幼稚園に通う子供を持つものとして
教育機関とどのように接すれば良いのかを知りたくて読みました。
実際に小学生の子供を持つ作家と民間人初の校長となった方の対談で
教師側だけによることなく親側だけによることもなく
現在教育の現場で起きている問題に関して実に建設的な意見交換
をしているのでとても参考になりました。
親と教師の壁の根本原因はひとえにコミュニケーション不足に
よるものだと結論付けていますがまさにその通りだと思いました。
幼稚園ではまだまだ問題はないのかもしれませんが
今後小学校中学校と育って行く子供のことを考えても
読んでいて良かった一冊となりそうです。
PTAの活動なんかには私も積極的に携わって行きたいと考える
きっかけにもなりました。
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子供向けの藤原先生の本の後に読んでみた。。教師の大変さ、学校の考え方みたいなことに触れられるのはよい。
タイトルから想像した、「いかに教師や学校に要求していくのか、知恵をえられるかも」というようなことではなかった。
自分は親としてこのような要求は学校にはしないと思いつつも、子どもの学校とどのようにかかわったらよいのかとか考えさせられた。
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公立中学校長を経験された藤原さんと、PTA活動の経験をお持ちの川端さんが、率直な意見交換をされている本をふと思い立って再読しました。
先生の立場から、保護者の立場から、両方の立場から学校を見ている私が今読んでも全く古くなくて、頷ける場面がたくさんあります。
教育の場に、民間の方が「入って」分析するとこうなるんだな、と。明快でわかりやすいです。
この本の一番のお気に入りは、中学校区に専任のソーシャルワーカーの配置をとの提言の部分です。
学校がすべきことと、ソーシャルワーカーに相談したいことの分類も改めて参考になりました。
教育を専門にされてきた方、心理や福祉を専門にされてきた方とは違う角度からの切り込みが興味深くおもしろかったです。
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タイトルにしては内容がまとも。
保護者と教師とのトラブルがケースごとに対談形式でまとめられている。双方の納得をコミュニケーションでどう乗り越えるか。その解決こそ、これからを生きる力=情報編集力が必要だと述べている。また、その力を育む環境づくりに、家庭、学校、地域にて取り組む必要を説き、実例をあげて示している。
藤原和博氏の文章はパワフルで勇気付けられる反面少し荒いところを感じるので、作家のPTAにも参加している川端裕人氏が聞き手の対談形式であることがバランスをよくしていると思った。
読んでいて元気になる本。
教育は消費する対象ではなく「信用を創造する行為」
っていい言葉だなあと思った。
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http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=4-569-69946-4 ,
http://www.yononaka.net/