紙の本
新時代の名作
2019/01/30 23:02
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
遺伝子工学者ヴァージル・ウラムが創り出した生体素子ヌーサイト。開発中止を命じられてなんと自らの体に注射してしまう。そして指数関数的に増殖していくヌーサイトは宿主をあっという間に飲みこみ、世界を飲みこみ世界の在り方そのものを変容させてしまう。終盤情報物理学なるものが語られて幻惑されるが、パニックもののような序盤から、それを突き詰めて驚くべきヴィジョンにたどり着く。そこで好き嫌いは分かれるかもしれないが、テクノロジーの可能性を極限まで追求したヴィジョンは凄い。傑作。
紙の本
ヒューマニズムの否定
2001/03/31 19:03
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投稿者:谷池真太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
被創造物が創造者より優秀であったら、しかもそれが白血球であったら……。その上白血球のおかげで人類がより幸福な人生を送られるようになるのだからたまらない。
紙の本
なんでイントロンが計算機になるのか。
2002/03/08 13:36
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投稿者:FAT - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近「DNAコンピュータ」という文字を新聞なんかでも、良く目にするようになった。そのアイデアの嚆矢は、1994年にエイドルマン(Adleman)がアメリカ・サイエンス誌に発表した論文だそうだ。それから、10年弱まだ実用化段階ではないらしいが、特定の問題を解く手法としては、急速に発展しているそうだ。
さて、本書『ブラッド・ミュージック』の中心的ギミックは、「知性をもち自己増殖するバイオチップ」である。染色体にあるイントロン(タンパク質合成の情報源とならない部分)がメモリー、演算子として機能するようになる変異を誘発させた結果、細胞が知性を持つというアイデアなのだ。そして、その変異した細胞が人間の体内で爆発的増殖していくと…、というのが本作の基本的なストーリーだ。
Adlemanの論文発表が94年で、ベアが80年代に「DNAのイントロン部がとして機能する」というアイデアに気づいていたのだから、大したモンだと思う。だが、正直本作を読んだ限りでは、なぜ「イントロンが計算機となる」のかという点が釈然としなかった。
さらに、感染パニックものとしても、人類進化ものとしても、今一つという感じだ。この作品の場合、「思考する細胞」というアイデア勝負のところがあり、その科学的背景に説得力がないと興を削がれる。80年代の『幼年期の終り』とされているらしいが、残念ながら、『幼年期の終り』を超える程のセンス・オブ・ワンダーを感じることはできなかった。
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古き良きSFで育った私にはサイバー・パンクと言われるジャンルはちょっと苦手だった。 けれど、これだけは不思議に自然と受け入れられて。 結局“喰わず嫌い”だったって事。
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ある科学者が開発したウィルスに感染し、人類全体に広がってしまうが…そのウィルスが実は新たな進化の可能性を目指していた。
これもカナリ面白いSFです!
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幼年期の終わりがマクロの方向に進化する人類なら、これはミクロの方向に進化する人類。細胞の一つひとつが知能を持つようになることで、知能のある生命体の個体数が激増し… ちょっと難しいところもあるけど面白い、数名の取り残された人たちのエピソードの必然性があまり感じられないような気がした。
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内容
遺伝子工学の天才ヴァージル・ウラムが、自分の白血球から作りだした“バイオロジックス”
ついに全コンピュータ業界が切望する生体素子が誕生したのだ。
だが、禁止されている哺乳類の遺伝子実験に手を染めたかどで、
会社から実験の中止を命じられたウラムは、
みずから創造した“知性ある細胞”への愛着を捨てきれず、
ひそかにそれを研究所から持ちだしてしまった…
この新種の細胞が、人類の存在そのものをおびやかすとも知らずに!
気鋭の作家がハイテク知識を縦横に駆使して、新たなる進化のヴィジョンを壮大に描きあげ、
80年代の『幼年期の終り』と評された傑作! ヒューゴー賞・ネピュラ賞受賞作
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地元新聞の本紹介コラムにこの本を取り上げさせていただいた。もともとSF好きだけど、これでその嗜好を決定的なものにされたって感じ。
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『幼年期の終わり』は文明的進化と書いたけど、この本では「生命体としての進化の行き先」について考えさせらた。(妄想的に)
そしてタイトルのとおり、血液がキーポイント。いつだったか再読の際に「開け!進化のモード!」と叫びそうになった記憶がw
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そして人類は、ミクロの彼岸へと旅立つ。
人類の変容を壮大なビジョンで描き切ったSF、という点で、クラーク「幼年期の終わり」と同一テーマに属する作品。
ただし、圧倒的なスケール感で拡散しまくる「幼年期の終わり」に比べ、こちらで提示されるビジョンは徹底的に内向きかつグロテスク。最終章で示される「救い」の気色悪さは特筆モノ。
人類にとってあまり嬉しくない結末である点はこちらも「幼年期の終わり」も一緒だけど、まだ「幼年期の終わり」の方が前向きなパワーがあると鴨は思いたいです。
2作並べてオールタイム・ベスト級の作品ではないかと。
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ヒューゴー・ネビュラ賞受賞の超名作。
エヴァの元ネタとしても有名。人類補完はノーストリリアだけど
群体から単体はこっち。
何度読んでもおもしろい!
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チャールズ・ストロス著「アッチェレランド」の「コンピューターで地球が変わってしまう」つながり。ゼロ時代の「幼年期の終わり」に例えられるのが「アッチェレランド」なら、80年代の「幼年期・・・」はこの「ブラッドミュージック」。当時バイオチップが流行っておりました。この作品も白血球から作られたバイオチップが研究所から持ち出され、ウィルスのように感染していくというパニック物の器をかりて、人類が変容していく姿を描きます。最近はバイオブームも去ってしまいましたが、ナノ・テクノロジーも実は排熱(ナノ・マシンは小さいのだが、数が集まるとものすごい熱を発するらしい)の問題があってクリアされないと、またバイオ系が復活するかもしれません。当時すごく面白かったような気がしますが、今、読み返すとどうなんでしょう。ラストもすごくしっとりした感じで、80年代の特徴なのでしょうか。容赦ない「アッチェレランド」と違います。
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80年代版「幼年期の終わり」ねぇ
期待に満ちて読んだ。でもがっかりした。
細胞(遺伝子)レベルの知的生命体が、人類を宇宙に見立てて進化していく。人類はそれらによりその形状すら変えられるが、自身は幸福な進化を遂げていると信じている。
私が嫌いな「電脳空間=サイバースペース」ものだ。この手の世界って嫌いだわ。なんでもありの世界っておもしろくないもの。
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80年代の『幼年期の終り』と評される当著は、ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞の確かな傑作でした。
『幼年期の終り』とは、巨匠アーサー・C・クラークによる人類のより高度な存在へのメタモルフォーゼを壮大なスケールで描いた叙事詩で、あまたのSFオールタイムベスト1位を占有することは周知の事実。
そんな大著と並び評されるが、『幼年期の終り』から感じ取れた壮麗さは皆無で、終始背筋が凍りつく感覚を覚えた。
だってこの本、ただ淡々と事実が積み重ねられるだけで、他人事のようにメタモルフォーゼが進行していくんだもの。つまり、メタモルフォーゼに対する著者の評価が全く読みとれなかったのだ。
事実、一度たりともこのメタモルフォーゼを賛美する言葉に出くわさなかった。呪詛する言葉も同様に。
いや確かに、メタモルフォーゼを容認するような(または否定するような)登場人物の台詞はある。
でも、どこか突き放しているんだよなぁ。
あくまでそれは”登場人物の言葉”であって、”著者の言葉”ではない。
ただ単に議題だけを提示して、バイアスもかけずに、あなたの価値観で判断して下さい、はいどうぞってパスをうけた感じ。
うーん、冷酷。
個人的には、メタモルフォーゼが、ドラッグみたいなマヤカシにみえたので嫌悪感しか抱けませんでした。
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去年話題を呼んだ「ジェノサイド」など「人類という種」の未来を語る小説は今でこそ珍しく無くなったが、その元祖はといえばクラークの「幼年期の終わり」ということになるだろう。
初めて読んだとき、あまりのスケールの大きさに僕らは驚愕したものだった。
そして、その驚愕を全く新しい形で、よりリアルに、より実感を伴って上書きしたのが、「ブラッド・ミュージック」なのだ。
だが、新しい驚愕は「幼年期の終わり」ほど能天気な希望に満ちてはいない。苦い味を伴った究極の問いを読者に投げかけてくる。「進化を受け入れるか、否か、あなたならどうする?」と。