電子書籍
最後まで噺家を貫く
2020/01/31 14:56
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
八雲が刑務所の慰問に行く場面には、若き日の与太郎のエピソードと重ね合わせてしまいました。死を目の前にしても、落語だけは辞めない決意が伝わってきます。
紙の本
作家買い
2016/07/21 00:41
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投稿者:はいね - この投稿者のレビュー一覧を見る
むはぁ~~~~切なくて泣ける。
八雲師匠がそれでも色っぽい・・・
あと1巻!あ~~~楽しみに待っています♪
紙の本
落語、な巻。
2016/02/13 15:07
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投稿者:とすてむ - この投稿者のレビュー一覧を見る
師匠をめぐる、いろいろな人の視点から見た落語の姿を堪能できる巻。恋愛や親子関係というよりも、「落語」というものそのものに焦点があてられている。
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まさかまた八雲師匠の死神が見れるとは...思わず涙した。
自殺未遂にも近いあの結末と、助六の本意が気になる。そして八雲師匠を守る、二代目助六こと与太郎は段々チート化してきたなww与太郎が出てくるだけで安心してしまう。
一番の驚きは小夏も幽霊みよ吉が見えてたっていう新事実!!!いやー、すごい盛り上がりの巻だっただけに次巻の結末が気になって仕方ない。とりあえず八雲師匠にだけは誰よりも幸せになって欲しいなぁ。
美しい桜色の表紙が、ハッピーエンドを期待させる。最終10巻はなんとなく白かなと予想。1巻との良い対比になるのでは。
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与太郎改め三代目助六が八雲師匠も小夏も同席する高座にかけたのは、初代助六が最後にかけた「芝浜」。八雲師匠は慰問で「たちきり」をかけ、みよ吉の亡霊に若旦那の小糸への思いのたけを語る。与太ちゃんの「居残りの会」にふらりと現れた八雲は、ひーさんに「品がない」などと酷評するが、お守り代わりにずっと持っていた初代助六の扇を与太ちゃんに託す。一方、萬月は八雲師匠から「応挙の幽霊」の稽古をつけられ、ひーさんに「つまらない」と言われながらも与太ちゃんにできない落語を継ぐのが萬月の使命だと諭す。
与太ちゃんつまり三代目助六と萬月という次世代に託すべきものを託したと感じたのか、八雲は終業した雨竹亭に現れ、誰もいない客席に向けて『死神』をかける。自らが愛した昭和の落語と心中するかのように。あらわれた助六の亡霊が死神に変身し、八雲を連れ去ろうとする寸前、与太ちゃんが現れて手を伸ばす。「嫌だ 死にたくない たすけて」と、初めて心の奥にある本音を口にする八雲を、助六が救い出す。
みよ吉の霊を八雲師匠以外にも小夏が見ることができたり、初代助六の霊が八雲と口をきいたと思えば死神に変身したり、謎が解けるのは最終巻となる次巻でしょうか。
落語は、八雲師匠が望むような形ではないけれど、人とともに生き、三代目助六と萬月に託される。かつての二代目助六と八雲襲名前の菊比古のコンビのように。
最終巻に向けての謎をいくつか。
・助六、みよ吉の死の真相。松田さん証言ではみよ吉が助六を刺したそうだが、動機は何か。菊比古の誘いに乗って東京で落語界に復帰しようとした助六と父について行こうとする小夏を殺して、かつての菊比古と自分だけの世界を取り戻したかったのか、自分から菊比古を奪った落語に復讐するために菊比古の無二の同志である助六を滅ぼしてしまいたかったのか。
・親分と八雲が共有する秘密。どうやら与太郎が組を抜ける前から親分さんとは面識があるようだ。最新刊の様子では、信之輔くんの父親が親分さんじゃないかという疑いに加えて、親分さんと八雲はもっと深い秘密を共有しているかも知れない。
・八雲と小夏にだけ見える、助六とみよ吉の意味。9巻最終場面としては八雲の自滅願望(落語の心中相手となるはずだった助六を喪って以来の厭世観)が助六の姿に化けた死神を見せたという気がするが、八雲の生きることへの執着(たぶんまだ何かやり残したことがあったり、思いを伝えきれていない未練がある)と次世代の落語を象徴する三代目助六(与太郎)が救出した。ならば、助六とみよ吉の亡霊(?)は八雲と小夏に何をつたえたかったのか。
・八雲はいつどのようにして終焉を迎えるのか。思うような時に思うような死に方ができないのが人の世の常だけど、タイトルにある「昭和元禄落語心中」を象徴する死に方としては、現代に落語の居場所を造ろうと約束した助六亡き後、自分が旧い時代の落語の伝統を全部ひとり抱えて亡くなることで落語と心中することが第一巻時点での八雲の意思だったと思う。しかし、自分と助六の落語を受け継いで再構築することに成功した三代目助六(与太郎)、女落語家にはならなかったが下座さん・お囃子さんとして寄席を���える不可欠な鳴り物スタッフになった小夏、どうやら助六の落語遺伝子をもって生まれて三代目助六の父性愛を受けてすくすく育っていく信之輔、上方落語の生き残りとして再興に苦闘しながらキャラ的にはかつての生真面目で面白くない菊比古を思い出させるので使命感を持ったら九代目八雲を名乗れるぐらいに化けそうな萬月師匠、助六と萬月さんを知的に支えるひーさんと、当初は考えてもいなかった落語の継承が進みつつあるようだ。なので、最終巻の予想では、三代目助六が八雲の型でも助六の型でもなく両方の特徴を持ちながら与太郎の型になっている「死神」をかける高座(前巻で寄席が燃えちゃったんで、どこになるかな)を袖で聴きながら、眠るように亡くなっている(小太郎ちゃんとか前座さんが揺り動かしてみたらもう彼岸に行っていた)というラストを希望。
・そして、焼き場で空に上がっていく煙を見上げながら、信之輔くんが「野ざらし」をかけるのを、三代目助六、小夏、松田さん、萬月さんなど落語関係者が見送る。
もうひとつ考えたラスト。寄席に火をつけた罪で鈴ヶ森刑務所に収監された八雲師匠が、親分さんはじめ収監された人たちの前で、毎日「死神」をかける。そして、ある日、助六みよ吉から迎えが来て、高座終了と共に力尽きて死ぬ。
……って想像し過ぎ?
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泣けてくるなぁ…
くもはるさん、漫画が本当に好きなんだろうなぁ…って『落語心中』の9巻読んでて思う。そして、当たり前なんだが、人間を描くのが漫画であり、創作であり、文化の一つなんだと思う。
絵を描くのが好きで漫画描いてる人と、漫画と言う文化そのものが好きで描いている人と、具体的には言えないけど、そこに差がある気がする。頭の中の架空のお話を二次元にする、と言う作業は結果として同じになるけど、頭の中の物語を絵にするのと、頭の中の空想や妄想を絵にするのとは違う気がする…。
漫画は、この人の生きてる姿を描き写したい、じゃなかろうか。イラストは妄想をパッシャっと写真撮るみたいに紙に写し取る作業、って気がする。イラストの連続でもコミックスになる、ってだけかも。
設定ではなく人間を描く、この差は大きい。
与太みたいな人間は「解放者」ではない。彼自身も道に迷って、八雲師匠の落語を聞かなければチンピラのままで終わったかもしれない。懐がデカいとか、人間がデカい素養があるのではなく、人に裏切られても人は人であり、人を見限らない人間臭さが素晴らしいんだろう。
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次完結か…声の聴こえる漫画に出会ったのは初めてだからもっと読んでたかった気もするけど、これはもうこの流れが全てなんだなと思う。
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過去の話が終わって、これからどうなるの?と呑気に構えていた自分を殴ってやりたい第9巻。
皆が歳を重ねて、このまま色々なものを抱えたまま終わらせて……はくれない感じ。
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いろいろなことが明らかになる、時が進んで切羽詰まってくる。緊迫感のある9巻だった。
次で最終巻だそうだけれど、どうか、ひとり残らず救われてほしい。
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「いっそ消えちまいたい」と嘯いているうちは、「ホントに消えてなくなっちまう」恐怖から背を向けていられる。しかしいざ「死神に抱きすくめられたとき、己に未練が残ることからついに目が背けられなかった。もう進めない、でも終わりを引き受けることもできない…そこからどう生きるのか。次巻完結とかや。
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八雲師匠は、入り込んでしまった自身の世界から脱することができるのか。
世代間の理解、つながりは、どうあればうまく運ぶのだろうか。
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やはりおもしろいね~。
師匠のかたられてない過去あるのかな~。だから、刑務所めぐりしてたのかな~。
次号は、最後楽しみです。
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小夏と与太郎の子として育つ信之助。
束の間の幸せを切り取った記念写真の後は、
ああやっぱり悲劇が待っていた。
死神になった先代助六に
取り込まれようとする八雲師匠。
死神の力に、与太郎は勝てるのか。
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八雲と助六編の伏線の回収の仕方がすっきりしません。助六・小夏世代が膨らまず平板ですし、前の世代とのつながりもしっくりしなかったですね。結局、八雲の生き様を描きたかったのでしょうか?絵のタッチにも初めの頃の、色気や艶が感じられません。八雲・助六・みよ吉たちの、生きている時も死んでからも離れられない、業のような落語の世界を見たかったなぁ。
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負のエネルギーを糧にするタイプの芸人なのだ。八雲師匠は。だから幸せになることができない。そして完璧主義だ。体の衰えと共に芸が変化していくことが許せない。大衆の嗜好に合わせ、柔軟に変化していく与太郎の芸を許せないように。
孤高の芸も大衆に寄り添う芸も、どちらもそれぞれの良さがあって必要だと思うけど、師匠は自分を追い込み過ぎですね。もう少し幸せになって欲しい…。