紙の本
熱海殺人事件
2016/01/30 22:01
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投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今日、札幌道新ホールで、本物の熱海殺人事件を見ました。風間さんと平田さんが30年以上の時を経て、そして、つかさんのお嬢さんも共演して。この日に合わせて500ページ以上のこの本を少しずつ読み進めていきました。高校の先輩長谷川康夫さんが、つかさんのお芝居のワクワク感をよみがえらせました。この数日の高揚感は、書き表せません。そして、数時間前、お二人の熱演に打ちのめされ・・・。とにかく、つかさんで育った方みなさんに読んでほしい。そして、つかさんの芝居を若い方々に語り継いでほしい。そのために、この本を座右に置いてほしい。ありがとうございました。
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投稿者:ひでくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
購入を迷う人は、ぜひぜひ買ったほうがいいです。絶対後悔しません。
つかこうへいの世界には、僕は小説から入ったくちで演劇はシアターχの「今日子」からです。観劇仲間の先輩から前はどんだけすごかったか芝居を見るたびに聞かされていました。三日間本の中に沈むように読み続けました。演劇の神様が、長谷川康夫さんに書かせた本。大作、傑作です。
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十代後半から二十代にはまったつかこうへい事務所のお芝居。今はない劇場や、当時の思い出など、感慨深く読んだ。とにかく、あのころの、つかこうへい事務所は、何だかすごかったのだ。
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演劇界において、今も「つか以前」、「つか以後」という言葉が残るほど、不世出の演劇人つかこうへいの「正伝」である。つかこうへい率いる劇団の役者、スタッフの一人として、そのあまりにも伝説的な芝居がどうやって作られていったのかを間近に体験した者でなければ到底書き得なかったであろう。どちらの意味でも「あつい」本だ。
なぜ、この本が書かれねばならなかったかは、前書きに詳しい。ひとつは、つかに関する論議の中心が、90年代以降に偏っていることに対する不満である。つかこうへいについて語ろうとするなら、演劇に関わるようになってから劇団解散までの時期をこそ問題にしなければならない、というのだ。事実、評者が、つかこうへいについて思い出すのは、沖雅也が銀ちゃんを演じた『蒲田行進曲』からである。テレビで二枚目役を演じる俳優の思わぬ熱演振りに、この役者をこうまで変えた、つかこうへいという人間に興味が湧いたのだ。その後も牧瀬里穂や阿部寛といったルックスで認められたタレントが演技派に開眼していくのを不思議な思いで見ていた。
いまひとつは、在日韓国人という出自から、その名前「つかこうへい」が、「いつか公平」から来ている、だとか、『熱海殺人事件』のなかで犯人役の役者が胸につける「金」の字には意味があるといった、諸々のとってつけたような後づけの解釈に対する異議申し立てがある。よく知られるように、つかの稽古は「口立て」で行なわれる。台本にあるセリフを役者がしゃべるのに対し、つかが駄目だしをするのだが、そのすべてをつか自身が口に出し、役者はそれを復唱する。その際に役者とつかの間で何かの反応が起き、セリフはどんどん変化し増殖してゆく。その結果、元の台本など跡形もなくなってゆくのだ。
つかこうへいの芝居にあっては、一般の劇で考えられるような、戯曲が先にあって、それをもとに演出家が役者に演技指導をするというプロセスをとらない。だから、同じ演目であっても、役者が替われば、まったく別の芝居になってゆくことも多い。つかが同じ演目を何度も舞台にのせるのはそこに面白さを感じているからであって、それが特徴的なのは、つかこうへい劇団を解散した後、活動を再開した90年代ではなく、第一期(1968―1982)である。ところが、それをリアルタイムで見聞している関係者は限られている。つかの死後、誰かが、それを語るべきだと考えてきた仲間の要請で、この本は書かれた。もともとはムックのような体裁を考えていたものが、このように厚い評伝となったのには、書き手の側の熱い思いがあったからだ。
それにしても、つかこうへいという人物には尋常でないところがある。稽古で役者を徹底的にいたぶり、侮蔑し、立ち直れないほどのダメージを与えておきながら、翌日にはすっかり忘れたような扱いをしたり、役者が稽古で上手に演じ、少しそれが鼻につき始めたとたん、それが主演であってもを交代させるなど、人の気持ちなどまったく無視した冷酷な仕打ちをして見せたりする。かと思えば、ずっと自分のしたことを覚えていて、何年もたってから、それに見合う何かをプレゼントしてみせる。傲慢なようでいて繊細な気遣いを併せ持つ。そばにいたら迷惑��そうなキャラクターである。
著者は、早稲田に入学する以前から、つかと面識があった。当時つかは慶応に籍を置きながら、早稲田小劇場の鈴木忠志に台本を見てもらったりしていた。その頃から、商売上手なところがあり、少しずつ名が売れてゆく。人の褌で相撲をとることが上手い、つかのやり方は、傍目から見れば傍若無人だが、人たらしの名人で、周りの学生仲間はいつのまにやら好いように手玉に取られ、つかのやることに巻き込まれてゆく。それに対して不満を持つ者は、三浦洋一のように初期からの中心メンバーで、主演級の役者であってもいつか離れてゆく。最後まで離れずにいた者でなくては、これだけの評伝は書けなかっただろう。
つかの芝居には幾つもの捩れ、屈折がある。感情をむき出しにした長台詞が特徴的だが、一つのセリフの中でも、自分を哀れんで見せたかと思うと、すぐにそれを自ら笑いものにしたりする。人間としての感情の振幅が激しく、その振れ幅が異常に大きいのだ。それだけに傍にいる者は、近づきすぎれば火傷をし、何日もその傷みは引かない。が、しばらく会わないでいると無性に恋しくなるような、そんな人だったらしい。
著者は舞台の照明もやれば、小説を書く作業の協力者として、現場取材をこなし、時には執筆にも携わった。しかし、何よりも俳優として、「長谷川やってみろ」と、声がかかり、『蒲田行進曲』の銀ちゃん役を稽古で演じながら、最後の最後で風間杜夫に代えられてしまう。しかし、それを憾むのでなく、風間の演技をちゃんと認める。芝居が好きなのだ。もちろんのことながら、これはつかこうへいの一時期を克明に描いた評伝である。しかし、それだけにはとどまらない。これはある時代の日本の演劇界に生きたひとりの人物の目を通して描かれた若い役者たちの群像劇でもある。
『蒲田行進曲』初演の舞台で小夏役を演じた根岸季衣が映画に呼ばれなかったのを気にして、つかはネックレスを贈ったという。つか一流の気遣いだが、四万七千円のそれが、つかにかかると四十万にも五十万にも話がふくらんだことを、根岸は笑いながら明かしている。いかにもありそうなエピソードだ。他にも石丸謙二郎がサーカス巡業のアルバイトが楽しすぎて、つかの呼び出しに答えようとしなかったとか、信じられないような逸話が、これでもかというくらい満載されている。つかこうへいをよく知らなくても、存分に楽しめる一冊になっている。
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つかこうへいのもとで役者、照明係および書生として長く過ごした著者が、自身の記憶、関係者へのインタビュー、本、雑誌および当時の資料をもとに記した評伝。500ページを超えるボリュームで読みであり。
著者とつかこうへいが関係があった期間のことを中心に記しているので、著1983年以降のつかの活動については記されていない。私がようやくつかの芝居を見ることができたのが1983年以降だったので(それまでつかの芝居のチケットの入手ができなかった)、つかが芝居に復帰してからについての著者の論評がないのはちょっと残念。
私の大好きな「腹黒日記」シリーズの初期シリーズは著者が書いていたことが本書には記されていてびっくり。
また、腹黒日記の内容は全くのでたらめとのこと。
私は半分くらいは本当かなと思っていたので、これもちょっとショック。
なお、本書によれば腹黒日記に限らず、つかの小説やエッセイの多くは著者ともう一人がつかの口立てで伝えられた内容を元に文章にし、それにつかが修正を入れていく形で作られていたとの事。
あとがきで著者は自分がつかの事を書いてよいのかどうかかなり悩み、脱稿までに3年超を要したことを書いているが、本書のタイトルを「正伝」としているところに著者のつかについての他のどの評論等よりも自身があることを表していると感じた。
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演劇に触れることの難しい、地方の学生は、角川文庫で、つかこうへいに触れた。懐かしい書名が並ぶ。
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VAN99ホール時代は行かなかったけど。1976年から1982年は、本当良く行った。東京キッド、ヴォードビルとか行ったけど一番生に会ったのは、つかさんでどっぷりとハマりこんだ。役者の発するセリフを覚えようとしたのも懐かしい。紀伊国屋ホール、西武劇場、俳優座、などチケット公演取るのに××さんの力を良く借りたなぁ。なぜか一度だけ岩間さんと江美さんと飲む機会もあった。
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第38回講談社ノンフィクション賞
第35回新田次郎文学賞
第21回AICT演劇評論賞
週刊ポスト 2016年1月29日号 著者インタビュー