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地図で読む戦争の時代 みんなのレビュー

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13 件中 1 件~ 13 件を表示

紙の本

「地図で戦争の時代を読む 戦争の時代の地図を読む」(「はじめに」から)

2011/08/14 00:07

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:玉造猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「地形図を作り始めたのは、どの国でもたいてい陸軍である。――国を守るためには正確な地図が必要であることは当然である。一方で、他国を侵略するにも、先立つものは地図であった」(「はじめに」)
 世評によれば著者は地図読みの第一人者だそうで、厖大な地図のコレクションを下敷きにした鉄道や地名に関する著書がある。その著者が「世界を見れば戦争のない時代はなかった。今も戦争は続いている」という気持ちから、本書を書いた。

 戦争への著者の視点は、次のようだと見てよいだろうか。
「東京大空襲で10万人以上が犠牲になったという記述ではなく、いつも買い物をしていた本所区亀沢町の乾物屋さん一家が一人残らず亡くなったという視点」
「原爆ドーム界隈にはかつて家が建て込んだ市街地があり、一発の爆弾によって住民の生活は一瞬にして消え去った、それが具体的に何を指すのか、戦争を知らない世代の一員であっても、少なくとも想像する力を持ちたい」(「あとがき」)
 
 そうした視点で著者が地図の上に見る戦争は、空襲のほかに建物疎開、植民地の地図、戦時改描つまり軍事施設や工場・貯水池などを秘匿するため空白にしたり代わりに住宅地などを描いたもの、軍事施設がその後どうなったかなどの内容で本書に展開される。

 どれも興味深いが、なかで日本領だった台湾の地図ははじめて見るものだった。
 1927年大日本帝国陸地測量部発行の5万分の1地形図「嘉義」。駅前の東洋製糖工場を目指して線路網が集まっている。まわりは水田記号は少なく、畑地になっている。自給自足的な米作地帯に単一作物の砂糖の大規模農業を大資本の力ですすめたことが見てとれる。もう一枚は1936年発行の雑誌『キング』付録「日本遊覧旅行地図」で鉄道路線図だが、台湾西側の海岸線にぎっしり敷き巡らされた鉄道は新高製糖、台湾製糖など7つの製糖会社の鉄道である。地域がそれぞれ製糖会社に分割され、地域のサトウキビ農家が決められた会社に納入したと著者は書いている。

 東京練馬区赤羽の戦中から戦後への変遷は、4枚の地図で移り変わりがまざまざと見て取れる。
 1枚目、1928年の赤羽は東京近郊の農村地帯だった。1942年ドゥリットル空襲を受けてここに成増飛行場を突貫工事で急造した。2枚目の地図は集落や農地をつぶして幅広いL字型の地面にならしているが、当然だが飛行場の表示はなくて畑地のマークになっている。敗戦により飛行場を米軍が接収し、米軍の家族宿舎「グラントハイツ」になった。アメリカ第18代大統領グラントに因む名という。3枚目の地図では広い基地内にゆったり配置された住宅や学校などの様子がわかり、隣接する練馬区の住宅密集地帯との差が一目でわかる。池袋から進駐軍専用列車が直通したが記載されていない。その後1973年に基地は全面返還された。4枚目の地図ではグラントハイツの場所は光が丘と名が変わり、公園や団地を配置した広いニュータウンになっている。
 
 現在の東京ドームが、かつては東京砲兵工廠だったことも地図から読みとれる。
 それにつけても、大阪、それも大阪城のすぐそばに住むわたしとしてはやはりもうひとつ、この本で書いてほしかったことがある。
 大阪城と大阪砲兵工廠の変遷を書いてほしかった。かつての軍都大阪の戦前戦後を地図の上で見せてほしかった。師団司令部その他の施設が大阪城と周辺に密集し、まわりに砲兵工廠が連なっていた。敗戦前日の大空襲で廃墟と化した後、工廠跡は長いあいだ鉄の残骸の山であったのが、大阪万博を機に公園に変身した。今、梅や桜のきれいなこの公園が東洋一の軍需工場だったことを思いだす人はあまりいない。この変遷は地図の上ではどう描かれていたのだろうか。
 本書は、ウェブに発表された短篇を編集されたものということなので、大阪の地図上の戦争の時代については、本書の続きとして、またいつかの機会にウェブででも読ませてください。お願いしておきます。

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