紙の本
どんより
2015/05/27 14:13
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投稿者:とと - この投稿者のレビュー一覧を見る
チェーホフは、何も起こらない日常を、淡々と書く作家だと思う。人生、特に閉鎖的なコミュニティで暮らす人々の鬱憤、諦め、不満、皮肉、醜さ、嫉妬を丁寧に、上手に描いている。
紙の本
年をとってからの恋は重症化するそうです。
2024/02/12 11:10
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投稿者:kisuke - この投稿者のレビュー一覧を見る
「犬を連れた奥さん」は保養地で出会った既婚者の男女の物語。男性は初め遊びのつもりだったのでしょう、それが妻子の元に帰ってから、彼女の面影が強くなって…。初めて愛を知った、行き場のない二人の切なさは、共感はできないけれど気の毒になりました。
「かわいい女」、こういう人はいろんなパターンでどこにでもいると思います。そのあたりの描き方はやはり上手いですね。
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恋人、旦那によって自分がコロコロとかわる“かわいい女”。自分の周りにもいます。そしてもてます。やっぱりこういう女の人の方が“かわいい”のでしょうか?
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控えめに上品に適度な笑いをうまく絡ませ節度を忘れない人だったチェーホフ。そんな態度と「恋」というのは本来永遠に相容れない、はず。だから登場人物は途方に暮れる。その途方に暮れる感じがチェーホフ的。
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おもしろいと評判のチェーホフの短篇。やっぱり、おもしろかったです。
切なくて苦くて、(優しくないのかもしれないけど)優しく感じる所がいいです。
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2009年1月22日読了。
淡々とした物語だった。
「かわいい女」は、いるいるこういう女の人・・・私には絶対なれないってタイプ。
最後の「いいなづけ」だけが、ちょっと共感できるような内容だったなぁ。
読みやすい短編がいっぱいでした。
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演出家の妻になると夫と共に芝居について語り、材木商と結婚すれば会う人ごとに材木の話ばかり。獣医を恋人に持てば、恋人との別れと共に自分の意見まで失くしてしまう。一人ぼっちになった彼女が見つけた最後の生きがいとは──。
チェーホフ晩年の短中編集を収めたもので、人間が懸命に生きようとするがゆえに生じる悲劇や日常の中で起こる何気ない感動を描いている。
本編の中で自分の心に最も残っているのは『谷間』で、一人の女性の運命の変転に初めは同情したが、最後には彼女は心優しき女性として描かれており、強く生き抜こうとする彼女の逞しさを垣間見た気がした。
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リアリズム文学で知られるチェーホフの短編編集。
どうしようもない現実や残酷な運命に翻弄される人間は、しかし、そんな厳しい世の中で、不幸と比べてあまりにも小さな希望を見つけ、それを糧に生きていく。
チェーホフの物語は、どうしようもなく救いがなく、だからこそ私たちが共感できる部分を含んでいる話が多い。
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『犬を連れた奥さん』は、まるで一つの映像作品を見ているかのよう。情景描写は勿論、心の機微までも細やかな文章で表現されていて、とにかく「凄い」のひとこと。
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アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフの短編7編を収録。
どの作品もロシア革命少し前に執筆されたものだけあって、貧しく虐げられた農民・使用人の描写と働かなくてよい階級への批判、将来は誰もが少しだけ働き、皆で豊かな生活を送れる社会がやってくるという理想願望の主張といった思想がところどころ散りばめられ、当時の風潮がみて取れる。
自分としては、『中二階のある家』のリーダや『谷間』のアクシーニヤなど、主張の激しい美人が活躍する短編が面白かった。(笑)また、『イオーヌイチ』や『いいなづけ』のように結婚へのあこがれが一転、独り立ちへと心情の変化を描く短編も皮肉に富んでいて物語としては楽しめた。特に『イオーヌイチ』の主人公が墓場へ呼びつけられるシーンなどはぞくぞくするような面白さとともに男への深い同情を禁じ得ない。(笑)『往診中の出来事』は工場主の娘の心の病とそこで働く労働者の両者の抑圧を題材にしており、当時としてはまさにタイムリーで先鋭的な思想的物語だったと思われるところが興味深い。表題作の『犬を連れた奥さん』は旅行先で出会った婦人との不倫ものだが、それにのぼせ上っていく主人公の心情が面白かった。もうひとつの表題作『かわいい女』は度重なる良人の不運という運命に翻弄されながらも、感化されやすいが朗らかな性格の主人公オーレンカの愛すべき半生を描いた作品で、起承転結が明確な、なかなか印象深い物語となっている。
全体としてところどころ挿入される社会思想性にも興味深いが、それも含めてほどよくスパイスにしながら確固たる人物像を作り上げているところが面白かった。また、ときおり登場する永遠の生もしくは死への深みへの思いは、チェーホフ自身の信心を文学的な表現に高めたものとして大いなる魅せ場のひとつになっている。短編としての物語展開性にも優れ、短編であることを縦横に活かした作品群になっている。
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課題で読みました。同じく課題で読んだゴーゴリよりさらりと綺麗な感じで読みやすい。人物描写はわりと嫌いじゃなかったな。人間は誰でも変わってゆくけれど、良いだけの変化も悪いだけの変化も存在しないし、誰のせいにもできない。
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谷間。もう少し救われないかと思う。少しずつ、少しずつ、さみしくて辛い。どんより、どんより初冬の小道をテコテコ行く感じ。なんにも変らない、ありそうな範囲でしか事は起こらない。なのにちょっとの温もりが、しんみり迫ってくるようで。
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かわいい女:オーレンカの夫に対する従順な姿勢と、付き従う対象(夫)を失った時の虚無のような態度が印象的だった。そして、立場の違いが人格をも変えてしまうという事実が面白かった。
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原卓也訳をLideoで読んだ。「箱に入った男」「すぐり」「恋について」「イオーヌイッチ」「ある往診」「可愛い女」「犬を連れた奥さん」が入っていた。全作の共通項は「だましだまし生きていく日常」だろう。長く書かれたらたまらないが、短編でスッパリ書いていて、愛情や理想がかいまみえるのがいい。けっして茶化してはいない。「箱に入った男」は、何でも辛気くさく禁止して、自分も周りも型にはめてしまう中学教師の話、成り行きから結婚しようとするが、世間を気にしてケンカして彼女に笑われ破局、孤独に生きて棺桶という箱に入る話である。「すぐり」は妻を貧困死させるほどの異常なケチで金を貯めた小役人が、人生の理想であるスグリが生えている農家をかい、聞いたような理屈をこねて農民をこき使い、すっぱいスグリをうまいと言って自己満足する話である。「恋について」は、大学を出て田舎で農業をやっている男が人生一度の恋をしたが、相手が人妻で別れる話である。「イオーヌイッチ」は、医者が資産家の令嬢に惚れ込むが、令嬢のほうは自分は芸術家(ピアニスト)になれると勘違いしていて、その理想のために別れる。医者はその後、酒とカードと金稼ぎに明け暮れ、「異教の神」のように太って醜くなっていく、令嬢の方は自分に才能がないことが分かり、帰郷して医者の妻になりたいと懇願するが、もう医者の方も冷めていて、知人として関係をつづけていく。「ある往診」は医者が地方の工場主の跡継娘を診察する話だが、娘には病気はなく話し相手が欲しいだけだった。娘は工場経営が良いことがどうか悩んでいるが、彼女の家庭教師は何も疑問に思っていない。結局、話をして帰ってくる話である。「可愛い女」は「犬を連れた奥さん」とともにチェーホフ短編の代表作である。夫に先立たれ次々と嫁ぐ女の話で、遊園地経営者、材木商、獣医と関係するが、夫の意見を自分の意見のように受け売りし、「可愛い女」と言われる。夫と別れると深刻な自己喪失に陥り、「愛する者がいないと生きていけない」人間である。最後の男は既婚者で、妻子をつれて転がり込んでくるが、男の妻は子供の面倒をみない。「可愛い女」は子供の養育に人生をかけるが、子供からはうとまれる。それでも子供に執着する。「犬を連れた奥さん」は、若い既婚者どうしの不倫の話である。遊びのつもりが本気になって、いつか現状が変わると言いながら、ダラダラと不倫関係を続けていく話である。文章は本当に愛してしまう所が痛ましい。
チェーホフ(1860-1904)は、ドストエフスキーやツルゲーネフの後輩でゴーリキーなどの先輩、祖父は解放奴隷で、三男、若いころから生活苦のためアルバイトで短編小説を書きまくり300編くらいある。当時はナロードニキ運動が弾圧されて、民主的言論は一切禁止、ユーモア雑誌くらいしか許されない時代だった。このころ、チェーホフは伝統的なロシア文学者から「思想や信念はないのか」と批判され「どちらもない」と答えた。その後、苦学しながら医者になり、農村医療などに尽力する傍ら書きまくった。「人生をあるがままに書く」ことが信条だった。トルストイの宗教観にも一時期傾倒したが、流刑地サハリンを旅行した後、トルストイを理屈倒れと批判した。���くの短編、長編小説や戯曲などを残し、医者なのに自分の病気を否定しつづけ、結核で44歳で死亡。ロシア革命の前年だった。
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ロシアの文学には、どこか惹かれるものがあります。でも、いつも半分も理解できた気がしません。多分、時代背景や文化や、価値観が、現代の日本人とはかなり違っているので、その辺りをよく分かった上でないと理解できないのかと思います。
チェーホフの短編は、人間のあらゆる面、美しさも、醜さも、滑稽さも掬い取って、ごちゃ混ぜに織り上げたようです。貧しい、辛い人生には心からの同情を、醜悪な、滑稽な人々にもひとさじの憐れみをもって描いているところに、単なる風刺小説でない、ヒューマニズムを感じます。