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2006年にアメリカで実際に起きた交通事故をもとに書かれたルポルタージュ。
運転中の携帯でのメッセージのやりとりの最中に事故を起こしたことをきっかけに、アメリカで運転中の携帯操作を禁止しようという流れを生んだ。
まるで、ドラマのように完成された事実だ。
特に事故を起こした彼の心の移り変わりは、胸が痛くなる。どのように移り変わるかは、ぜひ読んでほしい。
日本でも運転中の通話およびメールは禁止されている。
そして歩きスマホの危険性を訴え始めている。
どれほど危険なのだろうか? ほんの少しの間、画面に視線を落とすだけじゃないか、私もそう思っていた。
けれども、この本は示す。
画面の向こう側の世界に私たちの心がどれだけ連れて行かれているかを。
メールや通話を行うとき、まるでファンタジーのように、画面の向こうの相手に心を奪われる。異世界に連れて行かれている。そこから現実に、いまいるところに戻るまでにタイムラグがあるとしても、それは仕方のないことだろうな、と感じさせる。
人はそんなにたくさんのことを一度にはできない。
当り前のことに気づかされる一冊。
映画化されないのかなぁ。
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2006/9/22、ある普通の青年が交通事故、死亡事故を起こす。それは裁判となる。原因は何だったのか?青年は何も原因となることを覚えていないと言う。
これは、携帯メールのながら運転の危険性が、裁判、法整備へ向かった記録である。メールしながらの運転は危険だと誰もが感じながら、やってしまう、そのメカニズムを神経学者・心理学者の解説と歴史的背景を挙げると同時に、事故当事者の苦悩を描いた実録です。個人的には各人の成育歴など、詳細すぎてる点と、注意の科学の歴史的背景は、詳細すぎて、むしろだれてくる感じがありました。科学的知見の蓄積より、個人的体験者の叫びが、社会や政治を動かすのだなと感じました。
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神経ハイジャック マット・リヒテル著 情報端末の脳への刺激を調査
2016/8/7付日本経済新聞 朝刊
人の注意力は無限ではない。携帯電話の操作と自動車の運転は同時にはできない。常識で考えればわかることだ。
だが、運転中の情報端末操作による事故はなくならない。なぜか。端末操作が人間にとって強烈な報酬となっているからだ。当人が自覚している以上に。
本書は、米ユタ州で1人の若者が運転中に起こした交通事故を縦軸としている。巻き添えになって2人が亡くなった死亡事故だ。後にこの事件が1つのきっかけとなり、運転中の携帯メールが違法になった。横軸では、通信ツールやネットワーク技術が人間にとってどんな意味を持つものなのかを考察している。
扱われている事件は1つだけだ。事件を引き起こした若者の内心の描写は抑えられている。彼はおよそ2年、事故のときにメールしていたことを話していなかった。著者は、彼はその自覚がなかったからとしているが、どうだろう。
彼はいま、事故当時のことを振り返り、危険性について講演してまわっているという。だが亡くなった人は生き返らないし、遺族の人生が元へ戻るわけでもない。後悔しても遅いのだ。
本書の事件発生は2006年。当事者の若者が使っていたのはスマートフォンではない。
スマートフォンはもっと強力に人の注意システムに働きかける。家族や恋人、友人たちと社会的つながりを維持し続けていたいという欲求は原初的本能で、あらがいがたい。
しかも大切な人からのメールは誰でもすぐに返事したくなる。本書で紹介されている神経経済学の実験によれば、若者にとって情報の価値は金銭の価値を上回っており、短時間で返信しないと価値を失ってしまうという。脳のなかで、そのように価値付けられているのだ。
やる気や快感をつかさどる脳内の報酬系は、自分の考えを他人に公開することにも刺激される。情報を共有すること自体が脳にとっては報酬なのだ。若者がSNSを頻繁にチェックしている理由がここにある。
情報端末をさわっているとき、スクリーンをタッチし、文字や写真がひらめくたびに、人の頭のなかでは報酬系が刺激されているのだ。それが知人とのやりとりなら、なおさらだ。これを著者は「神経ハイジャック」と呼んでいる。
ツールによって人は「ハイパーソーシャル」になれる。だが、メリットだけでなく犠牲もあることを忘れてはならない。節度と嗜(たしな)みが必要なのだ。技術と付き合うにはそれしかない。
原題=A DEADLY WANDERING
(三木俊哉訳、英治出版・2400円)
▼著者は米ニューヨーク・タイムズ紙記者。2010年にピュリツァー賞。小説も執筆。
《評》サイエンスライター
森山 和道
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運転中に携帯電話でメールをやり取りすることの危険性を主題とし、2006年、Utahで実際に起きた事故を中心に、実験データから法整備の問題まで、広く描かれる。
事故を起こした人物が、当初のメール否認から、裁判での研究者の証言から自分のしたことの意味を理解し、行為の危険性を周知するため伝道の如く活動するようになる変化が劇的。
携帯電話による通話の事故率が酩酊 (血中アルコール濃度 0.08%) と同程度、メールの場合はその1.5倍というデータがあった (2008法廷証言)。
通話に限ったとして、ハンズフリーにより事故率は下がらない。本質は通話であって、操作ではない。
さらに、Siriのような音声指示が通話以上に危険というデータが2013に得られている。
一方、米運輸省は2003に運転中のマルチタスクが危険だという研究結果と、携帯電話使用による事故数と死者数の推計値を得ていながら隠蔽した事実もある。
Utahでは、上記の事故の加害者の心情吐露の効果もあって運転中のメールを禁止する法が成立した。禁止法を持つ州は増えているが、抜け道のあるものが多いし、法執行の難しさという問題もある。
課題が投げかけられている。
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米ユタ州で起きた携帯メールのながら運転での死亡事故について物語風にドキュメンタリー。
事故を起こしたレジーは、初めは自分が事故のときに携帯を触っていたことを否定する。彼の言葉によると審理の途中で自らが携帯電話に触れていて、危険な運転をし、二人の命を奪い、その家族からかけがえのない人を奪ったことを理解した、という。ある意味、本当に彼は運転に集中をしていたと思っていたのかもしれない。そこからのレジ―の危険運転防止への献身的な取り組みがこの本のひとつの主題である。
レジ―がユタ州のモルモン教徒であり、伝導活動に掛ける想いについて実感が湧かないかもしれないが、日本人であれば例えば受験であるとか就職であるとか社会人としてのキャリアなどに置き換えて考えるとその切実感を理解することができいるかもしれない。レジ―が敬虔なモルモン教徒であることは、彼が抱く罪の意識とも関係をしているのかもしれない。彼の心の動きと言動と、遺族や検察官、弁護士の感情の動きが詳しく描かれている。
「神経ハイジャック」ー 人間の注意がマルチタスクに決して向いていないというが、そのことは日々実感できる。自分も家では、TVを付けて、個人PCを見ながら、仕事のPCでタスクをこなしていることが普通だ。もちろん、すべてを同時にやれているわけではなく、注意を頻繁に切り替えている状態にある。すぐそばで付けているテレビの内容がまったく頭に残っていないということはよくあることだ。マルチタスクをしていると効率的なように感じるが、逆に非効率であるということは重要な指摘でもある。原題は”A Deadly Wandering: A Tale of Tragedy and Redemption in the Age of Attention”なので、ハイジャックというニュアンスはないが、注意がいかに奪われるかという主題を日本語でうまく表しているのではないだろうか。そして、継続的にマルチタスクを行い、注意を切り替えていることが脳に与える影響に関しても気になるところである。
現代はスマホを身に付けて、常に外部につながることができる環境を持っている時代である。スマホを見ることが脳の報酬系に働くというのはおよそ実感するところでもある。それを薬物やギャンブルなどの依存症になぞらえているが、一面では間違ってはいないのだろう。何でもないのについスマホを取り出して触ってしまう自分がいることにあらためて気が付く。そして、やめられないことも実感する。自分はやらないが、たばこと同じなのかもしれない。
しかし、人物描写がとにかく長い。もちろんきちんとした取材と関係者に配慮した描写が売りでもあるのだろうが、自分にとってはここまで詳しい描写が必要だったのだろうか。一気に読むわけではないので、登場人物がどういう人であったか忘れてしまったりするとかなりつらい。注意力がなくなっているのかなあとも思うのだが。
本書は議会、携帯電話会社、自動車会社、などロビー活動などを通して法制化に反対する勢力に対して、ながら運転を危険運転として法的に防止するに至ったこの事故の社会的意義に注目する。一方、脳の注意、ワーキングメモリ、意識の成り立ちなどに関する科学的な見地についても言��されている。スマホ世代において、人間の注意力はどのようになっていくのかについても興味がある、注意力に関してはそれぞれに差異があろうし、訓練によりマルチタスクの能力は変化していくであろう。こちらの方に注意が向くのである。運転しないペーパードライバーなので。
まあ、ちょっと長いですかね。
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なかなか読みにくく進まなかった。どうやらノンフィクションを小説風に書く形式が苦手みたいなんだな。内容は自動車運転中に携帯でメールを送っていて事故を起こしたアメリカ人男性の話。誰でもやってしまいそうだからこそ怖い。マルチタスキングは駄目だと最近言われてるけど、これを読んだらそう思わざるを得ない。気が散りすてで結局はなんにも集中できないんだよね。「二兎追うものは一兎も得ず」昔から言われてたんだよね。
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SFと思うようなタイトルが気になって読んだノンフィクション。運転中に携帯メール操作をして起きた死亡事故。携帯依存、マルチタスク、規制の法案化など専門家の話も交え、巻末には日本での歩きスマホの実験についても書かれていた。
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500ページ超えのぶ厚いこの本は、ぶ厚さ以上の読み応えがあった。
運転中に携帯でメールを送っていたことで死亡事故を引き起こしたことから始まるこの本は、脳科学やテクノロジーにまつわるノンフィクションであり、様々な人々の人間ドラマが織りなす小説でもある。
この本を読み始めた時に、自分自身でも注意力や集中力のことが気になっていたので、すごく興味深く読めました。
運転中は、電話もスマホの操作も絶対にやめましょう。
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科学ノンフィクションとあるけれど、構成は社会派サスペンス小説や映画のような感じ。後半に入ると一気に物語が収斂していくので前半はガマン。
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【由来】
・hontoでGRITを検索したら関連本で
【期待したもの】
・「相手が悪い!」という自分にありがちな思い込みを的確に是正する一助となれば。
【要約】
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【ノート】
・
【目次】
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534ページある分厚い本である。本の厚さに躊躇している人がいたとしたら、そんな心配は無用である。まるで、小説を読んでいるかのごとく、語り手のリズムに引き込まれて、時間を忘れて読みふけってしまった(私はそうだった)。物語は、2006年9月22日アメリカのユタ州で発生した交通事故から始まる。1980年代から世の中に徐々に浸透していった文明の利器である携帯電話が社会にどんな影響をもたらすものかを科学的な検証、事故の統計、事故の当事者へのインタビュー、事故当時の時代の空気感(当時の常識的な考え方)等様々な視点から多角的に追体験していくことになる。
とはいえ、学術的な書きっぷりではなく、当事者はなぜその行動を起こしたのかという思いや、体験したときの心情も語られるので、小説を読んでいるような気がしてしまう。著者の綿密な取材と書き手としての才能であろう。
ぜひ多くの人に読んでほしい一冊。
新しいテクノロジーが生まれると、多くの人が夢中になり、社会に浸透していく。今までにないものが登場することで、新しい問題も同時に生まれる。今ではよく聞く言葉になった「ながらスマホ」。一度はやったことがある人がほとんどであろう。本書を読んだあとは、絶対に「ながらスマホ」はやらないと考え、即実践するでしょう。スマホは便利なものだが、人間の注意力を奪うもの。スマホは時と場所をわきまえて利用するものと認識するべきなのだ。
冒頭に発生した事故の加害者となってしまったレジー・ショーさんの体験を私達は本書でたどることになる。彼の物語を知った読者にも、著者は行動を促している。こんな悲しい事故は二度起こしてはいけないのだと。