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こどもの頃に耳元で囁かれた言葉。フテキカクシャ、アンラクシ、ジヒシ‥誰が、どうして、そんなことばを言ったのか?こどもながらに「口にしてはいけないことば」の気がするが、確かめられない絵美子は、そのまま差別に対して無知で無自覚な「わたしたち」の姿でもある。
あとがきで、本書が津島佑子さんの遺作だと知る。
娘の香以さんが「なんとかして差別を克服しなくてはならないと思うのだが、自覚すらされない感情をどうしたら乗り越えられるのか?」と問いかけているのは、母娘の間で繰り返されていた会話なのかもしれない。
ヒトラー・ユーゲントのこどもたちが担わされた役割を考えると、熱狂することへの警戒、ひとりひとりの責任の重さを痛感する。
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差別はどの時代にもあるというような描写があった。だから差別はあってしょうがないと諦めるのでなく、どうするかを考え続けなければならないのだけれど、簡単にその回答が出るわけでもなく、本当に難しい問題なのだと、この著書から改めて感じる。 タイトルがズシンとくる。
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【逝去直前まで推敲を重ねた津島文学の到達点】顔も知らぬ父、15歳で早世した兄。絵美子と母を気遣う、大勢のおじ・おばたち。大家族の物語はこの国の未来を照射する。遺作長篇。
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津島さんの遺作.15才で亡くなった障害者の兄をずっと忘れられない絵美子.子供の頃に囁かれた「フテキカクシャ」という言葉にずっと捕らえられている.大勢の親戚縁者や行ったり来たりする時代や視点,ヒットラーユーゲント,原発,アメリカと様々な差別も含めて,とても雄大な物語となっていて,遺作となってしまったのが本当に残念だ.
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学生時代にW村上・詠美・ばななで洗礼を受けた世代だが、その後、町田・小川・川上・平野とスルーして、専ら文芸は翻訳モノと決め込んで来た(まあ、笙野頼子は別枠としてw)が。この系があったか〜と鉱脈を掘り当てた気分…ってか、楚々とした倉橋由美子の感あり。
ヒトラーユーゲントのエピソードって、フィクションだったらかなり悪趣味だし、相当なデリカシーを要求されるネタだと思うけど。更に早逝したダウン症の兄に大勢の家族親戚を巻き込んで、仙台・東京・東海岸にパリへと飛び回り、時代も親の幼少期からスポットで時代を交錯させて、見事な一大叙事詩に仕立て上げたもんだ。無難に逃げず、かと言って扇情的な表現に頼ることなく、よく処理したもんだ。
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差別をテーマに人間模様を描いたドラマ。
記憶と事実と夢と、いくつもの物語が折り重なって、絡み合いながら進みます。
テーマの普遍性とプロットはノーベル文学賞的です。著者は亡くなる直前まで、表現をさらに磨きたかったのでしょうか。