紙の本
確かにこんな本なかった気がします
2010/05/04 22:24
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投稿者:もゆや - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者がカバーする知識範囲の広さ・深さ、また探求するパワーに驚いた。大学入試センター試験世代で、受験ルートが文系と理系に分かれているのが当たり前だったし、図書館や書店でも「分類」されていることに違和感を持ったことがない。そういう意味で大変興味深く読ませていただいた。とりわけ第四章までの「歴史」部分はなるほど、と膝を打つことが多く、著者の斬新な切り口と知識の豊富さに驚くばかりだ。
著者のメインテーマは第六章なのだろう。これまでの章と異なり著者自身の強い「思い」を感じることができる。今日の細分化された「科学」を憂えているが、この書籍は「そうではないぞ」という著者の「自負」を感じるのは私だけだろうか。
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着眼点は秀逸、しかし、踏み込みはいまひとつ。うーん、もったいない。
2010/06/01 23:25
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投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
魅力的なタイトルと、「先人の叡智が見える」と謳った帯に引かれて購入してしまった。タイトルの通り、縄文時代の尺度から天文、古代から近世までの日本の「数詞」、近世までの日本の貴金属事情、和算の世界、と通史にはならないものの、いずれも興味深いテーマを取り上げている。
しかし、他書からの「つまみぐい的紹介」の印象を免れない。さまざまな書を読み1冊にまとめて紹介することそのものは歓迎されるべきことであろうが、読者としては著者のさらなる「踏み込み」を期待してしまうところである。たとえば、第1章では「縄文尺」の存在について紹介されている。三内丸山遺跡など、その存在が示唆される建物が少なくないという。「文字なき世界」における物差し・数記号の存在可能性である。
言語と同様、度量衡も広く統一されていることが便利に思われる。交流が広く行なわれている社会であればなおさらである。しかし、「何」に統一されるかは、偶然や権力によることも少なくない。そこに、著者も指摘する十二進法などとの関係があるのだとすれば、権力等から比較的に独立した「科学」(の萌芽)の存在が想定できるのではないか。ではその「古代科学」とはどのようなものか? ぜひ著者の想像力を読んでみたかった。
一方、かなりのページを割いている「数詞」の話は興味深かった。とりわけ、日本の数詞の「数え方」に漢音や呉音などが混じっていることは初めて知った。まさしく「雑種文化」の先駆けではないか、などと感心してしまった。ただこのあたりは、著者の前作「数の日本史」とかぶっているようだ。
ちなみに著者は、物理学会の会長も勤めた物性物理学の大家、だそうだ。専門外の分野に挑んだ心意気は高く買いたい。考古学や歴史の資料は、「理科」系をはじめ、もっとさまざまな分野の人に読まれ、利用されるべきではないか。そのほうが「新たな発見」もあるのではないだろうか。
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コロナウイルスを予見
2020/03/08 09:53
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
「理科」の視点で日本史を考察。鉄の影響、数詞(古代数詞・現在数詞)、金銀銅(日本の鉱物資源)、黄金比・魔方陣、科学史(アルスの世界)等と、視点は多岐にわたりますので、興味のないテーマは読み飛ばしても大丈夫です。
私は、日本語における二通りの数詞(「ひとつ、ふたつ、みっつ」の系統と「いち、に、さん」の系統)の成り立ち等の考察や資源大国から資源小国への転換の考察等が興味深かったです。また、平安時代の鳥インフルエンザの流行は中国から渡ってきた渡り鳥が原因であると、当時の人々は病気の本質を見抜いていたようです。
ところで、「1822年、江戸で風邪大流行、1918年のスペイン風邪と、小型の流行を除き、どうも百年に一度、ウイルスはリフレッシュされ、襲いかかってくるのでは、という感じがする」と今回のコロナウイルスを予見しているかのような箇所があり、驚きました。
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ちょっと見かけ倒し。
理系の大学の先生の趣味の歴史を読まされている感じ。
今後、この感想が変わることを祈る…
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タイトルに期待して購入したけれど、「理科で」という感じはあまりしない本だった。むしろ歴史的要素が強い感じ。
ただ途中まではとても面白く、「理科」ないし「社会」のどちらかの知識があれば、その知識がうまくつながっていくような知的興奮が得られると思う。
ただ最後の二章は付け足しのような感じ。せっかく途中まで盛り上がった気持ちが冷めてしまうようにも感じた。
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科学と歴史というのは以外に相性が良い。気候の変動や病原菌の突然変異、穀物類の植生等は、それだけで人類の歴史を大いに左右しうるわけで、そういった観点から歴史を読み直すのが、最近はやっているらしい。「銃・病原菌・鉄」など世界的な名著もある。
本書もその流れを汲んでおり、日本の歴史を「理科」的な視点から再構成してみようという試みは非常に立派。実際、それを本職の先生がやれば面白い本ができるのは間違いないと思うのだけれども、本書の場合は著者が物性物理学の先生なので、いわゆる「余技」に過ぎない。余技でも一級品に昇華できていれば良いのだが、いささか消化不良気味でした。
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ユーラシア大陸には岩塩があったからアフリカからの人類の移動を受け入れられた…なんて、これまで考えたこともなかった。岩塩がなかったら歴史は変わっていたってことですね。
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[ 内容 ]
歴史を動かしてきたのは、政治や経済だけではない。
数学的知識、暦の作り方、冶金技術など広い意味での「理科力」こそ、人間を人間として進歩させてきたものなのだ。
縄文時代の天文学、世界最高水準の技術で作られた奈良の大仏、古代日本人の数学的センスがかいまみえる万葉集。
ギリシア以来の「アルス」のあり方…。
人類の「これまで」と「これから」を理科の視点から眺望する。
[ 目次 ]
第1章 縄文の空の下で―天、地、数
第2章 古代文化の形成と科学―鉄、数詞、記数
第3章 現代数詞の成立―日本語創成の中で
第4章 金銀銅の社会史―取り尽くされた鉱物資源
第5章 数遊びの東西―数比、魔方陣に見る理性と感性
第6章 アルスの世界―科学と芸術の原点
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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読後の感想は、「久々に読み応えのあるちゃんとした新書を読んだなぁ~」というもの。
私が大学生の頃、新書と言えば岩波新書、中公新書、講談社現代新書が御三家で、卒業する頃に集英社などからも出るようになったと思います。当時は今のように各出版社から多数の新書が出ている状況ではなく、一冊一冊がかなり重みのある作品が多く、一般教養書としてとても重宝しておりました。しかし今は粗製乱造というのか、本当に読んで良かったなぁと思う、かつてのような重みのある新書は少なくなった印象を持ちます。そんな印象が多い中、この『「理科」で歴史を読みなおす (ちくま新書)』は私の知的好奇心を心地よくくすぐり、そしてタイトル通り歴史の読み方に別の視点、「理科(=理系的な分析)」を与えてくれます。
縄文人が見ていた夜空の星と、現在の我々が見ている星空が異なるというお話しや、弥生文化との入れ替えなど、興味深いお話から始まり、現在のレア・アース問題もびっくりするような日本の金銀産出とその流出の歴史(全く今考えるともったいない話です・・・)、そして数の話など、とても興味深い話がたくさん出てきます。そしてまた文章も簡潔でわかりやすく、飽きのこない書き方で魅了してくれます。
中でも最終章の「アルスの世界-科学と芸術の接点」は、科学が如何に発展してきたか、そして芸術と科学がどのように分化していったかというところが、科学者としての著者の深い考察の中で示されています。
現在は様々な方面の分野に専門的に分化した時代。しかしかつてはそういった分化したものではなく、“アルス”という知的好奇心を満たす大きな未知の世界の探求があり、芸術的な分野と科学の間を行き来する知の巨人が数多くした時代。それゆえに芸術的とも、科学的ともいえる大きな発展や発明を担うことができたのでしょう。
ネット時代になって、情報が錯綜し、正負入り乱れる情報の海で難破する方も多く見うけられると思います。情報の海に溺れないためにも、ぶれない一つの視座がほしいところです。本当の“知”とはどんなものか、お時間のない方は最終章だけでも読むことを強くお薦めいたします。
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【稲田塾『夢ゼミ』9月オススメ本】今もこれからも、日本史や世界史なんていう名前で歴史について勉強していくことになります。「○○時代は××が、どんなことをした。」「この時代に力を持っていたのは、△△だ。」などなど…。教科書に載っている歴史は、政治的なことが中心かもしれません。でもそんな教科書の時代は、今では想像できないくらい、科学や数学といった理科系の学問の影響力がありました。中学受験を通して身につけた知識を中学受験だけで終わらせず、知的に楽しめるきっかけになればな~と思います。ちょっと難しい本なので、しっかり勉強してないと楽しめないかも…?
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日本語の数表現は多彩。「ひ」「ふ」「み」の和数詞と中国期限の現代数詞が混在する。その現代数詞もよく見ると呉音と漢音が混在する。数の歴史は日本の歴史でもあることに気づいて実に興味深い。
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本書は過去の歴史のなかの個別課題を「理科」的視点から取り上げた論考であるが、興味深くおもしろいと感じた。
著者はどれの専門家ではないという。そういう場合、内容がしぼりきれずに拡散してしまう場合が多いのだが、本書では、おもしろくまとめていると感じた。著者の「伊達宗行氏」は仙台生まれで東北大学理学部卒というから、あの「伊達」の眷属なのだろうか。
「縄文の空の下で」の原人前後の内容は、すでに最新の知見ではないと感じたが、縄文や弥生時代についての論考はいろいろと多面的で興味深かった。その道の専門家でない著者の幅広い知識が伺えて、おもしろいと感じた。
「いち、に、さんではじまる現代数詞」についての論考もおもしろかった。数詞の読み方は漢音と呉音が混在しているというのだ。「漢字」というくらいだから、漢の時代のものと漠然と考えていたが、本書によると「仏教は呉音の世界」だそうである。本書はその理由について幅広く考察している。もとより推測なのだが、実におもしろく説得力があると感じた。
「金・銀・銅」についての考察もおもしろかった。「マルコポーロが13世紀に東方見聞録で黄金の国」と紹介したことは有名であるが、日本は歴史時代に黄金をとり尽して、その黄金は海外に流出したというのだ。当時の施政者の見識のなさを非難してもちょっと遅すぎるかとも思った。
ただ、「数遊びの東西」は、多分著者の趣味なのだろう。歴史的な「数遊び」にはあまり興味が持てないと感じた。
筆者は「異分野の交流」を主張している。まとまりがない結論になる場合も多いかとは思うが、本書のように興味深い論考にまとまる場合もあることを思うと、おもしろい提案であると感じた。
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著者の専門は物性物理なんだけど,歴史や文化にも造詣が深いらしく,「理科力」で日本史を見てみようという本。科学受容史といったところかな。でも網羅的でなく,話題は断片的。
天文,鉱物史,魔法陣などいろいろだが,著者は特に言語に興味があるらしい。中でも数詞について詳しい。縄文時代など,文字の記録が残っていないから推測になってしまうのだけど,想像をたくましくして当時の数のありかたを描いている。
著者の『極限の科学』が滅法おもしろかったので読んだのだが,さすが年長者だけあって博学。やはり門外漢なわけで,信憑性はいまひとつ。人生の総仕上げとしてざっくばらんに書いてみたという感じだろうか。戦国大名の伊達氏についても記述があったけど,別に祖先だとは言ってなかったな。
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「理科」で読み直す、というより、「科学的思考」がどのように歴史的遺産等から読み取れるか、というマニアックな歴史読本。
科学的思考の一指標としての数詞に重きをおいている。
目から鱗の内容です。
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歴史に興味はあるけれど、教科書を読んでも頭になかなか入ってこなかった中高生の時に出会いたかった本。「数字」「鉄」といった具体的で普遍的な事象から歴史を眺めることは、歴史をイメージする手助けとなる。
「理科で歴史を読み直す」には、以下の二つの意味があると私は解釈した。
1.人々が数字や科学をどのように身につけ、利用してきたかをひもとくこと。(自然科学の歴史に焦点を当てる)
2.歴史を自然科学の知識から読み解くこと。(歴史を自然科学を用いて解明する)
もちろん両者は切っても切り離せないものだが、とくに後者のアプローチがこの本のユニークな点だと思った。
歴史研究の中心は文献史料の分析だが、当時のことを完全に理解しようと思えば「書かれていないこと」も知らなくてはならない。それを読み取るために、「理科」の知識はとても役に立つ。
たとえば、鉄が世界史に与えた影響は銅よりもはるかに大きく、火の発見に次ぐほどのものだという(p.77)。そのことを知るためには、鉄の特質を考えることが助けとなる(筆者によると鉄は「知的複合体」)。
昔の人々は、近代科学を持たなかった分、自然の法則を敏感に感じ取り、知識を得ていたはずである。「理科」的思考によって、史料には現れない、当時の人々の見えない行動基準について想いを馳せることも歴史の醍醐味なのだと思った。